2-05
チャイムの音と共に日奈が教室へ入ってきた。
那智はそんな日奈に興味深々と声を掛けた。
「寝坊なんて珍しいな。」
「…最近、徹夜続きだったの。」
「へぇ、とうとう勉強でも始めたか?」
「……。」
日奈はその問い掛けに躊躇して言葉に詰まる。
しかし何時までも返答を待つ姿勢の那智に、答えるしか選択肢がないのだと口を開いた。
「プレゼントを、作ってた。」
「プレゼント?」
「昨日、虎君の誕生日だったんだよ。」
「あぁ……なるほど。」
日奈が渋った理由はこれだった。
虎の名前が出た途端、あからさまに嫌そうな顔を那智はした。
どうやら佐奈の話では、那智や新太、凛子など、虎の友人は誰一人として来なかったらしい。
虎本人は口にしないものの落ち込んでいるに違いないと、この状況を作った一因である佐奈は罪悪感いっぱいにそう語った。
そして昨夜はせめて自分が側にいて皆の分を埋めるんだと、二人一緒に過ごしたらしい。
寝不足も多少はあるが、実はこんな話を朝からしていて遅刻してしまった。
「わざわざプレゼントね…マフラーでも編んだか?」
「そんな大層なものは作れないよ…。」
冷たい空気が流れたままに担任が教室へ入ってくる。
号令、朝のHRが始まった。
「それで、あいつらは?」
「私には、分からない…ごめんね。」
「あっそ。役立たず。」
「…気になるなら行けば良かったのに。」
「チッ…シネ。」
図星とばかりに那智は黙り込んだ。
いつも日奈に幼なじみの動向を聞いて、これでは未練があると言っているようなものだ。
新太とは和解したものの、クラスが違うため自然と距離が出来た。
凛子とは冷たくして以降、互いに目を合わせる事さえなくなった。
虎とはもう何ヶ月も話していない。
最後に話したのは去年起こったあの事件が最後だ。
佐奈の隣には虎が居る。
佐奈を避けるなら、自然と虎のことも避けるしかなかった。
「幼なじみって特別なんだよね、きっと。」
「だから…?」
「だったら、いつかは分かり合えるはず。今は、何も心配しなくて大丈夫。」
「何を根拠に?」
ハッキリ大丈夫だと言い張った日奈に那智は純粋な疑問を感じた。
何故そこまでハッキリ言えるのか、果たしてその言葉の根拠は何なのか。
知れるものなら教えて欲しかった。
「根拠はないよ。私の感、かな?」
「あー…真面目に聞いた俺が馬鹿だったわ…ふざけんな…。」
「でも、女の感はよく当たるって。」
「お前っ…!自分が女だって自覚あったんだな!?つーかその外見でよくもまぁそんな台詞を…やっべ…、」
沸々と笑いが込み上げてきた那智は肩を震わせて笑い出した。
口を手で押さえて笑い声を無理やり抑える。
お腹が痛くなるくらい面白かった。
「あー腹痛い…ヤベェ、マジヤベェ…。」
「そんなに可笑しかった?」
「普通に可笑しいだろ。まぁ、女の感…?参考にさせてもらうわ。」
尚も笑いが止まらない。
ツボに入った那智はニヤニヤしながらそう言った。
大変失礼な反応ではあったが、楽しそうで何よりと、日奈は内心ホッとした。
◇
「那智とアイツ、付き合うの時間の問題だよな。」
「アイツって?」
学校の帰り道、唐突に投げ掛けられた質問に凛子は疑問符を浮かべた。
那智の名前など随分聞いていなかった為、新太が誰を差してそう発言したのか見当も付かなかった。
「芳野日奈。姉の方。」
「あぁ…あの子。」
うっすらと記憶の片隅に居る佐奈の姉を思い返す。
一年の頃に同じクラスだったが話す機会は一度もなかった。
佐奈との間で話題に出る事もないので、凛子は見て分かる情報以外で日奈のことをあまり知らなかった。
「那智も変わり者よね。こんな美人が近くに居ながらあんな子と連むだなんて…。」
しかし“那智の趣味が変わった”と噂程度には聞いていた。
その相手が日奈という異質な存在であるという事は、何かの気紛れか新しい遊びとしか思えない。
あれだけ嫌っていた日奈に対し、那智が今更恋愛感情を持つとも思えなかった。
「何であんな子と一緒に居るんだろ…。まさか好きになっちゃったのかな?」
「いやいやまさか。那智は自分より下の立場の人間を置いておきたいだけなんだ。あいつプライド高いし上から目線キツいじゃん。」
「そうなんだ?」
凛子は那智の今までの態度を思い返してみた。
確かに言われてみればそんな気がする。
確証はないが腑に落ちる所はあった。
「確かにねぇ…那智って何考えてるか分かんないし案外似たもの同士でお似合いかも?」
「お前……前は引っ付いてた癖に。」
「だって!ずっと無視されてるし、嫌な気分になるでしょ?しょうがないでしょ!」
「そんなに怒んなよ…。」
新太が呆れるのも無理はなかった。
何故ならば、半年前までの凛子と那智は周りが付き合っていると勘違いするほど仲が良かった。
そんな二人が今では廊下ですれ違っても目さえ合わさない。
那智はあからさまに凛子の存在を無視し、凛子も見て見ぬフリを決め込んでいる。
「怒ってないよ…別に…。」
