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水色のスーツ

作者: 六福亭

 自分語りになるけど、聞いてほしい。


 俺の母さんは、水色のスーツを持ってる。ほんとに、プリキュアみたいな水色なんだ。それを上下で着てると、母さんの年齢には不釣り合いなほど派手に見えて、隣を歩くのが恥ずかしくなるくらい。


 でもまあ、俺が思春期に入ったころは、母さんももうそのスーツを着て学校の行事とかにくることはなかった。多分本人も、あんまり好きじゃなかったんだろうね。普通の黒のスーツも持ってたみたいだし。


 その水色のスーツに関して、ヘンな思い出があるんだ。


 俺が幼稚園に通ってたころは、母さんはわりとそのスーツを着てたと思う。卒園式とか七五三とかの写真に、全身水色の母さんが写ってるから。あと、水色の格好をした母さんと夕方の公園で遊んだ記憶もある。何で遊んだとかは全然覚えてないけど、色だけやけに鮮明に覚えてるなんてこと、あるみたいだな。


 ヘンな思い出ってのは、たしか俺が年中さんだった時のことだ。


 その時、俺は幼稚園に行くのがあんまり楽しくなかった。先生が、年少の時の優しい佐藤先生じゃなくなって、やたら厳しい川口先生になったから。朝、熱が出ただのだるいだの言い訳つけて、しょっちゅう休もうとしてたよ。でも母さんにはいつも仮病だって見抜かれて、結局は園に行く羽目になったけど。


 園に行った後も、先生になんべんも体温を測ってもらった。熱が出てたら母さんか親父に迎えに来てもらえるからなんだけど、家に帰りたい時に限って熱は出ない。せいぜいポカリスエットを飲まされるのがオチだった(笑)。


 だけどある日、本当に熱があったみたいで、何回も体温計を脇にはさんだ甲斐あって、まだ午前中なのに家に帰っていいことになった。といっても、そんなに体はしんどくなくて、せいぜい微熱程度だったと思う。だけどチャンスだったから、俺はここぞとばかりにぐったりとソファに横たわってみせた。楽しみにしてた、みんなで見るポケモンのアニメも見に行かずに(笑)。


 それからしばらくして、先生から連絡を受けた母さんが幼稚園に迎えにきた。俺は大喜びで、ちゃんとカバンを持って幼稚園の玄関に急いだ。


 だけど、母さんを一目見て、俺はびっくりした。


 お祝いでもなんでもない日なのに、母さんは水色のスーツを着ていたんだ。先生も、ちょっと驚いたのか、ヘンな顔してたのをぼんやりと覚えてる。


 母さんにおぶわれて、スーツの背中に顔をつけると、つるつるとした感触があった。先生にあいさつして、母さんはそのまま俺をおぶって、歩き出した。


 おぶわれてると、当然母さんの顔は見えない。そのままの体勢で、母さんはこう言ったと思う。

「(俺)ちゃん、おうちに帰ろうね」

 その言葉に俺はほっとして、母さんの背中でうとうとと眠った。


 次に気がついた時、俺たちがいたのは家じゃなかった。ざっざっざって母さんの足音と、ハアハア言う荒い息がやけに大きく聞こえた。目を開けると、大きな木々に囲まれた狭い坂道を、まっすぐに昇っているんだ。


 甲高い鳥の鳴き声なんかも聞こえて、俺は一気に目を覚ました。山道だ。母さんは俺をつれて、何故か家にも帰らずに山に来てるんだ。

 俺が

「どこに行くの?」

 とか、

「家に帰ろうよ」

 とか言っても、母さんは何も答えなかった。上り坂は次第にけもの道かってくらい狭くなって、周りの枝や葉がびしびし顔に当たるようになった。俺は怖くなって、でも母さんの背中から降りることはできずに、水色のジャケットに顔をうずめてべそかいてた。でも、母さんはちっとも振り返らなかった。


 そのうち、なんかいばらみたいなとげのある木の前を通り、母さんのスーツの肩の部分がひっかかれてやぶれた。それでも母さんは何も反応せず、ひたすら山道を昇っていた。昼間でも、木々が太陽をかくしていて、辺りはかなり薄暗かった。


 だいぶ長いこと昇って、とうとう母さんが立ち止まったのは、山の中のぼろぼろの小屋の前だった。屋根も壁も、あちこち腐ってはがれ落ちてた。虫なんかもすげーいて、ただその場にいるだけでもブユとか蚊みたいなちっさい虫がばんばん顔にぶつかってきた。入口らしい戸は引き戸タイプだったけど、どっかで引っかかるのかなかなか開かなくて、何度か母さんがガタガタ戸と戦っていた。

「さあ、おうちについたよ。『ただいま』を言おうね」

 と母さんは、俺を地面におろして言った。俺は完全に混乱してたけど、母さんの言葉に従って

「ただいま」

 とそのボロい小屋の前で言った。

「おかえりー!」

 と明るい声で答えたのは、すぐ隣にいる母さんだった。母さんは俺の手を引いて、今にも崩れそうなその小屋の中に歩いていった。


 家の中は床なんてなくて、雑草が、四方を壁に囲まれた「室内」と呼ぶべき空間でも我が物顔に伸びていた。灯りと呼べるようなものもなくて、戸を大きく開けた外からさしこむ弱い光だけが頼りだった。


 その『家』の壁には、一枚のでかいポスターが貼ってあった。母さんの全身くらい大きくて、だいぶ古い紙のはずなのに、印刷の色はくっきりと残ってた。なんか文字が書いてあったかは覚えてない。でも、そのポスターのことははっきりと覚えてて、今でも時々夢に見る。


 赤ちゃんなんだ。まん丸な青い目で上半身裸の赤ちゃんが、ポスターにでかでかと引き延ばしてプリントされているんだよ。外国人の赤ちゃんが、笑顔で俺たちを見つめているんだ。


 それを見た時、俺は怖くて泣きだした。一刻も早く、この場所から逃げ出したかった。でも母さんはしかりつけるように

「どうして泣くの? こんなに可愛い子なのに!」

 と何度も俺に言った。


 それからのことはあんまり覚えてない。その日の夜親父と遊んだ記憶はあるから、本当の家に帰ったのは確かだけど。ただ、その日からインフルエンザかっていうくらい高い熱が出て、何日も幼稚園を休んだ気がする。


 この出来事は、親父にも、友達にも、母さん本人にも話してない。本人は忘れてるかもしれなくて、「そんなこともあったっけー?」って能天気に返されるだけかもしれないけど。万が一、あの時みたいにまたあの山の中の『家』につれていかれたらどうしようって怖かったんだ。


 今でも、その水色のスーツは家のたんすにしまってあるらしい。親父にこっそり聞いて、探してみてもらったんだ。


 俺はもう社会人で、とっくの昔に実家から出て一人暮らしをしている。実家には正月と盆に帰る程度。母さんも親父も、毎回歓迎してくれる。


 でも時々、ヘンな時間に母さんからの不在着信が入ることがある。夜中の二時とか、三時とか。一度に二十件の不在着信が残ってたこともあった。朝起きて通知がいっぱいたまってると、正直ぞっとしてしまう。


 大したオチがなくてごめん。その着信のことも、母さんにはまだ聞けてないんだ。


 



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