夢のような時間でした。
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
いつも、僕はベッドの上にいて。
仰向けになって、寝転がっているだけで。
ただそれだけで。
それだけしかできなくて。
人、がいた。
たぶん、女性だった。
寝台の横に、いつも座っていた。
綺麗な人だな──
と、そう思っていた。
いつも変わらず、そう思っていた。
その人は、自分が見られていることに気がついて。
僕を見て目を瞠り、
そして……。
※
そういう夢を見ることは、実は珍しい。
というより、夢を見ることが珍しい、といった方が正確か。
記憶する限り、あの9回以外の夢というのを、僕は生まれてこの方見たことがない……、それでいて、内容はまったくの同一というのだから、芸がない。
「味変があったっていいだろうに」
そうひとりごちて、僕は外に出る。
そして──いつもの通りに車に乗り込んで、安全運転で会社まで走らせる。
車内からの通勤風景は変わり映えがない。
いや、別に、変えようと思えばいくらでも変えられるが、わざわざ変えるほどでもないと思うから矛盾だ。
駐車場を出て、まず右に折れる。
その次は薬局の角を左、直進、パン屋が横に見える。
道をまっすぐ進んでいくと、コンビニの横の建物が勤務先だ。
「……はぁ」
今日も労働か。
そう思うと僕は嫌になった。
不承不承ながら自動ドアの前に立つ。
自動ドアのガラスに人影が映った
首を巡らせて、後方を顧みる。
誰もいなかった。
普通の街だった。
首を傾げつつ、再度前を見る。
自動ドアは開いていた。
何が映っていたのか、僕には確認することができなかった。
帰り、僕は帰路のルートをいつもと変えてみた。
いつもならまっすぐ帰るところだが、今日に限りその真逆を行ってみた。
誰かの姿を目の端に掠めた。
「……っ」
少年──だった。
ただし、少年であること以外、その『誰か』のことはハッキリしなかった。
※
準備に手間取って出発が遅れた。
いつもより気合を入れる必要があったのだ。
それもそのはずだ。
今日はダンジョン攻略をするのだ。
ギルドの依頼で、ランクはS。
かなりの高難度ミッションだが、S級冒険者の僕には軽かった。
馬車の道程を、おおむね三時間。
ダンジョンに到着すると、大怪我をしたらしい冒険者の一団が、いかにも命からがら、といった様相で、脱兎の如く逃げていくとこだった。
面白い、それくらいの難易度でなくっちゃあ。
僕は意気揚々と足を踏み入れる。
ダンジョンは無言の威圧感でそれを出迎えた。
中にはそこここに、高いランクのモンスターが散在した。
それを、ばったばったとつぎつぎ切り伏せて、丁々発止と僕は切り結ぶ。
そしてついに、ダンジョンの最深部まで僕は到達した。
奥まった所にある部屋のその奥に、ラスボスの姿を認めるとこの僕は、深呼吸のあと気合い負けしないよう、活力を漲らせようとして気を吐いた──絶対に勝つ。
僕は両頬をぱんぱんと叩いた。
「よし、行くか!」
僕は地を蹴り、ラスボスに踊りかかる。
それは、激しい戦いになった。
血で血を洗う血みどろの血戦だ──お互い後半は前も見えなかった。
だが、勝った。
この戦いを突破せしめたのはこの僕だ。
目の前に亡骸があった。
ラスボスの──ヒュドラの首が九つとも断割され、肉袋と化した胴が横たわっていた。
だが──瞬きのその刹那、それは消えた。
そこにいたのは少年のようだった。
彼は僕を見て、薄く微笑んで、
「やあ」
とだけ発言した。
僕が反応できないままでいるのを見て、彼はとても悲しそうな顔をした。
「──忘れちゃったの?」
刹那、少年の頭はどっ、と血に濡れた。
※
僕は今『組織』に追われていた。
第三次世界大戦の勃発は、『組織』が原因だと突きとめて、過去に来たまでは良かったのだが……、敵は強大で──『深淵を覗く時、深淵もまた覗いているのだ』のノリで──、僕の動向を一瞬で捕捉した。
追手がいま、七人はいるだろうか。
とにかくその全員が、僕の命を狙ってくる。
銃弾が飛ぶのも一切顧みず、僕は彼らを撒くのにとにかく執心した。
「ハァ……ッ! ハァ……ッ!」
息切れをしながら、柱にもたれかかる。
なんとか撒くことができたようだ。
気は抜けないが一瞬、ホッとする。
「痛……ッ」
視界が赤色に染まった。
なんだ、と思い頭に手を触れると、べちゃ、という不快な感触と共に、手のひらに鮮血の赤が張り付いた。
「あークソ、当たってたのか」
銃弾が僕の側頭部を掠めたのだ。
血がどくどくと。
どくどくどくと、顔に垂れていく。
「……?」
少し、既視感だった。
何か昔、こういうことがあったような……。
「動くな」
背後から声がした。
しまった、見つかっていたのか……。
「ゆっくりと武器を捨てろ。 怪しい動きをしたら殺す」
指示通り、僕は緩慢な動きでスローに武器を捨てた。
背後の声の主が、銃口をこちらに定めたまま前に来る──その顔には。
その顔には見覚えがあった。
いつ会ったのか、全く記憶にはなかったが……彼の顔には見覚えがあったのだ。
