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ポムの迷宮絵画教室

作者: 雅王とらい

絵とはずれスキルしかない女の子が、ダンジョンで配信を頑張るお話です。

 ただ絵が描ければよかった。

 だが世界はそれすらも奪おうとした。


 ポムは自分を哀れだと思ったことはない。

 だが、ツいてない方だとは思っている。


 物心ついた頃、ポムはすでに孤児院にいた。両親のことは全くわからない。手がかりなどもなかった。

 リンゴのような赤毛と新緑の瞳は色鮮やかだが、体つきが貧相で、全体的にパッとしない容貌だ。十七歳になっても身長が伸びず、十二歳に間違われることも多い。体力・魔力・筋力・精神力もFランク判定で、街で日常生活を送るのがやっとだ。風邪をひきやすく、時折孤児院を訪問してくれる医者の先生には、よく面倒を見てもらった。


 十歳の時の女神謁見で貰えたのもはずれスキルだった。


 この国の子どもたちは、十歳を過ぎると一度だけ女神マリスへの謁見を許される。

 その地域で一番大きな聖堂に集められ、女神からの恩寵として、称号とスキルを与えられるのだ。称号は職業や技術の特性を、スキルは特殊能力を示す。謁見時に立ち会う神官によって、体力・魔力・筋力・精神力と魔法の属性も鑑定された。

 モンスターが跋扈し、ダンジョンの林立する世界において、この女神謁見で、成長後の職業が決まると言っても過言ではない。


 だがポムに与えられたのは、たった一つのしょぼいスキルだけだった。


 スキル:ドレイン

 周辺から体力・魔力を奪う


 しかも体力・魔力・筋力・精神力もFランク判定。ドレインしたところで、受け皿があまりにも小さく、活用できない。火・水・風・土、そして聖と魔の魔法属性も全くなかったため、そもそも魔法もほぼ使えないのだ。称号ももちろん貰えなかった。


 完全なるはずれスキル。

 孤児院の院長の明らかに落胆した表情を、ポムは成長した今でもありありと思い出せる。孤児院は対モンスター用人材育成もかねているため、さもありなんであった。


 ポムと対照的だったのは、同じ孤児院にいた幼馴染の男の子アレクサンドだ。


 金髪碧眼の凛々しい顔立ちは、皆がどこかの王子ではないかと囁くほどだった。孤児院に保護された時、すでに十歳をすぎていたこともあり、十二歳の時、ポムと同じ日に女神謁見を受けた。


