1-12
「いきなり行って迷惑じゃねぇの?」
「…大丈夫。"楽しみにして待ってる"って笑ってたから。」
急にソワソワとし始めた新太に、電話口で聞いた佐奈の言葉をそのまま告げる。
それを聞いた新太は幸せを噛みしめるように表情を綻ばせたが、対照的に那智の心は荒んでいく一方だった。
佐奈が楽しみに待っているのは新太ではなく、自分の欲望を満たしてくれる那智という存在だ。
それもきっと、他に良い人材が居れば那智である必要はないと、そう感じていた。
現に今、佐奈の隣に虎が居る。
『虎だってきっと、俺と同じ気持ちだよな?』
二人が芳野の家へ着いた頃には空の色がすっかり暗くなっていた。
数多くのライトで照らされた豪邸は重厚感が増して見える。
何度きても慣れない芳野の豪邸に新太はかしこまった気持ちになった。
きっと一人ならここへ来る勇気がなかっただろう。
「こっち。」
一方の那智は慣れた様子で新太をある部屋へ案内した。
それはいつも通される佐奈の部屋でも客間でもない、始めて見る部屋だった。
新太はここで変な違和感を覚える。
自分が芳野の家へ来る時は必ず那智と虎も一緒だったはずだ。
『可笑しい。』
なのに那智は慣れた様子でここまできた。
「入るぞ。」
那智は部屋の中に声が届くように言うと、部屋の扉を開ける。
部屋の中はやはり見たことのない場所だった。
第一印象としてはカラオケボックスのような狭い作りで、暗い空間にガラス製の長テーブル、それを囲む黒いソファがズラリと並べられていた。
「楽しそうで。」
那智がそう言ったのを耳に入れつつ、新太の思考は停止した。
言葉が出ず、息も止まりそうなくらいの衝撃だった。
虎の上に。
服が乱れた佐奈が居る。
暫く、誰も声を出さなかった。
「那智…どういうつもりだ。」
一番最初に口を開いたのは放心とした虎だった。
新太という予想外の訪問者に、ただただ疑問を抱く。
「別に。」
「……分かっててよくやるな。」
虎の呆れたような言葉を聞いて、新太は全てを察する。
『那智は分かってて俺をここへ連れてきた…。』
信じられなくて信じたくなかった。
小学生の頃から好きだった佐奈が、虎と関係を持っている。
それを見せつけるようにここへ連れてきた那智も信じられなかった。
「おれっ……、」
ショックのあまり、頭が混乱する。
自然と身体が揺れて、心臓も手足も何もかもが初めての感覚に支配された。
『こいつらは…誰だ。』
恐怖だった。
自分の知らない人達に思えた。
『違う…、知らない、こんな奴ら、知らない…、』
新太はこの場を離れようと後退ったが、逃げようとする新太の腕を那智が力一杯に掴んで引き止めた。
「……はなせ、」
新太は泣きそうになりながら言った。
失恋をしたのだ。
一人になりたかった。
一人で今の状況を整理したかった。
それなのに那智が新太を引き止める。
「離せよ!!!」
それは悲痛の叫びだった。
信じられない。
信じたくない。
信じられなかった。
「新太。」
佐奈の可愛い声が聞こえた。
反射的に佐奈を見ると、虎に跨がっていた佐奈が腰を浮かした。
スカートで見えていなかっただけで、二人は繋がっていたらしい。
更に上をいく現実を見てしまった。
「ぁっ……、」
益々ショックで心臓がバクバクと聞いたことのない速さで鳴っている。
フラフラと身体が揺れて気分も悪い。
新太は漠然と死にたくなった。
「ごめんね…?驚かせちゃったよね?」
可愛い顔で、乱れたままの佐奈が近付いてくる。
新太は何も答えなかった。
出てくるのは涙ばかりで、震える唇からは何の言葉も出てこなかった。
傷付いた表情を浮かべる新太と対面し、佐奈の心に動揺が生まれた。
それは新太の気持ちが急激に離れていく事への危機感で、嫌われるかもしれないと思った瞬間、とてつもない不安が押し寄せた。
