2-02
「話って?」
帰り道、那智はそう切り出した。
謙二郎と日奈が呼び出しをくらうなど思ってもいなかった那智は、呼び出しの原因が気になって、わざわざ待ってしまったのだ。
「進路のことだよ…。私と真野君だけが就職を希望してるんだって。」
「だから言ったろ?もっと現実見ろって…つーか勉強しろ…!」
ようやく納得出来たが、スッキリした途端に今度は怒りが沸々と湧き上がってきた。
日奈の考えの無さを思い出すだけでも苛立ってくる。
那智の眉間には嫌でも皺が寄ってしまった。
「そうだね…頑張ります。」
「言ったな…。言ったからには頑張れよ?」
「うん。」
那智はようやく満足して落ち着いた。
それから今度は謙二郎を思い出す。
那智はシネと小さく呟き、そう言えばと切り出した。
「一応アイツには気を付けろ。」
「あいつ…?」
「真野だよ真野。あいつには何も話すな。ネタにされるだけだし。」
那智が謙二郎を睨んだ理由はそれだった。
謙二郎は話すのが好きでいつもウルサい。
そう言う意味でよく目立つ謙二郎が、噂好き…或いは口の軽い男に見えるのは仕方がない事だった。
これ以上学校で目立ちたくない那智は、釘を差すという意味で睨みつけた。
ただ結果として、那智が嫉妬心を剥き出しにしていると謙二郎は思い込んでしまっているが…。
釘を差したはずの行動が裏目に出ているなど、那智は知る由もなかった。
「うん、気を付けるね。」
◇
日奈が帰宅すると私服に着替えた佐奈と鉢合わせた。
「ただいま…。」
「……お帰り。」
佐奈はぶっきらぼうに言ってキッチンへ向かう。
「虎くん来てるの?」
「うん…。」
「そっか…。」
佐奈の後ろを追い掛けながら日奈は話した。
キッチンに入り、佐奈が適当にお菓子を物色してお盆に並べていく。
日奈はその様子を伺いながら佐奈を見つめた。
「なに?」
「最近、虎君と上手くいってるんだね。」
「まぁ…これからは虎以外とは寝ないって決めたし。」
「そう…どうして?」
佐奈は不機嫌そうにしばらく考えた。
自分でもよく分からない。
ただ、虎を信じてみたいと思ったのだ。
「一途だからじゃない…?」
「そっか…きっと虎君も嬉しいと思う。良かったね。」
嬉しそうに言う日奈の声に溜め息が出た。
日奈の言う通り虎が喜んでいれば良い。
でも始まりがあれば終わりがある事を佐奈は知っていた。
幸せなんて儚い幻想に過ぎない。
「さぁね…私なんてすぐに捨てられるよ。」
「そんな事ないよ…。虎君は一途だから…。」
「今だけね。」
佐奈はやはり不機嫌そうに冷蔵庫から飲み物を出した。
考えれば考えるほど嫌な気分になる。
「捨てられたら私が拾うからね…?」
「なにそれ。イケメンに生まれ変わってから言って。」
佐奈は思わず笑い声を上げた。
可笑しそうなその声に、日奈も釣られて楽しそうに笑った。
「そっか…イケメンにならないと駄目なんだね…。整形するしかないのかな?」
「女じゃん。しかも性転換しても身長ないし論外。て言うかキモイ。一回死んで。」
「じゃあ無理だね…。」
シュンとする日奈に、佐奈は無言でクッキーを二つ渡した。
受け取った日奈はふわりと笑う。
「ありがとう。」
佐奈は何も言わずにキッチンを出て行った。
日奈は笑い、クッキーを一枚取り出して食べた。
那智といい佐奈といい…とても良い1日だったと、日奈の心がとても暖かくなった。
佐奈はお菓子と飲み物を持って部屋へ戻った。
扉は開けっ放しにしていた為、すんなりと入れた。
「ちょっと遅かったな。」
「日奈と話してたの。」
「ふーん…。」
虎はお盆を受け取りながら疑問に思った。
佐奈はたまに日奈の悪口を言う事がある。
本来ならばただの姉妹喧嘩だと済ませられるが、あの日奈が喧嘩を引き起こすとは思えない。
いつも虎は何故ここまで佐奈が怒るのか理解できなかったが、悪口を言う以外の殆どは比較的普通の姉妹関係のようで、わざわざ話題には出ないものの普通に話はするようだった。
「どんな話?」
「普通。」
「普通って?」
「えー?普通だよ。話すほどの事じゃないしー。」
虎はそれもそうかと納得した。
虎自身昔は兄の悠と喧嘩する事がよくあった。
今は互いに落ち着いてしまったが、よく喧嘩をしていた頃は佐奈と同じような感じだった。
