第一話 ルソンの虎
■1945年(昭和二十年)1月30日
フィリピン ルソン島 クラーク基地
日本軍 独立戦車第八中隊
滑走路の端に敵の戦車部隊が姿を現した。
装甲の厚いM4戦車8両を横に並べ、それを盾にしながらゆっくりと進んでくる。その背後には同数のやや小型の戦車が続いている。
敵は今日の攻撃に合計16両もの戦車を投入してきていた。
「敵さん、昨日痛い目にあったせいか、今日はずいぶんと奮発したようだな」
この地区の防衛を担当する独立戦車第八中隊、それを指揮する岩下大尉は、敵情を確認すると薄く笑った。
こちらの戦車は8両、敵の半分しかない。現在は滑走路脇の森に布陣して戦車壕に車体を隠し、木々で擬装して息をひそめている。
独立自走砲中隊の砲戦車が支援してくれるとはいえ、そちらもわずか2両のみ。もし戦車第二師団(撃兵団)のようにチハ(九七式中戦車)やイ号(八九式中戦車)、ハ号(九五式軽戦車)だったならば勝ち目など全く無かっただろう。
二十日前に敵がリンガエン湾に上陸して以来、撃兵団は敵戦車部隊を何度も激しく攻撃している。しかし損害が積みあがるだけで戦果は芳しくない。
敵味方の戦車の質があまりにも違い過ぎるからだった。チハ、イ号、ハ号では敵のM4戦車に太刀打ち出来ない。それどころか小型戦車(M18駆逐戦車)にすら苦戦する始末である。
だが、この独立戦車第八中隊だけは違っていた。
この島で唯一、本土ですら希少な一式重戦車改「オハ改」を装備するこの中隊は、昨日も敵の小規模な攻撃を鎧袖一触で退けている。
岩下大尉は咽頭マイクに手を添えると、落ち着いて事前の打ち合わせ通りの命令を発した。
「敵はM4戦車8両、その後方に8両の小型戦車を認む。独立自走砲中隊の砲撃と同時に前面のM4を攻撃しろ」
■米軍 クラーク基地攻略部隊
第637戦車駆逐大隊
M18戦車からなる第637戦車駆逐大隊は、第754戦車大隊のM4戦車とともにクラーク基地のマルコット飛行場に向けて進んでいた。
敵にそれなりに強力な対戦車砲か戦車がいる事が予想されるため、装甲の厚いM4戦車8両を横に並べて盾とし、その後ろに軽装甲のM18戦車8両を並べる陣形でゆっくりと飛行場に侵入していく。
なにしろ昨日行われた威力偵察でA中隊が3両のM18戦車を失っているのだ。逃げ帰ったA中隊の生き残りは森に強力な重戦車がいると報告していた。
だがその報告は司令部に信じてもらえなかった。
日本軍はCHI-HAやHA-GOのようなブリキ細工の軽戦車しか持っていない。M18戦車も敵に負けず劣らずの軽装甲なので、油断していたA小隊は日本戦車の豆鉄砲のような砲で撃破されたのだろう。それが司令部の判断だった。
だがもし、A中隊の報告が本当だったら……?
