1-11
放課後。
新太は一人で帰宅するため、早々に席を立った。
いつもならば虎や那智と一緒なのだが、あいにく皆は予定があるらしい。
佐奈と虎の件はとてつもなく嫉妬をするが、家の事なら仕方がないと気持ちを無理やり押し込めた。
『まぁ、一人は楽だしな。』
本来なら一人が好きな新太だ。
何だかんだ五人で居るのも楽しいが、一人で居るのは特別落ち着くので好きだった。
「八尋〜。」
そんなことを考えていると聞き慣れた声に呼び止められた。
「…どうした。」
新太を呼び止めた主、凛子に聞き返す。
那智達と居る時は蚊帳の外だが、教室に居る時はこうやって気さくに話しかけられる事が多かった。
それは同時にクラスの男子から嫉妬の視線を貰う事を意味し、優越感に浸れる瞬間でもあった。
「八尋ひまだよね?」
「まぁ…、」
ただこんな所でも新太と那智達には明らかな格付けが成されていた。
那智は呼び捨て、虎は君付け、新太は名字。
いかにも分かりやすいランク付けだった。
ところで、虎が那智より下なのは虎の方が男前だからだと推測する。
凛子の好む美形は中性寄りらしい。
「暇なら私らと買い物どう?」
「…那智と行くんだろ。」
「そうだけど…那智と話すことないって言うか、話が弾まないんだよねー。」
「じゃあ何で誘ったんだよ。」
「綺麗だから。」
新太は溜め息を吐いた。
綺麗だからと言い切れる潔さが凄い。
「ほんと変わってるな。」
「よく言われる。」
「でも俺が居た所で邪魔なだけだろ。お前らいい加減付き合ってるよな?」
「え?付き合ってないよ?」
驚いたような顔でお互いの顔を見合わせた。
「お前ら…紛らわしいな。綺麗だから側に居たいだけかよ。」
「勿論、目の保養。だから八尋も誘ってるんでしょ?美しくはないけど話は合うもの。」
「…悪かったな、お好みの美しさがなくて。」
ここまでハッキリ言われてしまえば最早笑うしかない。
そして悪気のなさと潔さが相まって余計に言い返せなかった。
『こんな関係も悪くないか。』
何より、那智に勝るものを始めて見つけた優越感が新太に幸せな気持ちを運んでくれた。
新太は可笑しそうに頬を緩め、凛子と那智の教室へ向かった。
「那智お疲れ~。今日新太も一緒して良い?」
「おー、了解。じゃあ行くか。」
那智の反応を多少気にしていた新太だったが、余りにも普通に受け入れられたことに内心驚いた。
「悪いな…。」
「別に。」
一応入れた謝罪にも軽く返す程度で、特別嫌そうな感じはない。
だからと言って嬉しそうでもなく、ごくごく普通の反応だった。
「八尋は私の隣〜。」
三人で歩き出したところ、凛子が変な要望を口にした。
面食いの凛子が自分を横に置きたいという発言に、裏を感じてしまう。
「…なんでだよ。」
新太は目を細め、凛子を睨みつけた。
「両側に男を侍らせて歩きたい、みたいな?」
「…馬鹿じゃねぇの。」
「馬鹿じゃない!てゆーか八尋レベルの男が私の隣を歩けるだけでもレアなんだから、もっと感謝してよね!ほら、今すぐ感謝の言葉を述べて!」
「……はいはい…自意識過剰なカリスマモデルさん、ありがとー。」
「もー、全然心がこもってない!」
新太と凛子はお互いに憎まれ口を叩きながらも口元は緩んでいた。
こんな二人のやり取りはここ最近で当たり前の光景となっていたが、那智にとっては目新しい光景だった。
「お前らいつの間に…。仲良いのな…。」
「嫉妬する?」
「いや…別に。」
「わー、那智冷たーい。八尋もそう思わない?」
「いや…別に。」
「…那智、八尋がイジメる。」
那智の声真似をした新太を見て、凛子は那智の腕にすり寄った。
「凛子を苛めんな。」
「そうそー。凛子をイジメないでよねー。」
「…はいはい。すいませんでした。」
溜め息混じりに謝罪する新太だったが、その様子もまた楽しげに見える。
那智はそんな新太をこっそり観察しながら放課後を過ごした。
