1-09
早くも一年が過ぎ、相変わらず日奈は学校で孤立していた。
ただ一つ変わったのは、去年まで男女5人組で過ごしていた佐奈達がバラバラのクラスになったこと。
そして運が良いのか悪いのか、日奈は藍原那智と同じクラスになってしまった。
「ここはゴミ捨て場かよ。今日は生ゴミの日だったか?」
「………。」
朝一番に那智はそう告げるが、日奈は相変わらず無視を続けていた。
反論をした所で結果は同じだと、罪悪感に駆られながらも本のページを捲る。
「チッ…つーか馬鹿が読める本って何だ。本の価値下がるから読むなよ。」
理不尽な事を言い日奈から無理矢理本を取り上げる。
自分が触れば大好きな本の価値まで下がってしまうのかと、日奈は気を落とした。
「小説ね~、意味分かってんのか?つーか本読む前に人間になれっての。バケモンは本読まねーから。」
パラパラ捲って中身を確認した後、那智は本で日奈の頭をバシバシ叩いた。
『那智くんは、優しい。』
叩かれながら少し微笑ましく思う日奈。
言っている事は酷いがこうやって毎日必ず声をかけてくれる。
昔からそうだった。
何より那智は、夏目のような酷い暴行を振るわない。
それがとても嬉しかった。
「本は悪くないの…ごめんなさい。」
自分の所為で痛い思いをした本に向かって言う。
那智は「分かってんなら読むな。」と本を置いて席へ着いた。
◇
部屋へ帰るとその人は居た。
「おせぇ。」
綺麗な髪をセットし、皺のないスーツを着込んだ夏目遥斗だ。
ソファの背面で背もたれに尻を引っ掛けるようなスタイルで佇む姿は、映画のワンシーンのような美しさ。
しかし甘いマスクだと評判の顔には不機嫌な表情が晒されおり、日奈の心中を別の意味で荒らすのだった。
「学校でした。」
「見れば分かる。さっさと来い。」
言われて近付くとガンッと蹴り倒される。
「立て。」
「っ……、」
立ち上がって再び近付くと再び蹴りを入れられる。
今度は言われる前に立とうとすれば頭をグリグリ足で抑えつけられた。
「あー疲れた。」
「……、」
「学生は良いなぁ…。特にお前は何のプレッシャーもねぇだろ?良いご身分でいらっしゃる。」
夏目は懐から取り出した煙草を吸い始めた。
「日奈ちゃんは良いねぇ。こんな時間に帰ってきて、後はもうやることねぇもんなぁ。」
「…、…っ!」
頭に乗せられた足が退かされホッとしたのも束の間、今度は腹を蹴られる。
日奈は蹴られた場所を押さえてその場でうずくまった。
「はいはい。そんなん良いから。」
足で身体を仰向けに転がし、日奈をベンチ代わりとでも言うように夏目は腰掛ける。
「久し振りだなぁ。半年振りか?」
「…そう、ですね……。」
「俺が来なくて寂しかっただろ。」
日奈の上に座りながら煙草を吹かす。
その横顔を髪の毛の隙間から一瞬見て急いで逸らした。
夏目がここを訪れたのは半年振り。
今年大学を卒業し、今は親の会社を継ぐ為に毎日働きづめなのを安易に想像できた。
だからなのかいつも以上に機嫌が悪い。
「夏目さん…調子は、どうですか。」
「…この後も仕事。わざわざ会いにきてやったんだから喜べよ。」
煙草を持っていない方の手で、日奈の手の甲に爪を立てながら話す。
どれだけ跡がつくだろうと時折引っ掻いて爪を押し付けてと、意味のない行為を続けた。
こうなれば終わるのを待つばかり。
日奈は無心で夏目の気が済むのを待った。
暫く経ち、夏目は煙草を日奈の髪の毛に押し付けた。
日奈の髪は不気味ではあるが質自体は良い。
宝の持ち腐れだと思いつつ、チリチリと焼けていく様を最後に見て夏目は部屋を去っていった。
「たばこ。」
日奈はフラフラと立ち上がって換気扇を付ける。
次いで風呂場へ行き、焼けてチリチリになった髪をハサミで切った。
しかし一束だけ短くては可笑しいと他の髪もバサバサ切っていく。
「………。」
気がつけばヘソまであった髪は胸の辺りまでになっていた。
ズブの素人が適当に切っている為、以前とは別の意味で酷い有り様だ。
「あ。」
ふとハサミを持つ右手の甲が、真っ赤に腫れ上がっているのが目に入った。
髪の毛に夢中で気が付かなかったらしい。
日奈は手に冷水をかけ、感覚が無くなるまで冷やした。
◇
「気は確かか。」
那智の第一声はそれだった。
次の日、日奈はバサバサに切った髪をそのままに学校へ登校した。
その最低ラインからのマイナーチェンジに周囲は好奇の視線を送り、いつも以上に目立っていた。
目も当てられない姿に、日奈を罵声するところから始まる那智の一日が、ただの感想から始まってしまった。
「いや…お前、馬鹿だな。」
那智は呆れたように言った。
日奈の事だ。
自分で切ったに違いないと、読めなかった大胆な行動にまんまと調子が狂わされた。
「お前は貧乏人かよ。」
「…伸びれば、同じ…、」
「違うわ。」
普通に突っ込んでしまった。
『伸びれば馴染むとでも言いたいのか?コイツは、やっぱり可笑しい。』
那智は理解出来ないと頭を押さえた。
「昨夜、髪の毛が…」
「あ?」
日奈が自ら発言をするのは珍しい事だ。
那智は日奈の言葉を素直に待った。
それは怖いもの見たさのような感覚だった。
「燃えてしまったのです。」
「フッ…、」
那智は思わず吹き出してしまった。
髪の毛がこうなった理由が燃えたとは何ともアホらしい。
それを堂々と言うものだから余計に可笑しかった。
「馬鹿だな。だから人間並みになれっつっただろ。自業自得だわ。」
那智は料理中にでも燃えたと思っているのだろう。
煙草の事を話す訳にはいかないので、それ以降日奈は口を閉ざした。
『少しでも、那智くんが笑ってくれたなら…良かった。』
日奈はそのことがとても嬉しかったが、肺から湧き上がってくる煙草の匂いが一瞬で幸せをかき消してしまう。
『煙草は嫌い。』
身体の中に残る煙草の匂いは時間が経てども消えそうになかった。
昼休み、人気のない所でお弁当を食べようと準備をしていれば那智が話しかけてきた。
「おいブス、帰りに美容院行けよ。」
「……。」
よっぽど可笑しいのか。
それとも目障りなのか。
「目障りなんだよ。」
どうやら後者らしい。
日奈が何も答えられずに居ると、教室に那智の友人達が来た。
虎と新太の二人だ。
「マジか。」
紅林虎の第一声はこれだった。
今日始めて日奈の姿を見たようで、口を開けて信じられないような目をしていた。
「最近の幽霊は個性的だな。見なかった事にして行こう。」
八尋新太、彼の方は日奈と関わる必要性を感じていないのか、早々に教室から出ることを促した。
一瞬見ただけで視界から外す姿は見慣れたもので日奈自身も特に何も感じなかった。
「…虎、口。」
「…あぁ、吃驚だわ。」
余程驚いていたらしい。
新太に言われて虎はようやく口を閉じた。
仮にも女の子が適当に切った髪など予測不可能すぎてついて行けなかったようだ。
「忠告はしたぞ。」
那智に言われ頷く。
美容院は行きたくないので使用人の方にお願いしようとコッソリ誓った。