2-15
虎は佐奈からぬいぐるみを預かり、それを大事に抱え込んで日奈の部屋を訪れた。
場所は知っていたが部屋自体に来るのは初めてで少しばかり緊張する。
しかしいつまでも部屋の前で待っているわけにもいかず、思い切って数回ノックをした。
「どうぞ。」
「おう…。」
部屋に通され、一番最初に気になったのは部屋の統一感だった。
どこもかしこも白で固められた空間は、綺麗でありながらどこか冷たい雰囲気が漂っていた。
その嫌な空気に圧倒されて一瞬本題を忘れかける。
しかし手元のぬいぐるみを思い出し、日奈の前にそれを突き出した。
「どういう事だよ。これ、本当は佐奈のなんだってな?」
「そうだよ。」
「…なんで俺にあげたんだ。お前が貰ったんだろ。」
「虎君、あの頃から既に佐奈ちゃんを好きだったでしょ?だからその子も嬉しいかなぁって。」
日奈の答えに虎は言葉を詰まらせた。
捨てた訳ではないのだと分かる。
それでも何かが引っかかっていた。
「普通人に貰ったもんあげるかよ?しかも大切なものなんだろ?」
「そうなの?最初に手放したのは佐奈ちゃんだから…、佐奈ちゃんが要らないなら、私もこだわる必要はないかなぁって。」
「じゃあなんで!なんで毎年プレゼントなんて…!こだわってないとか言うわりにこだわてきたじゃねぇか。矛盾してる。」
虎の言い分に日奈は思考を巡らせる。
確かにそれもそうだと納得した。
それから日奈は何も言わずにベッドルームへ行き、すぐに戻ってきた。
「それっ…!」
戻ってきた時、日奈の手に握られていたものに虎は驚く。
それは不思議な外見をしたクマのぬいぐるみだった。
「虎君の持ってる白いクマさんは佐奈ちゃんで、この子は私。」
「……。」
「決める余地もなかった。決められてたの。佐奈ちゃんが白で私が黒。でも私は白が良かったから、この子を白く塗りつぶしたの。」
日奈の手の中にあるクマは全く同じ形でも外見がまるで違っていた。
白い絵の具で無理矢理塗り潰した形跡のある、元の形が分からないぬいぐるみ。
所々剥がれ落ちている場所からは黒い毛並みが見えており、元々が黒だった事が伺えた。
「可哀想なことしたでしょ?黒ってなかなか白くならないの…。でも塗っちゃったから、もう後戻りは出来ないんだ…。」
「……。」
「その子にプレゼントを送っていたのは、その子に幸せになって欲しかったから。」
その子と指を差した白いクマが佐奈と重なる。
つまり、佐奈の言っていた通り、佐奈の幸せが日奈によって演出されていた事を連想させた。
「佐奈が…お前が幸せを作ってるって言ってた。そんなの自己満足だろ。押し付けがましい。」
「…そっか。そうだよね…。」
「分かったならもう余計なことすんなよ。遙斗さんの事とか…」
「分かった…。今はもう、虎君が居るもんね…。夏目さんはもう、不要だよね…。」
虎は一瞬、嫌な気分になった。
よく分からないが日奈の言葉一つ一つに嫌悪感を覚える。
棘はないのに棘があるような、何もないのに何かがあるような、何とも言えない嫌な言い草だった。
「佐奈のこと…本当は嫌いなんじゃないのか?」
「え…なんで?」
「だって、可笑しいだろ。なんでそこまで佐奈に執着するんだよ。こいつだって、白が良かったなら…佐奈に貰ったまま持っとけば良かったじゃねぇか。」
日奈の言っていることは真実でありながら、どこかズレているように感じた。
話の一番大事な部分を隠して遠回りしているような話し方だった。
「赤の他人には分からないよ。」
「またそれか…。」
「私はその子が欲しかった訳じゃない。私が白くなりたかった、ただそれだけなの。今だってずっと、剥がれ落ちないように塗りたくってる…。」
日奈は冷たい綺麗な声で言って、部屋の壁を優しく撫でた。
真っ白な壁がそこにある。
虎は改めて部屋全体を見渡し鳥肌を立てた。
