2-12
高校最後の夏休みが終わった。
今度はイベントの多い二学期が始まる。
三年生にとっては全て最後の行事であるが、それは同時に受験勉強も大詰めを迎えていることを指していた。
どのクラスにしてもやる気が見えないのは同じこと。
準備や練習を一所懸命行っているのはほんの一部で、どこもマイペースに準備を進めていた。
「芳野さんに報告です。」
体育祭の準備中、日陰で一人休んでいた日奈は顔を上げた。
目の前には笑顔の謙二郎。
いきなりどうしたのだろうと、日奈は首を傾げた。
「俺、進学することにしたから。」
「そう…。」
「動物とか好きだし、トリマーの資格取れたら良いなぁって。一応就職組仲間として報告。」
謙二郎はピースをしながら嬉しそうに笑った。
日奈は頷いて「良かったね。」と返す。
「芳野さんは何か見つけた?」
「特に…。」
「あーそっかそっかぁ…。ちなみに好きなことはないの?女の子なら料理とか小物とか、俺みたいに動物とか。」
まるで担任のように日奈へ提案するその口振りは、謙二郎が新しい夢を見つけたからこそのものだった。
夏休み前はあれだけ夢なんてと豪語し、夢の価値を見いだせずにいた謙二郎がだ。
謙二郎は目標を見つけてから世界の広さを身を持って感じていた。
それ故に、日奈にも夢を見つけて欲しい、同じ感情を持ってもらいたいと思ってしまった。
「真野、何してる。」
遠目に日奈と謙二郎を見つけた那智が、心配をして駆け付けてきた。
一方謙二郎は、待ってましたと言わんばかりの笑顔で迎える。
久々のワクワク感が謙二郎の元にやってきた。
「…ヒーロー登場。」
「馬鹿か。黙れ。」
謙二郎のニヤケながらの呟きが癪に障ると、那智は目の前の頭を思い切り叩いた。
よりによって"ヒーロー"と表されたのが最悪だった。
夏休み前、日奈に「ヒーローと思ったことはない」とハッキリ言われた事を思い出して苦い気持ちになった。
「痛い~!こんなことしちゃうと芳野さんに嫌われるよ~!」
「別に。コイツに嫌われた所でどうにもならんわ。」
「何で何で?仲良いじゃん。付き合ってるんでしょ?」
叩かれた場所を手で押さえながら顔を上げる。
那智は信じられないような顔で謙二郎を見下ろしていた。
「は?」
「いや…だから、付き合ってる感じっしょ?」
「お前…阿呆だな。んな訳ねぇだろ。コイツと俺が釣り合うと思うか?第一、老後までに介護ロボットが開発されてお世話してもらうのを願ってるような奴と誰が付き合うか。」
「何ですかそれ…。」
「別に…。とにかく有り得ないな。噂になってるなら上書きしとけ。マジで鳥肌。」
心底有り得ないといった感じで身震いする那智に、謙二郎の方が驚いた。
真相は予想よりも面白くない。
好きな子にここまで酷く言うわけがないし、照れて言っているようにも思えなかった。
「じゃあなんで一緒に居るわけ?」
「ハァ…コイツ見てれば分かるだろ。適当に扱えるからな。」
「……さいてー。」
「言っとけ。もう変な詮索すんなよ。」
「アイアイサー…。」
最後に睨み付けて離れていった那智に、笑顔を作るのを忘れて返事をする。
「芳野さん、マジ?」
「うん…高性能な介護ロボット、出来たら良いなぁと…。」
「…マジか。」
的外れな回答ではあったが、那智の発言が本当だという裏付けも取れた。
謙二郎はつまらない二人の関係性に大きな溜め息を吐いた。
◇
「芳野さんっていつも何考えてんの?」
昼休みの図書室。
日奈は読んでいた本から顔を上げ、目の前の人物を見た。
そこに居たのは謙二郎で、目が合うと笑いながら席についた。
「妄想とかする?」
「…する、かな。」
「へぇ~、例えば例えば?」
謙二郎が何故ここに居るのか。