 彼に与えられたのは称号「勇者」。

 スキルもたくさん与えられた。

 生まれついての素質も高く、魔法属性も四つ持っていた。


 アレクサンドは、女神に選ばれしものだった。彼は勇者として魔王を倒すよう命じられ、旅立つこととなった。


 彼と仲の良かったポムは、彼との別れを泣いて嫌がった。


「アレク、行かないで。行っちゃうのヤダ。ポムもついてく」

「ダメだよポム。あぶないよ」

「ポムがはずれスキルだから……?」


「……そうだよ」

 どこか冷えたアレクサンドの声に、ポムは顔をあげる。

 彼は暗い決意を帯びた表情でつぶやいた。

「僕は、ポムが傷つくのはイヤだ」


 孤児院の院長は「アレクは女神に選ばれたのだから」と、無慈悲に二人を引き離した。

 出発の日は雨だった。アレクサンドは雨と涙でびしょ濡れのポムの頭を撫で、言った。


「与えられた力を、ポムを……みんなを守るために使いたいんだ」


 ポムはその言葉に、頷くしかなかった。

 そもそもはずれスキルしかもたないポムには、なんの選択権も、意見を言う権利すらもなかったのだ。


 だからポムは齢十歳にして悟るしかなかった。

 自分は平凡、村人Z、今後一切勇者と言葉を交わすこともないモブなのだ、と。


 それでもなんだかんだ腐らずにここまで成長できたのは、絵を描くのが好きだったからだろう。


 アレクサンドの似顔絵を描いた時、彼は心から喜んでくれた。

「ポムには絵の才能があるよ!」

 別れの前の日に、ポム自身の絵を渡した時も受け取ってくれた。

「これをポムだと思って大切にするね」

 その言葉が、思い出が、ポムの原動力になっていた。


 十五歳で孤児院を追い出された後、ポムは街でちょっとした雑務をこなして日銭を稼ぎつつ、絵を売って生活していた。

 道端でカップルの似顔絵を描いたり、たまに貴族の肖像画を頼まれることもあった。絵での稼ぎはほとんど画材に消えたが、それもまた楽しかった。


 描いた絵で一番金になったのは、冒険者の似顔絵だ。

 ダンジョンを攻略したり、森に巣食うモンスターを倒す冒険者たちは、人々の憧れだった。

 国民全員が女神謁見を受け、称号とスキル付与という選別をされることもあり、女神に選ばれて戦うものたちへの眼差しも、当然熱くなるのだ。


 新聞は冒険者たちの活躍を毎日のように書き立てる。だが文字だけではつまらない。状況を念写できるスキル持ちも限られている。


 こんな時こそ、ポムの出番だった。

 記事のゲラをもらい、想像力を働かせ、短い時間で冒険者の勇敢な姿を描き出す。その絵が新聞記事を飾り、時にはブロマイドとして販売されるのだ。


 ポムははずれスキルだ。冒険に行ったこともない。

 それでも想像の中では、アレクサンドや他の冒険者と共に行動し、大活躍の場面を目にすることが出来た。


 新聞の一面に自分の絵が大きく載った時には、興奮で寝られず、三日三晩絵を描き続けた。いつかアレクサンドの目に、自分の絵が触れられたらと、ひっそりとした願いを抱くこともできた。


 だがそんな状況は、一夜にして変わった。

 「配信」が始まったのだ。


 ツインミラーというモンスターがいる。

 二匹の大きな鏡のモンスターで、自分の鏡に映ったものを、つがいの鏡に映し出すという能力を持つ。戦闘力はほとんどなく、ダンジョンや森で冒険者を驚かす程度しか出来なかった。


 ある日、カオスと名乗る人物がそのモンスターを改造した。

 まず、人が操作できるように小型化し、従順な性格にした。それだけでなく、つがい以外の、遠く離れたところで映したものも、選んで映し出せるようにしたのだ。


 カオスは言った。

「この小型ツインミラーを『スマホ』と名付けよう」

「スマホで動画配信出来るようにしてあげたから、楽しんでね!」


 冒険者たちは自分達の活躍を配信する。街の人々はそれをリアルタイムで、家にいながらにして観られる。

 この発明は、恐ろしい速度で人々に受け入れられていった。


 憧れの人を安全圏から眺めることができる。

 配信サイトでは、投げ銭や視聴者数という形で応援が数値化され、それも人気に拍車をかけた。

 女神に選ばれなかった人々も、選ばれた冒険者を応援することで、間接的に光を浴びることができたのだ。


 そして……ポムは失業した。

 もはや人々は絵を必要としていなかった。配信で本人を見ることができるからだ。

 道行くカップルも、お互いの写真をスマホに登録している。道端の絵描きに一瞥をくれることもない。


 ポムは街の広場で、ぼんやりと空を眺めていた。

 秋晴れの空気は澄み渡り、純度の高い青をしている。淡い濃淡も美しく、どんな絵の具なら再現できるだろうかとポムは思案した。


 あまりに虚しい空想だ。絵の仕事はなく、絵の具を使うこともない。むしろ絵の具を買う金もない。そんなことを考えるくらいなら、明日から働ける店を探しに歩いた方がマシだろう。


「いつかアレクに見てもらえたらって思ったんだけどな」


 アレクサンドは数年前の大規模な討伐の後、消息を絶っていた。今も配信で彼の姿を見ることはない。だがポムは、彼が生きていると信じていた。アレクは最高にかっこいい当代随一の勇者だ。モンスターに殺されるわけがない。


 自分なりに絵を描き続けた。ここにいると叫び続けた。

 それでもまだ彼には届かない。まだ自分は村人Zのままだ。


「どうしようかなあ……」


 今日何度目になるかわからないため息をつく。

 働かなくてはならないが、絵を描くこと以外する気もなかった。とはいえ、教室を開いたり画廊を持つほどの元手もなければ、印刷業にデザイナーとして潜り込む伝手もない。


 広場をぐるりと見回すと、冒険者ギルドの看板が見えた。入口の左右には、派手な色合いののぼり旗が立っている。


 端末代実質無料!

 0から始める配信生活!

 今冒険者登録すれば、スマホがただで手に入る?!