どこもかしこも真っ白で本人でさえも真っ白だ。
落ち着くはずの色なのに何故か落ち着かない。
虎は異常にしか思えないこだわりに気持ち悪くなった。
「俺らにもう関わんな…。お前のせいで佐奈が傷つく。」
「……。」
日奈は何も答えず虎の方をぼぅっと見た。
その視線や空間そのものに得体の知れない恐怖心を煽られた虎は、逃げるように部屋を後にした。
◇
「佐奈アイツ正気か?病院連れて行った方が良いって…。」
「……病院なら行ってるんじゃない?」
必死な形相で違和感を主張する虎に佐奈は困った顔をした。
どうにかなるものならとっくの昔になっている。
日奈が異様なのは今更な話だった。
「何があったの?」
「ぬいぐるみ…黒いやつ、白く塗り潰してた。見たことあるか?」
「……白くなりたいんでしょ?」
「そう言ってたな…可笑しいだろ…。」
虎が先程見たそれを佐奈も見たことがあった。
決める余地もなく決められていた白と黒のぬいぐるみ。
思い返して見れば、日奈が佐奈に対して我が儘を言ったのは「ぬいぐるみの色は白が良い。」と言った時が最後だった。
「私のせい…私があのとき日奈にこの子を譲っていれば良かったのに…。」
「…佐奈、」
「日奈が我が儘を言うなんて珍しかったのに素直になれなかったの。私は、本当は…黒でも良かった。なのに、意地になって渡せなかった…。」
「あんまり自分を責めるなよ。それにたかがぬいぐるみぐらいで…」
無表情に話す佐奈を見て、虎は大袈裟だと思った。
白か黒かの姉妹喧嘩なんてよくある話だ。
その一瞬の過ちを今になって責めるのは行き過ぎている気がした。
「よくある喧嘩だろ。」
「……。」
赤の他人には分からない。
日奈がそう言ったように、佐奈も同じような感情を抱いた。
日奈の気持ちの全てを佐奈が理解している訳ではないが、少なくとも二人にしか分からない深い感覚があった。
それを否定されるのは何処か癪で、それでも佐奈には言い返す言葉が何も見つからなかった。
◇
翌日、朝一番に佐奈の携帯が鳴った。
意識朦朧と確認すれば『凛子』の表示。
急いで通話ボタンを押すと、電話越しでも分かるくらい張り詰めた空気を向こう側から感じた。
『もしもし佐奈…大丈夫?』
「凛子…おはよ、」
『ごめんね、今起きたの…。何かあったの?』
深刻そうな声に、佐奈はハッとして目が覚めた。
昨夜、余りの辛さに『助けて』とメールをしたことをすっかり忘れていたのだ。
それから佐奈は、昨晩起こったことや現在の心境などを凛子に細かく伝えていった。
『…ごめんね、気付くの遅くて、』
「ううん…私こそ、いきなりごめんね。でもこうやって電話もくれたし、話も聞いてもらえて良かったよ。」
『私だって…!佐奈の色んな感情とか知らなかったし、何にも出来ない自分が不甲斐ないけど、辛い時に頼ってくれるのは素直に嬉しいって思ったよ。だからありがとう。』
嬉しそうにお礼を言う凛子に、佐奈はフフと笑みを浮かべた。
感謝を言いたいのは自分の方なのに、何故か感謝をされてしまった。
流石は凛子だなぁと笑い、最後に少しだけ幸せな気持ちになる。
それは日奈にはなくて自分にはあるものが、ちゃんとこの世にあるのだと実感したからだった。
「私の方がありがとうだよ…。」
『いーや、それ私の台詞だから!マジありがとう!』
「え~!?じゃあ…めちゃくちゃありがとう…!」
『それなら私はベリベリサンキュー!』
「凛子~、もうこれ終わらないよ~!」
二人は吹き出し大声で笑った。
その声で、隣でぐっすり眠っていた虎が目を覚ます。
虎は甘えるように佐奈を抱き寄せ、再び深い眠りへ落ちていった。
『佐奈…?』
「ううん…今、久しぶりに心から幸せかもしれない。」
『そっか…良かった。もしかして私のお陰かな?』
「もちろん。凛子様々だよ。」
佐奈は久し振りに不安を忘れ、今の幸せにただただ浸って微笑んだ。