そう、声の主は少年だった。
少年兵が、僕に向かって言う。
「また会ったね」
「お前は誰だ」僕は聞いた。
「僕は、お前だ」
刹那、少年の頭はどっ、と血に濡れた
血がどくどくと。
どくどくどくと、顔に垂れていく──
それは確かに、僕と同様だ。
僕と少年は、お互いに、同様だ。
※
この夢を見るのは、これで10回目だ。
今回も、僕はベッドの上にいて。
仰向けになって、寝転がっているだけで。
ただそれだけで。
それだけしかできなくて。
人、がいた。
たぶん、女性だった。
寝台の横に、今日も座っていた。
綺麗な人だな──
と、そう思っていた。
いつもと変わらず、そう思っていた。
その人は、自分が見られていることに気がついて。
僕を見て目を瞠り、
そして……。
そしてあまりの驚きに絶叫した。
「起きたのね!?」
「? ああ、はい」
「よかった、今度は受け答えができる! 10回目の目覚めでようやくね!」
「……? ????? なんのことですか?」
「アンタ! 四年間昏睡してたのよ!」
「え、そ、そうなんですか? 四年間? と、するとここは病院で……あの、貴女は一体?」
彼女は目を剥いた。「!? お、覚えてないの!?」
「そう、みたいですね……」
「記憶喪失も、併発していたのね……」彼女は椅子から崩れ落ちて言った。
僕は困惑して言った。「……いつもの夢の延長、じゃあなさそうだな」
「夢の延長? なんの話よ」
僕は夢のことと、今まで体験したことを説明した。「……と、いうことがあって」
「ああ、それ逆ね」彼女は言った。「こっちが現実よ……アンタが現実だと思っていたのは、夢の方ね」
「現実が夢で、夢が現実……」僕は、少しだけ混乱した。
「会社に車で通勤する話は、アンタは学生だからあるはずがないし。異世界に転生する話は、よくある空想話の類いだし。あとは……なんだっけ? 『組織』? とやらと抗争する話は、タイムスリップが出てきた時点で非現実だし。……大体、それらの話を現実と『誤認』するには、連続性が無さすぎるわ。せめて世界観は統一しなさいよ。よくそんなことで現実と間違えられたわね」
「確かに、その三つには繋がりがないですが……、そっか……ふーん、逆だったんですね」
すこし落ち着いたので説明を求めてみた。
どうやら、こういうことがあったらしい。
「へえ……、交通事故に遭って、それ以来四年間を、昏睡状態でベッドの上で過ごしていた……と」
だからアレらは、昏睡状態で見ていた夢なのだ。
天地が反転した僕に彼女は言う。
「そうよぉ! アンタ、頭からすっごい血を流してたから、死んじゃうかもって思ってたんだから」
「頭から血を流して……」何かピンと来て、僕は質問した。「事故当時、僕は何歳でした?」
「ええ……っと、今が十七で、四年前だから……そう、十三歳ね。まだ少年って感じの年頃だったもの」
「なるほど……少年ね」
それが頭を血に濡らした少年の正体か……、やっぱり彼は僕自身だったのだ。
事故当時の僕自身だったのだ。
「なるほどね……」僕は一人で勝手に納得した。「それで、貴女は一体?」
「あー……、そうよね。記憶喪失だから、わかんないか。いいわ、教えたげる。私は、アンタの、お母さんよ」
「母親か……」
なるほど、夢と思っていた現実の四年間……寝台の横にいたのは、母親か。
納得だ。
母親くらいの年代の女性なら、四年くらいじゃ見た目は(あくまでもあまり)変わらない。
四年間に9回……10回見ていても、いつも同じ感想を抱いたのは、そういうからくりがあったというわけか。
「夢の方を現実と思ったのは、昏睡して以前の記憶が(記憶喪失で)なかったから、夢と現実と、圧倒的に長いと感じる時間が反転して、夢の方を現実と『誤認』したからか」
そりゃそうだよな……、たまの9回意識が覚醒して、おんなじ景色を毎回見たとして、それと比較して意識がないときがどれだけ長いかっていう話だよな。
そりゃあ、9回見たおんなじ景色を、おんなじ夢だと、思い込むわなぁ。
あの9回以外の夢を生まれてこの方見たことがない、とかなんとか言った気がするが、笑わせる。
夢ならずっと見ていたというわけだ。
「でも、よかったわぁ。たとえ記憶がなかったとしても、受け答えができるのは今回が初めてだもの。私、ずっと看病していてよかった……」
「…………」
そう……か。
寝台の横にいたのが母親くらいの年代の女性だったから9回見ても同じに見えたとか、昏睡状態かつ記憶喪失だったから現実と夢の体感する総時間が反転しただとか、そんなことは、今回のことには些末でさもしい小さいことなのだ。
本当に重要なことは、そこにない。
本当に重要なことは──
四年間──9回が9回とも、意識の覚醒はランダムだっただろうにも拘らず。
にも拘らず。
その全ての覚醒に立ち会えるくらい、時間を見つけて僕の様子を見に来てくれていた──母親の愛情こそ、重要だったのだ。
「母さん」言ってみた。
「なぁに?」
「愛してる」
「私もよ」
簡潔な答えだった。
でも、それが全ての答えだった。