「新太ごめんね…。私、こんな関係じゃないとダメなの…、」
不安を誤魔化したくて、新太を繋ぎ止めておきたくて…佐奈は新太に抱き付いた。
「っ…、」
女の子…しかも初恋相手である佐奈にはじめて抱きつかれた新太は、驚きと緊張で硬直した。
「やっぱり、新太…かわいい…、ねぇ、新太も好きだよ、凄く好き。」
女性に不慣れな新太の様子に佐奈の気分が少しだけ良くなる。
そして感じたままの感情を佐奈は正直にぶつけた。
「新太も一緒にえっちする?」
「っ…」
新太の耳元で甘い囁き声が響く。
無意識に身震いした新太の反応が、抱き付いた身体から直で伝わってきた。
佐奈の気分は益々良くなる。
「新太震えてる…ほんとに可愛い…新太、大好き、」
夢にまで見た言葉を聞き、新太の目から涙がボロボロと零れ落ちた。
バクバクと聞いたことのない速さで心臓が高鳴り、訳も分からず息苦しくなる。
『こんなの…俺の知ってる佐奈じゃない。佐奈は…佐奈は…、』
怖くて、死にたくて、涙と震えが止まらなかった。
「新太…泣いちゃうくらい佐奈が好きなんだ…。ねぇ、これからは佐奈といっぱいえっちしよ?大好きだよ?だから…泣かないで、」
佐奈はいつものように困った顔で新太を慰める。
目から落ちた涙をキスで拭い、新太の首に手を回すと、頭を後ろから優しく何度も撫でていく。
新太が夢にまでみた甘い甘い佐奈の姿。
それが現実のものとなっていった。
「新太…」
だが、現実は厳しい。
新太が求めていた現実は、複数の人に与えられるような軽いものだった。
「……に…、」
「新太?」
「お前らで勝手にやっとけ!!!!!!」
新太の中で何かが切れる音がした。
佐奈を突き放し、今度こそ部屋を出る。
気持ち悪い。
気持ち悪かった。
佐奈の発言では身体だけの関係を求めていたということだ。
そして虎と関係を持っていた。
こうなれば那智との関係も疑わしい。
そんな奴らと友達で、そんな奴を好きだったのだと怒りが収まらなかった。
「クソッ…クソッ!!!シネシネシネ!あいつら全員シネ!シネ!シネ!クソが!殺す!絶対殺す!!!」
止まらない涙、止まらない震えと怒り。
いくら罵倒しても止まらない。
「クソッ…ぅッ、…さな、さな、さな、さなッ…!!」
おもむろに立ち止まって涙を流す。
胸が張り裂けそうな程痛い。
初恋だった。
ずっと好きだった。
でも…自分は騙されていた。
こんなに好きなのに、信用していたのに。
「しにたい…、生きてけないっ…さな…っ、」
大好きな彼女の名前を…新太は苦しそうに呼んだ。
「呼びましたか…?」
「っ……、」
新太の声に答えるようにひょっこり現れたのは姉の日奈だった。
立ち止まって泣く新太の背後に、本を何冊か持って立っていた。
「呼んでねぇよ!」
「……ごめんなさい。」
いつもなら無視を決め込むが、今日ばかりは反応せずに居られなかった。
「泣いているのですか?」
「……泣いてねぇよ。どっかいけ。」
「………。」
新太は日奈から目を逸らし、ゆっくり歩き出した。
背後にはまだ日奈が居る。
「着いてくんな。」
「わたしの部屋は、こっちです。」
「………。」
「…迷子ですか?」
日奈の言葉にハッとした。
勢いに任せ一人で出てきてしまったが、場所が分からない。
新太は少し焦った。
「………。」
「どこへ向かっているのですか?佐奈ちゃんのところ?」
「…ちがう。」
それだけは否定したかった。
あんな場所にはもう二度と行きたくない。
「…八尋くん、お腹は、空いていますか?」
「は?」
「もうすぐご飯が炊けるので、一緒にどうでしょう。」
唐突な質問に拍子抜けする。
誰がお前なんかと食うかと。
しかし、最悪の気分だった新太にとって心が惹かれる誘いでもあった。
『こんな奴でも、気が紛れるなら…、』
新太は何も答えずに日奈の横を歩いた。
せめてもの抵抗だった。