「お前ら付き合ってなかったんだな。」
「……まぁ。」
ある程度買い物を終え、凛子と別れた二人は帰路を共にしていた。
「何で付き合ってねぇの?」
そして先程聞いた衝撃の事実を改めて問い詰めてみた。
てっきり2人が付き合っているとばかり思っていた新太は、その件が気になって気になって仕方がなかった。
「美男美女でお似合いだろ。」
「いや………どうみてもお前らの方がお似合いだし。」
「…俺への嫌みか。」
「そうじゃねぇって。お前らずっと楽しそうだったじゃん。」
那智は新太の質問をさり気なく誤魔化しつつ、この数時間で持った二人の印象を正直に答えた。
やはり新太と凛子は相当気が合うらしい。
終始楽しそうに笑っていた。
那智もそれとなく笑ってはいたものの、以前から凛子と深く関わるつもりがないだけに進んで会話の輪に入らなかった。
「だからお前らが付き合えば良くね?」
「…冗談は寄せよ。つーか俺、好きな奴居るし…、」
珍しく照れたように俯く新太。
その口から恋愛の話題が出るのは初めてのことだった。
「佐奈。」
「…え?」
「…皆気付いてるけど、」
「っ…!…マジで!」
那智は気まずそうに真実の断片を話す。
本人でさえ知っているのだ。
那智が気付いていない方が可笑しかった。
「俺…そんな分かりやすかった?」
「まぁ、」
「マジかぁ…!俺っ…はっず!」
照れる新太を余所に那智の心が痛くなる。
佐奈本人にまで伝わっていることを新太は知らない。
何もかも、知らないのだ。
「新太は…何で佐奈が好きなんだよ。」
一度聞いてみたかった。
凛子のように気が合う人が近くにいながら、何故佐奈に拘るのか。
新太には佐奈がどう見えているのか、那智はどうしても知りたかった。
「そうだな…可愛いとことか、優しいとことか、好きだな。」
「…それで?」
「いや…。なんつーか…佐奈は俺のこと、ちゃんと認めてくれてるって思う。…よく分かんねぇけど、」
「……。」
「俺なんかじゃ佐奈と付き合うとか無理だと思うけど、やっぱ変わらず好きなんだよ…これからも、ずっと、」
佐奈への想いを語る新太の気持ちが那智の心に響く。
『俺にもこんな純粋な頃があったっけ…、』
決して忘れることのない昔の記憶がフラッシュバックし、無意識に身体が震える。
那智にとっては思い出したくもない嫌な思い出だった。
『シネ。』
嫌な記憶を追い出す時は必ず、意味のない暴言を吐くのが那智の癖だった。
身体…心の中…全てがそれを拒否している。
「那智には好きな奴いねぇの?つーかいい加減一人に絞れよ。女の子が可哀想だって。」
「………なんも期待したくねぇし、適当にしてる方が楽。」
「なんだよそれ…。前になんかあった感じ?」
那智の雰囲気から悲痛の色を感じ取った新太だったが、那智は何も語らなかった。
二人は無言で歩き続ける。
「言いたくないなら別に良いけど、話ぐらいなら何時でも聞くからな。」
新太の言葉が那智の心に響く。
今まで佐奈への好意を隠していた新太と同じように、那智もまた、誰にも見せた事のない複雑な過去を抱えていた。
隠していたからこそ優しくされると心が弱まってしまう。
全てを曝して楽になりたいとそんな感情が芽生えてきた。
「なぁ…新太。」
「ん?」
「今から佐奈達のとこ行かね?」
知らない方が幸せなのか、知った方が幸せなのか、那智には分からない。
どっちにしろ苦しい事に変わりはないのだから。
ただ純粋な新太を見ているうちに、ある考えが那智の中で生まれてしまった。
それはいい加減現実に気付いて欲しいという良心と、その清らかな心を汚してしまいたいという悪意に満ちたものの2つであった。
友人だからこそ感じる気持ちと他人だからこそ蹴落としたいという両極端な感情を抱え、那智は携帯を手に取る。
その一本の電話で未来が予期せぬ方向へ向かうなど、今の新太は夢にも思わなかった。