憎い時は憎いし、何でもない時は何でもない。
深く考える必要もないくらいこれが普通の姉妹の形だった。
「でも何だかんだで落ち着いて良かったよな。」
「いきなり何?」
「え?だってようやく佐奈が俺のもんになったし…スゲェ幸せ。」
「…うん。」
本当に幸せそうに笑う虎を見て佐奈は照れたように俯いた。
改めて言われるのは恥ずかしいものがある。
そんな佐奈を見て虎は満足そうに笑った。
「大切にするから。」
「うん…。」
虎の大きな手が佐奈の小さい手を握り締めた。
佐奈の全てを包み込むような虎の暖かさに涙が滲む。
この瞬間が一生続けば良いと思った。
◇
夜も更けた頃、日奈の部屋にノックの音が響いた。
本を読んでいた日奈は顔を上げて扉を見る。
「来て。」
顔を覗かせた佐奈が不機嫌そうにそう言った。
この様子にこの台詞…用件が一目で分かった日奈は急いで立ち上がった。
「遙斗さんいい加減にウザくない?」
「…そうかな?」
「顔も見たくない。ウザい。」
嫌悪感たっぷりに言う佐奈を見て、日奈は少し俯いた。
「佐奈ちゃん…何かされたの…?」
「何も。存在が嫌いなだけ。」
「そう…、佐奈ちゃんが嫌いなら、私も嫌い。」
日奈の返答に気を良くした佐奈は可笑しそうに笑った。
同調してもらえるのは気分が良い。
そんな話をしながら二人は夏目遙斗の元へ向かった。
「遙斗さんただいま。」
「お帰りなさい。日奈ちゃんも久しぶり。元気そうで何よりだよ。」
ニコリと笑顔を浮かべる佐奈に夏目もニコリと笑顔を返した。
しかし夏目の視線は日奈ばかりへ向かう。
嫌々作った笑顔を無駄にされた気がして、佐奈は八つ当たりに日奈の足を痛くない程度にちょこんと蹴った。
「二人共座ってよ。お土産にケーキを買ってきたから一緒に食べよう。」
「わぁ…美味しそ~。ありがとうございます。」
「ありがとうございます…。」
日奈と佐奈は夏目の目の前に着席した。
父の忠志は仕事の都合で今日は居ない。
来るなら来るで前もって連絡を入れて欲しいと佐奈は内心悪態を吐いた。
「今年二人は受験生だね?進路はもう決まった?」
「いえ、まだ何も。」
「日奈ちゃんは?」
「何も決まってません…。」
佐奈は苛立ちのあまりバレないように小さく貧乏揺すりをした。
夏目はいつもそうなのだ。
佐奈に話題を振り、最終的には日奈の動向を伺ってくる。
特に忠志が居ない時が酷く、最初から佐奈は居ないものとして扱われた。
「進学?就職?」
「まだ本当に何も…。」
「就職なら僕の職場に来ると良い。日奈ちゃんが出来そうな仕事もあるからいつでも頼って。」
「はい…ありがとうございます。」
あっという間に蚊帳の外。
こんな事を平気でする夏目が嫌いだった。
それでいて佐奈は夏目と関係を持ったことがある。
日奈にも誰にも話した事はないが、佐奈の初めての相手は夏目だった。
何故嫌いな人間と関係を持ったのかと言えば…若気の至りとしか言い様がない。
ただ心のどこかで日奈以上に自分も愛されるかもしれないと期待していた部分が大きかった。
「遙斗さんは相変わらず日奈が大好きなんですね?」
「…そうだね。否定は出来ないな。」
それなら最初から日奈だけに声をかけろ、と佐奈は思った。
いつだって一度は佐奈に声を掛けて、次の瞬間には日奈を呼びに行くように差し向けてくる夏目。
思い出すだけでも腹が立った。
「私はお邪魔かなぁ…ケーキも食べ終わったし部屋に戻りますね?遙斗さん、ケーキ美味しかったです。」
「そう、喜んで貰えて良かったよ。」
佐奈はフフ…と笑って退席をした。
そして部屋を出るや否や、適当な壁をドンと蹴って呟いた。
「あんなに不味いケーキは初めて。」
夏目が持ってきたチーズケーキ、それは日奈が幼い頃に好きだったものだ。
今現在も好きなのかは知らないが、日奈の為だけに買ってきたのは一目瞭然だった。
「遙斗さんも日奈も大嫌い。」
口内に残るチーズケーキの味が不快で、佐奈はキッチンへ行くとジュースを一気に飲み込んだ。
口いっぱいに広がるジュースの味に、佐奈は勝ち誇った笑みを浮かべる。
しかし笑えば笑うほど悲しみが溢れ、目に涙が溜まってしまった。
「二人とも…嫌いよ…大嫌い。」
スンと鼻を鳴らしながら目を両手で覆う。
今度はキツく蓋をして、泣くもんかと無理矢理笑ってみせた。




