至高の時
真の至高は、【誰にも見せられない情けない顔】をしている時にやって来る!
さあ、現実を見てみましょう。
我々庶民にとっての「至高」は、もっと地味で、もっと滑稽で、誰かに話したら「へー(棒)」と言われるレベルの場所に潜んでいのだ。
人が本当に
「ああ、生きててよかった!」
と震える瞬間って、だいたい生理現象か物欲絡みじゃないですか?
「冷凍庫の霜だらけの奥地から、一ヶ月前に隠した『ハーゲンダッツ』を発掘した瞬間」
(もはや考古学的な感動だ!)
「限界ギリギリで駅のトイレに駆け込み、個室の鍵を閉めた0.1秒後に訪れる、あの『尊厳が守られた』という名の呼吸の軽さ!」
(世界で一番軽い呼吸はここにある!)
次の瞬間に訪れる一気に押し寄せる瞬間
まさに
【至高の時】
「一日中悩み抜いて結局何も浮かばなかった企画書を、パソコンがフリーズして全データ飛ばしてくれた時の、『もうやらなくていいんだ』という悪魔的な安堵!」
(絶望の底から湧き上がる、謎の開放感!)
そう! 重要なのは、高尚な「外側の出来事」なんかじゃない。
「自分の脳内麻薬と、胃袋と、膀胱がどう反応したか」
これに尽きるのだ!
分類してみたぞ!
誰も求めてない「至高の時」の滑稽すぎる三形態
そんな曖昧で掴みにくい
(というか掴みたくもない)
「至高の時」
を、あえて学術論文ぶって、誰も得しない3つのカテゴリーに無理やり分類・解剖してみた。
1. 【努力・報われ型(という名の「気絶」)】
努力が報われたときの静かな熱……なんてカッコいいもんじゃない。
(実例:3日連続の徹夜明け、風呂にも入らず布団に倒れ込む時の、「意識が飛び、泥のように眠る」あの一瞬の快感)
※それは「至高」ではなく、ただの「シャットダウン」
2.【ぬるい繋がり型(という名の「共犯関係」)】
誰かとのつながりが生む温度……なんて美しいもんじゃない。
(実例:Zoom会議中、上司が熱弁している裏で、同僚と「この話、先週も聞いたよね?」とチャットを送り合う時の、背徳的でぬるい連帯感)
※友情というより、もはや共犯者
3.【圧倒的沈黙型(という名の「フリーズ」)】
自然や芸術に触れたときの圧倒的な沈黙……なんて高尚なもんじゃない。
(実例:満員電車で、隣の強面のおじさんのイヤホンから、AKB48の「会いたかった」が音漏れしていた時に、周囲の乗客とアイコンタクトだけで会話する、あの気まずすぎる沈黙)
※「聞かなかったことにしよう」という人類愛が試される瞬間
さあ、これらをひとつひとつ大袈裟に(そして無駄に丁寧に)辿りながら、「何が人を満たし、何が我々の腹筋を震わせるのか」、そのどうでもいい共通点を探っていきたいと思います!
シートベルトをお締めください、低空飛行で参ります!
【成果の至高】〜「努力」という名のドM行為と、ショボすぎる報酬〜
長い努力は、ほとんど**「賽の河原の石積み」**である!
何ヶ月も続けてきた仕事、学習、あるいは筋肉以外に誰も褒めてくれない趣味
(そう、筋トレ)
世間はこれを「努力」なんて美しい言葉でラッピングしますが、剥がしてみれば中身は
「終わりのない拷問」
です。
実際は
「ゴールがあるかも分からない暗闇の迷路を、全力疾走でカベに激突し続けている状態」
ですよね?
「昨日より今日が良くなってる?」
知るか!
毎日鏡を見ても「あれ、シミ増えた?」と絶望し、進んでいるのか退化しているのかさえ分からない!
なんなら、3歩進んで、つまづいて、5回転がってスタート地点より後ろにいる日の方が多い!
点と点が「線」になる? いや、**「接触不良」**が直っただけ!
けれど、そんな地獄のデスロードの先に、ふいに
「あ、繋がった(ピカーン!)」
と脳内でLED電球が光る瞬間が訪れます!
積み重ねてきた点
(=部屋の隅に溜まったホコリのようなタスク)
と点
(=諦めかけたドブ色の希望)
が、ようやく線になり、まるで誰かが背中をそっと押したように感じる……
……って、それ、背後霊が「早くどけ」って押しただけかもしれませんけどね!
冷静に分析すると、その「感動の瞬間」の正体はだいたいこれです。
思い通りに動かなかった手が急に軽くなる時
→ (解説:単に湿布が効いてきたか、脳が疲労で麻痺しただけ!)
何度も書き直した一文がようやく腑に落ちた時
→ (解説:単に締切10分前になって、クオリティへのこだわりを捨てただけ!)
