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「や、やっぱ警戒するか~、するよね~。でも俺は芳野ちゃんに興味があるし~。」
「ありがとうございます。」
「えっとじゃあ…成立?」
「……。」
動揺を微かに隠せないまま会話を続けるも、日奈は否定も肯定もせずに固まってしまった。
まさかロボットだったなんてオチ…と馬鹿な考えを巡らし、日奈の肩をチョンとつついた。
「なんでしょうか。」
反応が返ってきた事にホッとしつつ、もう一度距離を詰める。
やりにくい相手だった。
「俺さ…昔イジメられてたんだよね~…」
「……。」
「だから、芳野ちゃん見てるとほっとけなくて…最近藍原と一緒に居るだろ?俺、心配で…」
勿論謙二郎にそんな過去は存在しない。
ただ、秘密を知るには秘密の暴露が手っ取り早い方法である事を謙二郎は知っていた。
「そう…ありがとう。でも大丈夫。那智君は幼なじみだから…本当は優しいよ。」
「…へぇ、」
「辛かったんだね。」
謙二郎の思惑通り敬語ではなくなったものの、返ってきた言葉は予想に反するものだった。
驚きの余り渋い顔をした謙二郎を見て、辛い経験を思い出したのだと勘違いした日奈に同情されてしまった。
あまりの情けなさに思わず溜息が出る。
「……。」
「あー…ごめん。でも藍原って陰では優しいんだ。ちょー意外。」
「陰?」
「教室以外でだよ。」
「教室以外…では話さないよ。それにいつも怒ってる。でも優しいの。」
謙二郎は益々混乱した。
教室での態度を見て優しいと感じているならそれこそ相当なドエムに違いないと。
そうでなければ成り立たない。
「真野君にはきっと、分からないよ。」
少し誇らしげに言った日奈の声を聞いて謙二郎は次の言葉を失った。
日奈を舐めてかかっていた数分前の自分が恨めしい。
「えっと、佐奈ちゃんとはどういうご関係で…?」
沈黙が苦しかったのか日奈はそう切り出した。
待ってましたとばかりに回復して、謙二郎は再び笑顔を浮かべた。
「気になる?」
「…佐奈ちゃんの事だから。」
「俺の事は?」
言いながら顔を近付ける。
長い前髪で見えないが、効果がない事はないだろうと出来るだけ甘い声を出した。
「俺の事にも興味持ってくれないかな?」
前のめりになって日奈を腕で囲う。
顔を近づけると日奈は後退った。
「なにしてるの。」
謙二郎はハッとした。
声の聞こえた方を見ると、佐奈が少し開けられた扉から姿を現した。
「真野君なんでここに居るの?帰ったんじゃなかったの?なにしてるの?」
「ちょっと迷って…。」
「最初から日奈が目的?それとも私とヤレなかったから日奈が代わり?」
「佐奈ちゃん…。」
「だから信用ならないのよ。もう一生顔見せないで。」
佐奈は可愛い顔に悔しさを滲ませて謙二郎と日奈を見た。
自分に興味を持ってくれと日奈に詰め寄る謙二郎が信じられなかった。
告白の言葉は嘘だったのか、最初から日奈が目的だったのか、それとも誰が相手でも良かったのか…。
考えるだけで嫌になる。
その相手が日奈である事も重なり、佐奈は二人から視線を外して部屋を出た。
ここ最近、那智が日奈と一緒に居るのは風の噂で聞いている。
那智だけでなく謙二郎まで奪おうとする日奈が恨めしくなった。
『やっべぇ…。』
謙二郎はドキドキしながら閉じられた扉を見た。
まさか佐奈がくるとは思っておらず、予想外の出来事だった。
しかもあの様子だと、二度と相手にしてくれないだろう事は一目瞭然。
謙二郎にとっては面倒な展開だった。
「何かが壊れる瞬間ってね…音が聞こえるの。とても嫌な音。」
「は?」
日奈が冷たく言い放つ。
謙二郎は何を言い出すんだと不気味に思った。
「聞こえなかった?」
「聞こえなかったかな?突然変なこと言うんだねー。」
謙二郎はいつも通りの笑顔を何とか作った。
佐奈との関係が修復不可能となった今、日奈に合わせていくしかなかった。
「そっか…。」
そして日奈には聞こえていた。
佐奈の心が壊れる音を。
それなのに何も感じていない目の前の男が不思議でならなかった。
やがて日奈は黙ってその場に座り続ける。
段々と居心地の悪さを感じてきた謙二郎は、ひとまず退散することにした。
「ごめん、帰るわ。」
「そう。それなら佐奈ちゃんに謝ってから帰って下さい。」
「はぁ?なんで俺が…。」
「謝って下さい。」
「いや…、でも顔見せんなって…、」
「謝って下さい。」
身体を一切動かさずに同じ言葉を繰り返す日奈は、まるで壊れた人形のようだった。
謙二郎はゾッとして鳥肌が立つ。
急に日奈が気持ち悪く思えてきて、急いで荷物を取った。
「分かったよ…。」
お得意の笑顔を作る事も忘れて部屋を出た。
今日は何もかも上手く行かないと、思わず舌打ちをしてしまう。
「誰が謝るかよ。」
謙二郎は苛々と芳野宅を去った。
次の日から、謙二郎は那智と日奈を異様なほど避け始めた。
元々接点がなかった上に自分から近付いていたというのに、日奈と関わるのを極力無くしたいと思っていた。
そんな時に限って那智と目が合う。
謙二郎は急いで目を逸らした。
「何なんだよ…。」
那智は謙二郎の意外な反応を奇妙に思った。
目が合っただけで不自然なくらいに顔を背けた謙二郎が理解出来なかった。
「何かあった?」
「別に…それよりテスト大丈夫かよ。勉強してるか?」
「うん。」
「どうだか…。」
もうすぐ学期末試験。
二年生最後の期末試験が迫っていた。
「まぁ、精々頑張れよ。」
「……。」
那智が応援してくれるのは珍しい。
だからこそ一瞬の優しさがとても暖かいもののように思えた。
こっそり微笑むと伝わったらしい、照れ隠しに那智が笑うなブスと怒った。
そんな些細な幸せが、今の日奈を包み込んでくれていた。
◇
「よく分からない。」
日奈はたった一人ぼっちの部屋で呟いた。
「分からないな…。」
冷たい小さな呟きが白に溶け込む。
誰かがもたらした一時の感情は刹那的に過ぎず、消えて無くなっていた。
白い心。
深い"何か"で満たされた心。
希望と言う言葉ほど当てにならないものはないとでも言うように、べったり塗られた白がそこにはあった。
それは真っ白で何もない秘密の隠し扉。
扉の先に何かは隠れている。
深い闇に隠れている。
その闇を塗り潰すように‥白になることが日奈の生きる術だった。
校庭には桜が咲き、日奈は進級をした。
それは変わり映えのない、深く無感な日常の始まりだった。