「無料……」


 ポムはふらりと立ち上がる。絵が描けるならなんでもいい。そんなやけっぱちな気持ちだった。


「配信、やってみるかあ」




 ギルドの受付嬢には、顔を真っ青にして止められた。


「スキルがドレインのみ、体力などもFランクの方ですと、潜れるダンジョンもほとんどなくて……おそらくパーティで受け入れてくれるところもないのですが」


 丁寧な言い方を心がけてくれたが、つまりは無能は冒険者にいらないということだろう。

 ポムは下手に高尚な志望動機を伝えるよりはと、素直に答えた。


「とりあえずスマホが欲しいだけなので、登録させてください」

「なるほど……わかりました」


 受付嬢は渋々登録処理を済ませた。

 発行されたギルドカードには、ランク外と記載されていた。


 恐縮した様子で、受付嬢は言う。


「すみません。普段ですとFランクからのご案内になるのですが、ポムさんのステータスだと難しくて……」

「それもそうでしょうね」

「で、でも、依頼をこなしたり、モンスターを退治することでランクが上がりますので、ご無理のないようにやっていただければ」

「ありがとうございます」

「スマホの機体の色を選べますが」

「在庫のあるやつで大丈夫です」


 ポムは赤い色のスマホを受け取り、ギルドを出た。

 スマホこと小型ツインミラー端末は、手にちょうど馴染むサイズだった。鏡の上についた目が、じっとこちらを見ている。背面を指で撫でてやると、心地良さそうに震えた。


「一応モンスターなんだね、お前……」

「ポム」

「あれ、えっ。デウス先生!」


 低く心地よい声に呼ばれて顔を上げると、一人の男性がいた。灰銀の長髪をゆるく結んだ長身の男性は、穏やかな表情でポムを見下ろす。

 彼は孤児院でポムの面倒をよく見てくれた医者だった。孤児院に常駐しているわけではなく、色々な街を渡り歩いて、お金のない人々の治療にあたっている。冒険者ではないが、体力や魔力もかなりあるようで、モンスター退治をすることもあった。


「冒険者になったのですね」


 その言葉に咎めるような響きを感じ、ポムは体を小さくする。デウスは苦笑し、ポムの頭を撫でた。


「止めませんよ。配信がはじまって、絵画の仕事が減って厳しいのでしょう?」

「その通りです……」

「全く。カオスときたら。スマホを作ったり、配布したり、彼は一体何を考えてるんでしょうね」

「先生、スマホを作った人とお友達なんですか?」

「お友達というか……まあ古い知り合いですよ」


 デウスは軽く言い濁し、話を逸らした。


「そういえば、最近は冒険者の戦いの配信だけでなく、ちょっとした日常や料理の配信の人気も高まっているそうですよ。絵画の講座もいいんじゃないでしょうかね」


 何もかもお見通しだと思い、ポムは苦笑した。

 先生は昔からそうだった。ポムが心配させまいと病気を我慢していても、すぐ見抜く。そしてひょいと抱え上げ、ベッドに入れてしまうのだ。


 だがもうポムも十七歳だ。他人に面倒を見てもらう年齢でもない。

 ぐっとスマホを握り込み、明るく笑う。


「ただの絵画教室じゃなくて、私に出来ることを精一杯やろうと思ってます」

「それはいいですね」


 目を細め、デウスは頷く。


「あなたのスキルの使い方は、小さい頃に十分にお伝えしましたね」

「はい」

「それをどう生かすかは、これからのあなた次第ですよ」


 アレクサンドに置いて行かれた後、ポムは絶望していた。自分は弱い、村人Zだとわきまえたつもりなのに、心の隅には悔しさがあった。彼を助けたい、そばにいたいというおこがましい願いをすてさることができなかった。

