2-04
「意外と気が強い方?」
「たしかに…そうかもしれないです。」
「ごめん。悪い意味じゃなくて、意外でさ。」
「いえ…全然大丈夫です。」
一瞬聞こえた冷たい声に怒ったのかと悠は思った。
しかし次に聞こえた気にしてないような声色に、安堵の溜め息を吐いた。
かなり踏み込んで遊びすぎたかもしれない。
「ごめんごめん。虎との関係が不思議でからかいたくなったんだよ。弟をイジメる話題が欲しかったんだ。」
「虎君が嫌いなんですか…?」
「まさか。アイツは可愛いよ。素直じゃないし。だからイジメたくなる。男は皆、好きな子ほどイジメたくなるものなんだよ。」
そう言われた日奈は佐奈の顔を思い浮かべた。
佐奈は可愛い。
年子と言っても妹である事に代わりはないし、何より普段が素直じゃないぶん、素っ気なくされればされるほど構って欲しいと思っていた。
たまに話しかけられると、いつもの反動で幸せが倍になるほど…。
「その気持ち…分かります。」
「そうなんだ。日奈ちゃんもイジメたくなるくらい好きな人が居るんだ。」
「イジメはしません…。でも私も姉だから、妹が可愛いなって。」
「あぁ…佐奈ちゃんか。あの子は確かに可愛いね。」
悠は佐奈を思い出す。
ちょうど二年前に一悶着あったが、あの頃より更に垢抜けて綺麗になった。
だからと言って、妹のような感覚が無くなった訳ではない。
お互い納得したように頷きあった。
「あの…お先に失礼します。」
「ぁ、日奈ちゃん。」
「…はい。」
これ以上話すことはないと退散しようとした日奈だったが、悠は思わず引き止めた。
特に何があった訳ではないが、反射的に呼び掛けてしまった。
「何か?」
「いや…。」
何か話題はないかと視線を逸らすと、白いクマのぬいぐるみが目に入った。
先程も思ったが、今年はこの子の為に洋服を作ったらしい。
「これ。まさか手作り?」
「はい。」
「凄い。こんな事出来るんだ。」
「ありがとうございます。」
当たり障りのない相槌程度の返事しかしない日奈に悠は溜め息を吐いた。
時間もないし今回は諦めようと思った。
「日奈ちゃん。また良かったらお話ししようね。」
「ありがとうございます…。」
悠はフと、何故ここまで日奈に興味が湧くのだろうと思った。
元を辿れば虎との関係が原因で、先程日奈に説明した通りではあるが、他にも何かがある。
その何かが分からなかった。
「日奈ちゃん。そう言えば僕の名前、名乗ってなかったね。」
「…そうですね。」
「紅林悠。今更ながら宜しく。」
そっと手を差し出せば、おずおずと白く小さな手が差し出された。
ギュッと握ってみても小さな手。
ちゃんと食べているのか心配になるくらい細い手首は、握っただけで折れそうにも見えた。
「冷たい手。心が暖かい証拠かな?」
「いえ…そんな事はありません。」
「いやいや、否定しなくても…。」
日奈は握られた手をそっと引き抜いて後退りした。
その様子を見て悠は益々興味深く思う。
「じゃあ心が冷たいのかな?」
「え…。」
「なんて、間に受けないでね?冗談だよ!」
日奈は悠の発言に一瞬ドキリとしたが、そこまでだった。
何故か日奈は笑いが込み上げてきて、「わかってます」と可笑しそうに返した。
「長く引き留めてごめんね。」
「わざわざ声を掛けて頂きありがとうございました…悠さん。」
今度こそ本当に別れる。
次は一年後か、再び二年後となるか…。
とにかく当分会う事はないだろうと、悠は暖かい手をスーツのポケットへ突っ込んでそっと笑った。
◇
パーティーも終盤を迎えた頃、適当にサボっていた悠の前に虎が現れた。
虎は悠の存在に気が付いていないようで、やはり一目散にクマのぬいぐるみを手にとっていた。
「可愛い洋服だな。」
「……悪趣味だろ。」
「そう?一生懸命作りましたって感じが滲み出てて健気じゃない。日奈ちゃんやるね。」
唐突に背後から現れた悠に対して言った罵倒だったが、日奈の事を知られていた衝撃で虎はフリーズした。
隠していた訳ではないにしろ、多少知られたくないと思っていた。
それだけに、悠に知られてしまった事実が大変不愉快だった。
「二年前も今日もたまたま見かけただけ。日奈ちゃん一途で可愛いな。」
悠は降参のポーズをして言った。
弟の虎はどうも恥ずかしがり屋らしく、家族にはどんな些細なことも話さなかった。
そんな会話のない関係が何年も続いているが、最近になって虎の扱い方を少しずつ把握してきた。
虎を刺激し、次に不満を解消させ、また刺激するという微妙な駆け引き。
これが悠の楽しみだった。
「兄貴には関係ない。」
「確かにそうだな。」
「……詮索すんなよ。鬱陶しい。」
「だからしてないって。まぁそんなに怒んな。別に悪い事じゃないんだから。」
これ以上は何も言わない方が良いと、悠は苦笑いを浮かべた。
虎は悠に心を開かない。
昔よりも増して酷くなった関係に、寂しいとさえ感じていた。
「でも…そんなに心が籠もった物が貰えるなんて貴重だよ。大切にしな。」
今時手作りなんて珍しい。
そしてどこか夢のあるプレゼントに、悠は微笑ましい気分になった。
悠の周りには、そんな暖かい存在が一人も居ない。
「うるさい。」
「…はいはい。」
何を言っても無駄だと分かり、悠は部屋から退散した。
「分かってるっつの。言われなくても…。」
白い衣装に身を包んだ白いクマ…それをもう一度手に取った。
虎は毎年、日奈のプレゼントを密かに楽しみにしていた。
それは他の誰よりも、丹誠を込めて用意されていることが伝わってくるからである。
わざわざ悠に言われなくとも大切にしているし、日奈の考えは相変わらず読めないが、毛嫌いする程ではなくなっていた。
「あ…。」
虎は手作りの洋服を触っているうちに、ある刺繍を見つけた。
そこには筆記体でこう書かれてあった。
『Happy Birthday TORA.』
虎はその刺繍をしばらく指でなぞり、そしてクマを抱き締めるとしゃがみ込んだ。
訳も分からず鼻の奥がツンと痛くなる。
このぬいぐるみ自身へのプレゼントだと思っていたものが、クマでも悠でも誰でもなく…自分だけを祝っていた。
その事実が堪らなく虎の胸を締め付けた。
「俺は、ここに居る…、」
このクマの存在が、自分がここに居て良い理由となる。
例え悠のように求められなくとも、白いクマだけが虎の側に寄り添ってくれた。
「佐奈もコイツも居て…幸せだな。」
ぬいぐるみに顔を押し付けて笑ってしまう。
いつの日か聞いた青い鳥の話のように、目を瞑っただけで会えた大切な人を、虎は大切にしたいと心から思った。




