2-08
「佐奈…大丈夫?」
「うん…まぁ。」
芳野家では、佐奈と虎が勉強会と題して共に時間を過ごしていた。
しかし佐奈は朝から心ここに在らずと言った感じで、集中力が持続しないようだった。
「いい加減話せよ。本当はなんかあったんだろ?」
「……。」
虎の心配そうな声に佐奈は少しだけ癒される。
それでも心にあるモヤモヤは晴れそうになかった。
「今日…、日奈と那智が図書館で勉強会してるんだって…。」
「へぇ、意外。」
「…凄く、イヤ。だって那智、今まで日奈のこと嫌ってたのに…なんで急に仲良くなってんの?可笑しいよ。」
佐奈の言い分はよく分かる。
確かにあの二人が仲良くなればなるほど違和感があって、変な気分だった。
ただそれより気掛かりなのは、佐奈の中に未だに那智という存在が居ること。
佐奈から正式に付き合おうと言われて数ヶ月経っているというのに、こうして二人で居ても那智を気にしている。
佐奈を独占しているのは紛れもなく自分であるはずなのに、居ても居なくても邪魔をするあの二人が恨めしくなった。
「チッ……、」
虎は苛ついた結果、舌打ちを零した。
それがどんなに小さくとも、たった二人しか居ない空間では佐奈の耳にも届く。
佐奈はハッとして、泣きそうな顔で虎の顔を見た。
「虎…私の事、そんなにウザイ…?」
「え…?」
「私、捨てられるの?」
「どうした佐奈…いきなり…。」
「だって今…!舌打ちしたじゃん!」
佐奈は虎の身体を力いっぱいに押した。
目には涙が溜まっている。
まさかそんな勘違いをされるとは思わず、余計な事をしてしまったと虎は焦りだした。
「違う違う!今のはあいつらに対するので…佐奈に対してじゃないから!」
「嘘…何とでも言えるじゃん!本当は鬱陶しいんでしょ?こんな事だけで一々傷ついてるなんて面倒くさいって思ってるんでしょ!」
「だから違うって!勘違い!俺のタイミングが悪かっただけで一切そんな事思ってないから!」
「それが本当でも…ずっと思ってたんじゃないの?今だってどうせ、面倒くさい女だって思ってる癖に。」
佐奈に何を言おうが、否定的な考えは悪化する一方だった。
次第に虎は本当に苛立ちを覚える。
勘違いだと何度も言っているのに、一向に信じようとしない佐奈に苛立ちが募った。
「俺そんな信用ないんだ。」
「…信用してない訳じゃないけど、」
「けど何?微妙なタイミングで舌打ちしたのは確かに悪かった。でもここまで責めるの可笑しくね?」
苛立ちを含んだ虎の声に佐奈は俯いて唇を噛んだ。
気分がどっと悪くなる。
「虎…怒ってる。イライラしてる。やっぱり私なんて…、」
「佐奈がそんなんだからだろ?ちゃんと考えろよ。」
「っ…馬鹿にしないで!考えてるよ!」
そう叫んで佐奈は布団の中へ潜り込んだ。
虎の存在を…全ての事を遮断するために、身体を丸めて耳を塞ぐ。
「帰って!」
布団の中からくぐもって聞こえる佐奈の叫び声に、虎は舌打ちを残して部屋を出ていった。
こんなに馬鹿馬鹿しい事で喧嘩をするなどやってられない。
マイナス思考にも程があると、急に佐奈の事が分からなくなった。
「あ、虎君…。」
「……。」
「あの…佐奈ちゃんの様子…、」
「…後で心配するぐらいなら最初から那智と関わんな。佐奈が傷つく可能性とか考えられたんだろ?お前も那智も佐奈も、マジで馬鹿ばっか。いい加減にしろよ…!」
日奈に言ってもしょうがないと、八つ当たりだと理解していながらも虎は怒鳴った。
那智の存在を未だに引きずっている佐奈も、何を考えているのか分からない日奈や那智も。
少し名前が出ただけで悪くなる状況も嫌だった。
「虎君の言う通りだね…分かってたのに、配慮が足りなかった。私のせい。」
「なんで……なんでお前らはそうやってすぐ自分を責めるんだよっ…、」
「虎君…?」
佐奈といい日奈といい、私なんか、私のせいと言ってすぐに自分を責める。
別に責めるのは構わないが、慰めれば慰めたで否定的な返答を繰り返す佐奈はもっと嫌だった。
「お前ら面倒くさい。意味わかんね…。」
「佐奈ちゃんのこと?」
「そう。お前の妹。どんだけ優しくしてもすぐ私なんかって…被害妄想激し過ぎ。頭可笑しいんじゃねぇの?」
今まで我慢してきた言葉が爆発するように次から次へと出てきた。