 そんな彼女を、デウスは陰日向から支えてくれた。自律した生活の仕方から、スキルの使い方について教え、練習に付き合ってくれたのだ。


 ポムからデウスに対する「先生」という呼びかけは、医師だからではない。自分の人生や戦いの師匠としての敬意を込めたものなのだ。


 ポムは表情を引き締め、デウスに頷く。


「はい、先生。私、全力で頑張ります!」





「えーっと……これで配信出来るかな?」


 ポムは説明書を確認しながら、スマホを操作する。配信開始のボタンを押すと、スマホの背面からコウモリのような翼があらわれ、空中に飛び上がった。

 スマホは自律しており、配信を開始すると自動で一番いいアングルで配信者を映してくれると説明書に書いてあった。

 きっともう配信は始まっているのだろう。


 ぎこちない笑顔でポムはスマホに向けて手を振る。


「あのー、こんにちは。初配信です」


 視聴者数は〇のままだ。だが黙っていても仕方がないので、ポツポツと喋りながらポムは移動していく。

 ダンジョンの中は薄暗い。だがスマホが空中に浮かび上がりながら、ライトを煌々と灯してくれているため、視界は確保できていた。


「名前はポム。ポム・ブランシュです。機体代無料ののぼりにつられて、冒険者登録してみました。あはは。でもねー、ギルドカードはランク外なんですよ。見ます?」


 言いながらポムはポーチからカードを取り出す。くすんだ色のカードに、スマホが寄った。画面に大きくランク外の文字が映し出される。


>ランク外て

>そんなんあるんか

>初めて見た


 視聴者が集まり始めたらしい。まだ数人だが、ポムはホッとスマホを眺める。


「ああ、コメント嬉しいです。本当に初配信なんで……。ランク外、しょうがないんですよねー。私、ステータスが低いから。ステータスオープン……でいいのかな」


 ギルドで教わった通りに呟くと、ポムのステータスが表示された。


 名前:ポム・ブランシュ

 レベル:3

 称号:なし

 体力:11/12 魔力:15/15

 筋力:F 精神力:F

 スキル:ドレイン


「これって配信でも見えるんですかね」


>見えてるよ

>普通見せない

>てか弱www

>ランク外すぎる


 コメントを見るに、ステータス画面は基本的に見せないものらしい。個人情報でもあるし、コロシアムなど対人戦も行うのであれば、自分の弱みを他人に握られることに繋がりかねない。


「まあ私は弱みも何も、見ての通り弱いので」


>それはそう

>その荷物なに?


 ポムがその場で両手を広げて見せると、視聴者が問いかけた。確かにポムの装備は、普通の人にとっては見慣れないものだろう。冒険者も持ち歩かないものだ。

 少し進むと、ダンジョンの通路の先にわずかな灯りが見えた。この先に広場があるのだろう。

 ポケットからスケッチブックを取り出し、表紙をめくった。


【ポムの迷宮絵画教室 1回目】


 色彩豊かに描かれた題字をスマホに向ける。


「ということで、本日よりポムの迷宮絵画教室の配信を始めます!」


>迷宮?

>絵画教室?


「この配信では、お絵描き講座を中心に行なっていきます」


>需要あんの?


「ない気がしたので、冒険者さんの攻略配信を参考に、ダンジョンでのスケッチや絵画制作を主軸に置いてみました」


>混ぜるな危険


「本日は『はじまりの迷宮』50階、ダンジョンボス・ミノタウロスの間から配信しています」


>嘘だろ

>さっきのステータスで?

>待ってマジだ。そこの壁画見たことある


 数十人程度の視聴者が集まり、コメント欄が活性化する。そのほとんどが、ポムを心配するものだった。


>死に戻りRTAかよ

>自殺志願者やばすぎ

>運営に通報しといた方がいいんじゃね

>近くに冒険者いない? 誰か助けに行けよ


「大丈夫ですよー」


 ポムは気楽に言う。スケッチブックをめくると、白いページが出てきた。腰から下げた絵筆ケースから鉛筆を取り、スケッチブックに滑らせる。


「みなさんご存知の通り、魔法には二種類あります。魔術と魔陣ですね」


>教室始まった

>絵画じゃなくね?


「魔術は魔術師の体内で魔力を練り上げ、属性と合わさることで発動するものです。対して魔陣は、魔力を込めて陣を描くことで発動するもので、基本的には無属性です」


>うんうん

>そんなことしてる場合か

>お前魔力ないじゃん


「そうなんです。でもこのスキルがある」


 喋りながらも、ポムは難なくサラサラとスケッチブックに魔陣を描き上げていく。鉛筆の先にはダンジョンから淡い光が集まり、魔陣もまた光を帯びていた。


 ドレイン。周辺の体力と魔力を吸い取る能力。

 しかしポムの体力と魔力の数値は低く、吸い取っても自分の力として使うことができない。

「ならば、あなた以外のものに吸い取った力を送りなさい」

 先生はそう言い、魔陣についての知識をポムに与えた。

 絵を描くことをこよなく愛している彼女にとって、複雑な魔陣を描くことなど、造作のないことだった。


 鉛筆の先端が、スケッチブックに円を描く。

 完成した魔陣が強い光を放った。


「ドロウ・ドレイン! 魔陣・退魔結界を発動します」


 ポムを中心とする半径2メートルが光の壁に覆われた。少し離れた所にいたスマホが、慌ててポムにくっつく。スマホもモンスターだ。下手すると結界に引っかかるのかもしれない。

