1-08
虎が8歳になった日。
紅林家では初めて誕生日パーティーを兼ねた社交の場が設けられた。
虎は両親に連れられ、様々な人の前に立たされていた。
しかし慣れない環境と人の多さで緊張し、虎は挨拶一つ出来ないでいた。
「はじめまして。紅林悠です。」
一方12歳となった悠は、初めての社交場でありながらも、淡々と己の仕事をこなしていた。
挨拶、世間話、感謝の言葉。
ニコニコと楽しそうに笑いながら完璧に対応していた。
『悠君は流石ね。』
『悠君はお利口さんで。』
『悠君は賢いですな。』
褒められる悠と何も出来ない自分。
悠は出来て、自分は出来ない。
虎はとうとう両親の目を盗んで、会場を抜け出してしまった。
虎には耐えられなかったのだ。
誕生日だと言うのに悠ばかりが褒められる。
「グズッ…ゆーのばかやろー…、」
虎は扉の全開した暗い部屋へ訳も分からず入り、壁を背にしゃがみ込んで声を殺して泣いた。
「うぅッ……、」
誕生日なのにと思えば思うほど涙が溢れ出す。
そして虎は、こうなったのは全て悠のせいだと、兄をひたすら恨み倒した。
「泣かないで。」
ヒョコッ。
全開した入り口からクマのぬいぐるみが飛び出してきた。
虎は驚いてそれを凝視する。
驚きのあまり、さっきまでグルグルと考えていた嫌な言葉が全て消え去っていた。
「どうして泣いているの?」
「……。」
それは可愛い女の子の声だった。
「どこか、イタいのですか?それとも、かなしいのですか?」
少女はクマを使って虎に聞いた。
壁の向こう側から声が聞こえる。
虎は立ち上がり、誰だろうと声の正体を見た。
「……ヒナだ。」
「やっぱり、トラくんだったんだね。」
姿を見られた日奈は今度は自身がピョコッと部屋へ入り、虎と対峙した。
「だいじょうぶ?」
「…るさい、ブス。」
「………。」
泣いている所を見られた気恥ずかしさで、虎は日奈を罵倒していた。
しかし日奈は気にする様子もなく、無言で虎にクマを差し出した。
「トラくん、あげる。」
「…いらねぇよ。」
「クマさんといっしょだったらね、もうトラくんはさみしくないんだよ?」
そう言って日奈はクマを渡した。
「わたしがかなしい時にクマさんはいつもいっしょにいてくれたの。だからね、ヒナはいつもがんばれたんだよ。」
「………。」
「だから、こんどはトラくんを幸せにするの。」
日奈は虎に渡したクマのぬいぐるみの頭をヨシヨシと撫でた。
そして「クマさんがんばって。」と真剣な面持ちで応援した。
「ヒナは?かなしくなったらどうすんだよ。」
話の内容から大切なものだと分かる。
そんなものを貰って良いのだろうか。
「だいじょうぶ。幸せの青い鳥はどこにでもいるの。それでね、大切な人に会えなくなっても、心の中にいるんだよ。だから、さみしくないの。」
日奈はそう言って自分の胸をトントン叩いた。
「…いいのか?」
「いいんだよ。」
ふわりと笑う。
虎はクマに視線をやった。
染みだらけの汚いぬいぐるみだったが、幸せを運ぶ特別なものかもしれないと思った途端、なんだか嬉しくなった。
「ありがとう。」
虎は笑ってそれを受け取った。
これで幸せになれると良い。
「大切にしてね。」
「うん。」
「それでね、トラくん。クマさんはお花がすきなの。」
「お花?」
「そう。だから、たまにお花をつけてあげて?」
日奈の発言に虎は疑問を浮かべた。
何故お花をクマのぬいぐるみに付ける必要があるのかと。
「ヒナがすきなだけだろー。」
「でも、クマさんもきっとすきだよ。ヒナもクマさんもお花がすきなの。」
「でもオレ…お花もってないよ。」
男子である虎がお花に興味がある訳がない。
虎の意見は最もで、日奈はしばらく考えた。
「じゃあ、ヒナがトラくんとクマさんにプレゼントする。」
「ヒナが?」
「うん。えっとね、七夕は一年に一回、おりひめさまとひこぼしさまが会える日なの。それみたいに、一年に一回、ヒナとクマさんが会ってお花をあげるとクマさんも喜ぶよ。」
幸せの青い鳥や七夕の話を持ち出す辺り、日奈は物語が好きだと分かる。
虎は一年に一回という特別な響きに惹かれ、一年後にお花をプレゼントしてもらう約束をしたのだった。
あれから8年が経った。
未だに送られてくるお花のプレゼントは、クマになのか虎になのか…。
その真相を掴めないままでいるが少しホッとしている自分が居た。
日奈はあの頃から少し異常だった。
今程酷くはなかったが、あの時も髪の毛は伸ばしっぱなしで顔の半分を隠していたと思う。
ただ出会ったばかりということもあってあまり気にして居なかったが…
「お前は今幸せか。」
白い花束に身を包んだクマの胸をトントン叩く。
クマは何も答えずに、コテンと後ろへ倒れてしまった。
虎は馬鹿馬鹿しいと軽く笑い、クマを机の引き出しにそっとしまった。