いつだって言葉を選んで佐奈に寄り添ってきたが、ここまで拒否されては我慢ならなかった。
「佐奈ちゃんの頭は可笑しくないよ。」
「可笑しいだろ?」
「本気で言ってるの?」
「それは……、」
少し冷たい声で言った日奈に口ごもる。
彼女に対して頭が可笑しいなど、言い過ぎだったと思う。
「不安、なんだよ…。」
「俺が不安にさせてるって?」
「違う。佐奈ちゃんは…人が怖いの。私のことも、パパのことも、ママ以外は信用してない。」
「じゃあなに?俺がしてる事って無駄じゃん。俺は佐奈のママじゃねぇ。」
日奈の主張は益々虎を混乱させた。
そんな事を言われては、どうしようもなかった。
「虎君は知ってるでしょ…。ママは…帰ってこない。それが怖いの、大切な人を失うのが怖い。今だってずっと、佐奈ちゃんは脅えてる…。」
「……。」
虎はようやく冷静になる。
分かっていた。
分かっていたからこそ、佐奈の隣に居たかった。
佐奈は今でも、もう帰っては来ない母の存在を愛していた。
絶対的なその存在を越えることも並ぶことも難しいと知っていて、いつの日かを夢見ていた。
「知ってる…分かってたはずだけど…。」
「虎君は、ずっと頑張ってるよ。」
「そうだな…、」
虎は自虐的な笑みを浮かべる。
答えはとっくの前に自身で出していた。
「佐奈ちゃんと、別れたい…?」
虎は何も言わなかった。
答えられなかった、と言った方が正しいのかもしれない。
今の虎には佐奈と別れる考えはないが、以前のように佐奈を幸せにする自信が無いのも事実だった。
そんな本音がとっさに出てこない。
それほど虎はいっぱいいっぱいになっていた。
「私もね、寂しいよ?虎君と一緒、私はママになれないもの…。だけどね…私は佐奈ちゃんを諦めない。」
「随分…妹想いだな。」
「だって、佐奈ちゃんにはパパも虎君も居るけど、私には佐奈ちゃんしか居ないでしょ?」
「知らねぇよ…、」
虎は呆れたように言ってから、那智の存在を思い浮かべた。
佐奈しか居ないと日奈は言ったが、最近は那智と行動を共にしている。
それでいて佐奈しか居ないという発言をした日奈が、どこか引っかかった。
「那智は?」
「那智君…?」
日奈はウーンと考え込んで、質問の意図を理解した。
そして那智との関係について、一番当てはまるだろう表現を口にした。
「那智君との関係は、ぬるま湯に浸かっているような…冷たくも暖かくもない関係。だから、そんなに重要じゃない。」
「…辛辣だな。」
「そう…?楽、だよ。可もなく不可もなく…。」
消えていく小さな声に、虎は思うところがあった。
今まで一人で居た日奈にとって、那智が特別であるに決まっていると践んでの考えだった。
「お前もさ…誰かに愛されたいとか思ってんの?」
「うーん…そんなに思わない…。」
「は?なんで?」
本来ならば大半の人が肯定するだろう質問に、日奈は否定を示した。
予想に反した答えに、虎は奇妙な顔をする。
「何を持って愛と呼ぶのかな?虎君は、本当の愛を知っている?」
「はぁ?」
「愛は、この世に一つしかない。私の中にだけあるの…。だから他は愛とは呼ばない。ピンポン球みたいに軽くって、中身のない空気みたいなもの…。それって必要?」
日奈ならではの持論を展開されたが、虎には理解出来なかった。
むしろ、その考えの冷たさに苛立ちさえ感じた。
「じゃあ何?例えば他人に優しくしてもらったとしても、お前はそれをピンポン球だって言うの?」
「だって…確証がないものを信じられない。ただでえさえ愛なんて形に出来ないんだから…。だから、この身体の全神経が震えるような愛以外を私は認めない。それはこの中にしかない。」
「……自己愛?」
「…そう言う部分も含まれてるのかな?でも、全然違う。」
虎は言葉をなくし、黙り込んだ。
日奈はやっぱり可笑しいと、改めて感じるばかりであった。
「私は本当の愛を知ってる。私には…分かるの。多分、他人には理解出来ないと思うけどね…?」
「あぁ…全く理解し難い。佐奈と割ったら良い感じなんじゃね?お前の冷たさと、佐奈の暖かさ。」
「……。」
「帰るわ。」
日奈と出会って疲れがどっと溜まった虎は、俯き気味に帰っていった。