 スマホを肩に乗せてやり、ポムはスケッチブックを掲げる。


「うーん。今日もいい感じの魔陣が描けた!」


>かけねーよ

>普通じゃない

>魔力多いやつでも一日がかりとかじゃなかったっけ?


 ポムは新鮮に驚きながらコメントを見る。魔陣とはいえ、単色で平面的な模様だ。動くモンスターをスケッチするより、断然簡単だろう。一日もかかるわけがない。


「魔力を込めるのに時間がかかるんですかね?」


 ポム自身、街では魔陣を発動できない。ポムの魔力も足らず、周辺にも魔力がないからだ。


 ダンジョンは魔力に満ちている。モンスターが多くいるだけでなく、ダンジョンそのものが魔力を帯びているのだ。奥の階層に進むにつれて、魔力量が多くなり、ドレインできる量も増える。その分、強力な魔陣を展開することができた。


「それじゃあこのままミノタウロスの間に突入しまーす」


>待って

>ダンジョンボスに一人で?!


 絶叫するようなコメントも気にせず、ポムはダンジョンの最奥、ミノタウロスのいる広場へと突入した。


 どちゃっ! と湿った音と共に、一瞬視界が暗くなる。

 ポムの発動した結界を覆い尽くすように、スライムが大量に落ちてきたのだ。


「うわっ、スライムが」


>やば

>モンスターハウスじゃん

>ミノタウロスの間ってこんなのあったっけ?


「こういうのはスイスイすいーっと消しちゃいましょうねー」


 ポムは魔陣に鉛筆で模様を数個描き入れる。強度を増し、一定以下のレベルのモンスターを消滅させるものだ。

 ダンジョンから吸い取った魔力を魔陣に流し込むと、じゅっという熱い音がして、スライムが消し飛んだ。


「スライムをスケッチするにしても、あんまり多いと視界が悪くなりますからねー」


>ええ…

>なんでレベルあがらないの?

>おかしい


「魔陣を使っているからでしょうね」


 魔術は魔法を使う本人の特性が鍵となる。その為、モンスターを倒した時にちゃんと魔術師自身に経験値が入った。

 だが魔陣は描いた当人がその場にいなくても発動できる。なおかつポムが魔陣に使っている魔力は自分の魔力ではないため、経験値が入りづらいのだろう。


「あと基本的に、結界ではなくて隠蔽の魔陣を使ってますから」


 ポムは自分の手の甲をスマホにかざす。そこには、彼女が描いた隠蔽の魔陣があった。ダンジョンやモンスターから魔力を吸い取り、淡く光っている。


「でもこのままだとミノタウロスに見つけてもらえないので、消しまーす」


>ばか やめろ

>嘘でしょ


 絵筆ケースから平筆を取り出し、手の甲の魔陣を拭う。乱された魔陣は光を失った。


 広場の奥から、ブルルルルと低い唸り声が響いてくる。


>来るぞ

>やばいやばいやばい


 ぶぉおおおおお! 雄叫びを上げる二足歩行の巨大な雄牛が、ポムめがけて駆ける。駆ける。地面が震え、二本の聳え立つツノが天井を抉っていた。

 近づくにつれ、ミノタウロスとポムの体格差も明確になる。小さな彼女は、ミノタウロスの膝にも届かない。雄牛がほんの少し足を上げるだけで、踏み潰されてしまうだろう。


>無理むりむり

>ちびった

>ミノタウロスでっか……

>運営! 配信止めろよ! 死ぬってこれ


 コメント欄は狂乱する。視聴者数は既に一万を超えていた。

 ポムは呑気に結界の中でイーゼルを立て、小さな椅子を組み立てる。


「何を描くにしても、スケッチは基本ですからね。まずは対象をよく観察して、いっぱい描いていきましょう」


 スケッチブックをイーゼルに立てかけて、ポムは素早く鉛筆を走らせる。走るミノタウロスのスケッチは、姿形をよく捉えていた。


>うっま

>天才か?