それは日奈が図書室に居ることを知っていたからである。
那智と日奈は仲が良いが、いつも一緒に居る訳ではないらしい。
端からよく見ていれば、那智が暇を持て余した時に話している事がよく分かった。
謙二郎はそれを踏まえて、日奈にもっと迫りたかった。
「終活…どうしようって、」
「就活?そっかぁ、芳野さんは就職組だもんなぁー…って言っても一人か。あ、ゴメン…!悪気はなかったんだけど…。」
日奈が最近した妄想は、那智との間で流行っている老後の終活についてだった。
しかしそんな事情を知らない謙二郎は、一人で納得したり今度は焦りだしたりと忙しい。
日奈は相変わらず表情が豊かだと密かに感心しつつ「気にしてないよ」と、いつまでも百面相をしている謙二郎に声を掛けた。
「すまんねぇ…俺馬鹿でさ…。」
「大丈夫。」
「それで、収穫はあった感じ?」
「…ない、かもしれない。」
「世知辛いねぇ。」
実際には探していないと言うのが正しかった。
どうすれば良いのか本当に分からなくなった日奈に、征志はゆっくり探せば良いと声を掛けた。
その言葉に甘え、のらりくらりと何も考えずに過ごしているのが現状だった。
もう話すこともないだろうと日奈は手元の本へ視線を落とす。
すると今度は「芳野さんは何が好きなの?」と質問をされた。
「特に何もない、かな。」
「え?何も?」
「うん…。」
謙二郎は驚いて口をポカンと開けた。
ただ、何度か日奈と話しているからこそ、日奈らしい答えだとも思った。
何かにこだわりを持たない人間なんて理解し難いが、滅多に出会えない人種だとラッキーに思えてくる。
このように謙二郎はかなりポジティブな性格をしていた。
「ほんっとうに何も?」
「なにも…、」
「そっかぁ…。ねぇ、何もないのは苦しい?悲しい?」
「ううん…何もないから、苦しくも悲しくもないよ。」
「そうなんだ。でもそれって、俺から見たら寂しく見えるなぁ。本当に平気?」
「うん。大切なものは、いつも心の中にあるから。」
日奈は青い鳥の話を思い出した。
過去も未来もどこにも居ない。
青い鳥は籠の中。
幸せは一番近い所にある。
「えー?芳野さんって言う事が難しいなぁ…。あ、小説家なんてどう?もし書くなら俺主人公にしてよ。」
「…保留でお願いします。」
「ほりゅ…なにそれ?」
「……参考程度にさせて頂きます。」
保留という単語を理解出来なかったらしい謙二郎に、別の言葉で微妙な断りを入れた。
日奈自身、確かに本を読むのは好きだが、自ら文字をつづる気にはどうしてもなれなかった。
「これ絶対良い案だと思ったのに…つらぁ…、」
「……。」
「あ!じゃあコレは?コラムニスト!それか詩人?あとは脚本家…シナリオライター…あと作詞家!夢ざっぐざくだな。芳野さんすげぇ。」
謙二郎は一人で文字書きから連想する職業を並べていった。
日奈はその様子を茫然と眺めながら、どうしたものかなぁと小さく息を吐く。
一生懸命考えてくれる謙二郎には悪いが、いい加減に一人でゆっくりしたかった。
その後も一人で喋る謙二郎に相槌を適当打ち、こっそり時計を見る。
休み時間終了の六分前。
切り上げるのには丁度良いと立ち上がった。
「芳野さん?」
「もう休み時間が終わる時間。」
「あ、マジ?帰ろ帰ろ。」
急いで立ち上がった謙二郎と共に図書室を出る。
しばらく歩いていると、謙二郎が唸りだして、最後には不思議そうな声で日奈に問いかけてきた。
「俺らさっきまでどんな話してたっけ?」
「さぁ…。」
あまりにも飛んでる問い掛けに、日奈は少しだけ呆れて笑ってしまった。
話せば話すほど抜けている謙二郎は、日奈の周りには滅多に居ない珍しいタイプだった。