凛子自身、自分がずけずけと踏み込みすぎた点は嫌なくらいに反省していた。
それは那智を怒らせたあの瞬間を思い出す度に自己嫌悪に苛まれ、深く後悔の念が押し寄せるほどに。
半年経った今でも那智の事を考えるだけで襲われるそれに、凛子は恐怖さえ抱いていた。
それなのに謝罪をする機会を与えてもらえず、あっという間に時ばかりが経ってしまい、遂には諦めを決心する境地に至ってしまった。
まるで逃げるように凛子を避ける那智を見ていると、どうやって話していたのかも忘れてしまっていた。
「でももう良いんだ…。那智って皆の事も避けてるんでしょ?だからそこまで気にはしてない。」
凛子は思う。
佐奈には虎が、那智には日奈が、自分には新太が居る。
収まるところに収まった今の状況はそこそこ幸せなのではないかと。
ただ、凛子は新太とどうこうなるつもりはまるでなかった。
以前凛子は、新太が佐奈を好きだと知った時に嫉妬心を抱いたが、それはあくまでも異性としての認識があったという事実が判明しただけであって、特別な感情が生まれた訳ではなかった。
そもそも凛子にはモデルとしての夢がある。
過去の恋愛から依存体質だと自己分析している凛子は、今は恋より夢を第一に考えて過ごしたいと思っていた。
「それより八尋。私と二人で歩ける事に感謝して何か奢ってよ。」
「はぁ?…誰が奢るか馬鹿。」
「ちょっとちょっと。ちゃんと分かってる?本当は男子と下校なんて私の決まりに反してる事なんだからね。そこら辺理解しなさいよ。」
「ん?話が違うぞ。それなら最初から女友達と帰れカリスマ。」
話題を変えて無茶苦茶な事を言い出した凛子を新太は冷たい目で見た。
こうやって帰路を共にしているのはいつも凛子からの誘いだった。
それをあたかも新太主導で行っているかのように言われては堪らない。
「佐奈は方向逆だし…。」
「他のダチは?」
「……。」
凛子が何も答えなかったことで気持ち悪い間が出来る。
クラスが違うので詳しくは分からないが、何か問題が起こっているだろう事だけは窺えた。
そして一気に暗くなる表情に、恐らく人間関係が上手くいっていないことを悟った。
「いつもね、佐奈と2人で居るの。楽だし楽しいし…。」
「あー分かる分かる。そう言うダチって居るよな。」
「そう…。だから佐奈さえ居れば新しい友達なんて要らないって言うか…そもそも三年目だとグループって決まっちゃってるし、今更新しい友達とかそんな雰囲気もないし…。」
しんみりと語る凛子にご愁傷様と内心手を合わせた。
今の凛子には悪いが、新太は今のクラスで楽しく過ごしているので思う所が一つもない。
思い返せばのらりくらりと誰とでも仲良くしてきた新太だからこそ、今の環境を手に入れたのだろう。
「あーあ。どこで間違えちゃったのかなぁ…。なんて、こんな言い方したら佐奈に失礼だよね?でもさ、本当ならこんなはずじゃなかったんだよ。まさか仲違いするなんて思わないしさ。」
「そうだな…。」
那智に無視をされてからの凛子は青春が終わったような気分だった。
格好いい那智、可愛い佐奈、その彼氏の虎、心を許せる新太。
全てが完璧で、このメンバーさえ居れば他は何も要らないと本気で思っていた。
それが一つ崩れ落ちたのをキッカケに、青春が終焉を迎えてしまった。
残ったのは後悔と虚しさ。
誰にでも優しくする佐奈とは違い、凛子は決まったメンバーとしか接してこなかったため、友達の作り方を忘れてしまっていた。
格好いいと思っていた生き方が違うと分かった今、佐奈と新太ぐらいしか話せる人が居なかった。
「私って馬鹿みたい…。」
「……。」
本気で落ち込み始めた凛子に新太は溜め息を吐いた。
「で、何食いたい?」
「え?」
「アイスぐらいなら奢ってやるけど。」
「っ…良いの!?いや…やっぱり良いよ…悪いし…。」
「何だよ。ころころ意見変わるなぁ。」
急に謙虚になった凛子に新太は吹き出して笑った。
本気で申し訳なさそうに話しているのを見れば、さっきの発言が冗談だったことが伺える。
その様子を見ているうちに、新太は益々奢っても良いという気分になってきた。
「本当に良いのか?」
「うん。それより夏休みどっか行こうよ。パァッと遊ぼう!」
「…本当は男子と下校しちゃ駄目なんだろ?」
「良いの良いの~。八尋とか眼中にないから!」
「一回シネ。もう絶対何があっても奢らないからな。それにお前の方が金持ってんだろ。」
「持ってないよー。」
ようやくいつもの調子に戻ってきた凛子に新太は満足げな表情を浮かべた。
こうやって笑い合っている方が断然良い。
「嘘付け。」
「ホントホント。モデルってお金にならないんだよ?衣装とか化粧品とかお金が掛かって毎月大変。私なんてまだまだ駆け出しだから余計に…。」
「へぇ。意外に大変なんだな。」
「そうそう。奢る気になった?」
「行き着く所はそこか。どっちなんだよ、馬鹿か。馬鹿なのか。」
笑い声を上げた凛子を見て、新太は次の言葉を考える。
2人の言葉遊びは別れ道まで永遠と続いた。