>神絵師キタ

>そんな場合じゃなくね?


 ポムがスケッチをする間にもミノタウロスは迫っていた。ミノタウロスは足を上げ、彼女を蹴りつける。だが半径二メートルを覆う結界が、バチッと音を立ててそのダメージを反射した。


 ギュウ! とミノタウロスは叫び声を上げる。


>牛

>牛が…ギュウ!


「こういう鳴き方もするんですねー」


 ほのぼのとしたポムとコメント欄に腹を立てたわけではないだろうが、ミノタウロスは大きく咆哮した。背中に負っていた巨大な斧を手に取り、振りかぶる。

 斧が振り下ろされるのを、ポムは驚嘆の眼差しで見上げた。


 斧がポムの結界を直撃する。どおんと重い音が響き渡り、イーゼルや椅子がガタガタ揺れた。結界がわずかに割れ、ばちばちと爆ぜる。


 ポムは目を輝かせ、はしゃいだ様子で言った。


「今の! 見ました? かっこよかったですねー! 今のポーズを元に絵を描いていきましょう!」


 イーゼルにキャンバスを置き、鉛筆でざっくりと下絵を描く。絵筆ケースから一番大きな平筆を取り出し、パレットからベージュと茶色の絵の具をとった。


「まずはザザーっと下塗りをしていきましょう。細かいことは気にしないで大丈夫!」


>少しは気にしろ

>ミノタウロスさんおこですよ

>逃げたほうがいいって


「自分の感じたこと、色との出会いを楽しみましょうー」


 ミノタウロスは斧で何度も結界を叩く。その度にイーゼルが揺れ、平筆の描く線が震えたが、ポムにとってはそれすらも楽しかった。


「あっ、この線いいですね! ダンジョンの壁のひび割れによく似ています」


>違うそうじゃない

>やばいなこいつ

>PVの伸びえぐ

>サイトでも話題になってるよ


 ポムが確認すると、視聴者数が九十万を越えていた。説明書には累計視聴者だと書いてあったはずだ。同時に九十万人が見ているわけではなく、入れ替わり立ち替わり見にきているのだろう。

 想像もしていなかった人数に面食らう。


「九十万人ってすごいですね?」


>すごいよ

>それより今の状況わかってる?

>結界割れそうだけど!!


 確かにと頷き、ポムはスケッチブックを開く。新しいページに魔陣を描き、あらためて発動した。割れた結界のすぐ下に、丸く完全な結界が広がる。


「それじゃあ続き描きますねー」


>軽っ


 二重になった結界は硬く、ミノタウロスの斧も刃が通らなくなってしまった。何度も何度も殴打してくる様子を見上げながら、ポムはキャンバスに向かう。

 先ほどよりも濃い茶色を平筆に取る。


「普通の描き方だと、絵の具を乾かさないといけないんですが、ダンジョンでその時間を取るのは難しいので、このままミノタウロスも描いていきます」


 下絵を参照しつつ、ポムはミノタウロスをキャンバスに描いていく。躍動感あふれるポーズのモンスターは、今にも飛び出してきそうなほどの勢いがあった。


「絵の具が滲んでいくのが、いい感じにミノタウロスの毛っぽくなってますねー」


>お、おう…

>逃げて

>そうだね

>絵が上手い

>初見です。何してんのやばくない?


 初めから見ていた視聴者はツッコミを諦め、見始めたばかりの視聴者は新鮮に驚く。読みきれないほどの速度で流れていくコメントを、ポムは嬉しく眺めた。

 ニコニコと笑いながら、ポムは絵筆を走らせる。


「好きなだけ絵を描けて、みんなに見てもらえるのって、幸せですね」


 見る間にも、絵筆はキャンバスに見事なミノタウロスの姿を描き出していた。黒の絵の具で瞳の輪郭を取る。あとはハイライトを入れれば完成だ。

 ホッと息を吐き、スマホに笑いかける。


「ねっ、簡単でしょ?」


>どこがだ

>天才の所業

>無茶言うな


 今、ポムは心から満たされていた。


 絵を描けて、それをたくさんの人に楽しんでもらえるのが、何よりも嬉しかった。


 冒険者としての素質はランク外。今まさにダンジョンの深層でミノタウロスに殴打されている。魔陣は使えるものの、攻撃手段となる属性魔法は一切使えない。ここから逃げる道筋はないのだ。