M4戦車の後ろを進むB中隊第三小隊長のゲッツ中尉は、嫌な予感を抱えながら前方の森に意識を集中していた。
■日本軍 独立戦車第八中隊
敵が滑走路に侵入した所で、独立自走砲中隊の四式十五センチ自走砲(ホロ)が射撃を開始した。敵部隊の中央に二つの爆発が発生する。
上手い具合に後方の小型戦車の1台が至近弾で横転した。
「撃て!」
岩下の号令で8両すべてのオハ改が発砲する。
チハとは比べ物にならない巨大な発砲炎とともに、特徴的なT字型のマズルブレーキから左右に煙が噴き出す。衝撃で車体と周囲に土埃が舞い上がる。
発射された砲弾は赤い光となって敵に向かっていく。その内4発が吸い込まれるようにM4戦車に命中した。
敵戦車との距離はおよそ1500メートル。この距離ではチハが絶対に抜くことのできないM4戦車の前面装甲を砲弾は軽々と貫通した。一瞬遅れて車内で爆発が発生し砲塔が高々と吹き上がる。
驚いた事に砲弾のひとつはM4戦車の車体を貫通し、さらに後方の小型戦車にも命中していた。
一瞬で6両の戦車を喪失した敵部隊は一気に大混乱に陥った。
■米軍 クラーク基地攻略部隊
攻略部隊が滑走路に侵入した所で、遠くから気の抜けたような発射音が聞こえた。報告にあった榴弾砲だった。しばらくして耳障りな落下音とともに隊列の中央に砲弾が落下し爆発する。
運悪く一発が自分の小隊の付近に着弾し、3号車のM18戦車が衝撃で横転してしまった。
ゲッツ中尉が指示を出す間もなく、今度は森にいくつかの発砲炎が上がった。明らかに高初速の砲弾が前列のM4戦車4両に突き刺さる。そして信じられない事に砲塔が高々と吹き飛んだ。
その瞬間を目撃した中尉は啞然とした。咥えていたタバコがポロリと落ちる。代わりに悪態が口から飛び出た。
「クソッ!やっぱりA中隊が言ってた通りじゃねえか!」
ゲッツ中尉が慌てて小隊に散開を命じようとした矢先、前を行くM4戦車が突然後退してきた。
いきなり4両の味方を失い、これまで何度も日本戦車や砲から自分たちを守ってきた分厚いはずの前面装甲を遠距離から抜かれた事で、彼らはパニックに陥ってしまったのだった。
そのため彼らは最悪の行動に出てしまった。すぐに散開すればよいものを、まっすぐ全速で後退してしまったのである。
当然、M4戦車は後方に居たM18と衝突してしまった。止まった所に榴弾が降り注ぎ混乱に拍車をかける。
「クソッ!クソッ!馬鹿野郎が!なにしてやがる!」
味方のM4戦車に悪態をつく中尉の目に、敵の戦車が森を出て突撃してくる姿が映った。
■日本軍 独立戦車第八中隊
生き残ったM4戦車が全速で後進した。当然ながら後ろの小型戦車と衝突してしまう。こうなっては団子状態で身動きがとれない。そこへ更に自走砲中隊の榴弾が降り注ぐ。
慌てふためく敵を見ながら岩下は満足げに笑った。
やはり広い場所でこそオハ改の本領が発揮される。山下大将のご判断は正しかった。岩下はこの部隊を撃兵団でなく方面軍直轄としてくれた司令官に感謝しつつ咽頭マイクを押さえた。
「全車躍進!敵は混乱している!このまま蹂躙しろ!一台も逃がすな!」
岩下の命令と共に8両のオハ改が戦車壕を躍り出た。
生き残りのM4が果敢にも発砲してきたが、その砲弾すべてをオハ改の前面装甲は軽々と弾き返して見せた。まるで歯が立たない事を思い知らされた敵部隊は更にパニックとなっていた。
■米軍 クラーク基地攻略部隊
「な、なんだあれは?」
それは初めて見る戦車だった。M4戦車より一回り大きな車体。長く太い砲身。角ばった砲塔。その姿はこれまで見てきた日本軍のどの戦車よりも遥かに力強く、禍々しい。
生き残りのM4戦車が苦し紛れに反撃した。混乱している割に正確だったその砲撃は見事に敵戦車を捉える。だがその砲弾を敵の重戦車は軽々と弾き返した。お返しとばかりに放たれた砲弾で更に2両のM4戦車が爆発する。
「タ、タイガー戦車だ!」
ゲッツ中尉は叫んだ。こんな化け物が日本の戦車であるはずがない。
ヨーロッパ戦線に行った事はないが、これが噂に聞くタイガー戦車なのだろう。きっと日本はドイツから極秘に入手したに違いない。
中尉はそう断じた。
「後退しろ!死にたくなけりゃ全速で後退しろ!」
敵前逃亡など知ったことか。中尉は生き残るために即座に撤退を決断した。
その判断は正しかった。結局生き残ったのは彼を含めわずか2両のM18戦車だけだった。
この日の戦闘で、岩下大尉の独立戦車第八中隊は、独立自走砲中隊と共同で14両の敵戦車を撃破した。味方の損害は無い。完全なワンサイドゲームである。
その勝利の立役者である一式重戦車改「オハ改」は、本来の歴史では存在しないはずの戦車だった。
ジークアクスを観て、舞台を硫黄島に、登場人物を西中佐にしておけば良かったかなと少し後悔しました。