諦めずに続けてきた作業が一気に形を持ち始めた時
→ (解説:単にPCがフリーズしかけて、本能的に「保存」連打した火事場の馬鹿力!)
胸の奥がじんわり熱くなる(逆流性食道炎ではない)
それは、大げさな成功とは限らない。
むしろ、静かで小さな手応え(というか、ミジンコレベルの地味さ)のことが多い。
しかし、その瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる!
「ああ、俺(私)、やってきてよかった。天才か? いや、神か?」
と、自分で自分に国民栄誉賞を授与するかのような、根拠のない圧倒的自己肯定感が立ち上がってくる!
成果だけじゃなく、『自分はちゃんと**「とりあえず今日は死なずに」前に進める』という生命体としての肯定**が立ち上がってくる!
その感覚こそが、長い努力を支える、
究極の自己満足という名の「精神安定剤」
なのだ!
小さな成功は、【カーペットに絡まったコロコロ】のように日常に潜む!
そして、日常の中にはもっともっと控えめな“至高”があります。
誰かの「ありがとう(社交辞令含む)」に救われる瞬間。
昨日よりも少しだけうまくできた(気がする)、という小さな前進(誤差の範囲)。
周囲の誰も気づかないような変化でも、自分だけは「靴の裏にへばりついたガム」のように、その一歩を確かに感じ取れる。
大きな成功なんて、年に一度、忘年会のビンゴ大会で「たわし」が当たるかどうかの確率です。 けれど、こうした小さな達成は、日々の中にハウスダストのように無数に散らばっています。
それらを丁寧に(コロコロで)拾い上げることで、人は**「まあ、明日も会社行ってやるか」**という、ギリギリの生存意欲を取り戻していくのです。
むしろ、小さな成功こそが、**日常という暗くて長いトンネルを照らす、スマホの画面のような“ささやかな灯り”**なのかもしれません。
(※ただし、バッテリー残量は常に3%で、低電力モードです。)
「至高の時」とは、人生の「バグ」を愛でることである〜
人生は、【低予算のB級映画】だと思えば楽になる!
ここまで、我々は「至高の時」という大層な言葉を、顕微鏡で覗いて、ピンセットでいじくり回してきました。
•努力の報酬 = 勘違いと自己満足 (と腱鞘炎)
•人との繋がり = ぬるい共犯関係 (とパジャマ)
•圧倒的な沈黙 = 気まずさとフリーズ (と音漏れ演歌)
結局のところ、私たちが追い求めている「幸福」や「満たされる瞬間」なんて、映画のクライマックスのような派手な演出ではありません。
むしろ、映画のエンドロールが流れた後に、間違って映り込んでしまったNGシーンのようなものです。
期待しすぎてはいけません。 人生にCG予算はありません。
脚本家もだいたい酔っ払っています。
ハードルは、【地中に埋める】くらいでちょうどいい!
「至高の時」を見つけるコツ。
それは、期待値のハードルを極限まで下げることです。
下げて、下げて、なんなら地面を掘って埋めるくらいでちょうどいいのです。
そうすれば、躓く《つまずく》ことすらありません!
•信号が青になっただけで、**「神に選ばれし私!」**と錯覚できる。
•カップ焼きそばの湯切りで麺をこぼさなかっただけで、**「ミッション・インポッシブル達成!」**と震えることができる。
•スマホの充電が残り1%で帰宅できただけで、**「アポロ13号の生還!」**のような感動を味わえる。
外側の出来事なんてどうでもよいのです。
重要なのは
「どれだけ安上がりな脳みそで、日常のバグを楽しめるか」
これこそが、真の勝者(というか、幸せな馬鹿)の条件なのさ~。
さあ、「最高の至高」を探す旅に出ようぜ!
今のあなたは。
もう、空から金色の紙吹雪が降ってくるのを待つのはやめまるのだ。
首が痛くなるだけだぜ。
その代わりに、足元を見てみろ。
ソファーの隙間に挟まった100円玉や、スーパーで貼られた半額シールが、あなたを待っている。
それこそが、私たち、俺たちが手に入れられる現実的な「至高」だ。
心を(一瞬だけ)震わせ、明日への活力を(3分だけ)与えてくれる、愛すべき人生のガラクタなのだ。
さあ、顔を上ろ。
胸を張れ。
(いや、やっぱり下を向いて小銭を探してください)
あなたの日常に、「ぷっ」と吹き出すような、滑稽で愛おしい至高の時が訪れますように。
(※ただし、拾った100円玉は交番に届けましょう。それが真の勇者です。)
FIN
読んで頂き、ありがとうございます。
【メモリーバンク】異端者扱いされた俺が“量子の魔法”を使ったら世界が変わる――
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も読んでいただければ幸いです。