 それでも幸せだとポムは笑った。


 累計視聴者数が百万を超える。

 スマホから、若い少年の声が響き渡った。


「ピンポンパンポーン! 累計視聴者数百万人突破おめでとうございまーす!」


 聞いたこともない声に、ポムは驚く。ミノタウロスも別の敵が現れたのかと、辺りを見回した。


 不意に、ポムの背後に気配が現れる。スケッチブックの魔陣が強い光を放ち、結界がより分厚くなった。彼女のスキルが吸い上げる魔力量が増えたのだ。

 つまり、強い『なにか』が現れたということだ。

 ミノタウロスもきっとこの力を感じ取っているのだろう。攻撃の手を緩める。ポムは、冷や汗が背中を滴り落ちるのを感じた。


 ゆっくりと振り向くと、一人の少年と目があった。ストロベリーブロンドの巻き毛はツヤツヤと光を放ち、淡い色の瞳は楽しそうにすがめられている。


>カオスだ

>運営?


 コメント欄を見て、カオスは不満そうに唇を尖らせた。


「あー待ってよ、先にネタバラシしないでくれる? ボク、自分で言いたかったのに」


 こほんと咳払いをして、カオスは両手を上げる。


「こんにちはー! スマホの開発者にして配信サイトの運営者、つまりこの世の創造主。カオスちゃんでーす!」

「あ、はい……こんにちは」


 あまりの陽気さに面食らったポムは、とりあえず挨拶を返す。カオスは楽しそうに彼女の頭を撫でた。


「やー、デウスの愛弟子って聞いてたから、つまんないやつかと思ってたら、結構やべー女じゃんね。普通一人でダンジョンボス攻略する?」

「先生のお友達……ですよね。先生も言ってました」

「お友達じゃなくて知り合いね!」


 それも先生が言ってたなと、ポムは思い返す。あまり仲がいいと思われたくないようだ。

 カオスはポムの手を取り、大きく上下に振った。


「初配信で百万人突破した君には、お祝いに新しい称号を与えちゃいまーす!」


>え? そんなこと出来んの?

>女神じゃないじゃん

>配信サイト上でのか


「リアルの称号だよーん。そうだなー、君に似合う称号は……」


 ちらりとカオスはキャンバスを見る。唇の端を引き上げ、人差し指でポムの額に触れた。


「『神絵師』。これしかないね」


 触れられた額に熱が集まる。強い魔力が流し込まれ、ポムの身体や魂が沸き立つ感覚があった。女神謁見の時と同じ高ぶりに、彼女は震え上がる。

 カオスは本当に女神マリスと同じ力を持っている。


 ゆっくりと手のひらを開き、カオスは言う。


「ステータス、見てみな」


 言われた通りに開くと、称号欄が書き変わっていた。


 名前:ポム・ブランシュ

 レベル:3

 称号:神絵師


>マジだ

>嘘だろ

>カオスって神なん?


「だから言ってんじゃん。創造神だって」


 カオスは呆れたように呟き、パッと笑みに顔を切り替える。


「そんじゃまた! 視聴者数下がったりつまんなかったら、称号剥奪しにくるからー」


 言うだけ言うと、カオスは現れた時と同じように、素早く姿を消してしまった。

 何もいなくなった場所を、ポムと視聴者は呆然と見つめる。


>ええ…

>サラッとやべーこと言ってたな

>てか神絵師称号って何できるの

>それ気になった


 ポポンとスマホが着信音を鳴らす。画面にはカオスからのメッセージが届いていた。

「称号の解釈はお好きにどーぞ」

 ポムは思わず、コメントと同じ言葉を呟いてしまった。


「ええ……」


 お好きにどーぞと言われても、どうすればいいか見当もつかない。

 ポムは腕を組み、頭をひねる。

 カオスが去ったことに気付いたのだろう。ミノタウロスも体を起こし、斧を握り直した。


>ポムちゃんやばいて

>一旦撤退した方が良くない?


「ちょっと待ってくださいね、斧を描き加えるので」


 ポムは絵筆をとり、またキャンバスに向かった。少し時間を置いて絵の具が乾いた分、斧の刃が鋭く描けた。


「やっぱり斧を持ってた方がかっこいいですね」


>絵師ってみんなこうなの?


 コメントにポムはふふっと笑う。

 勇者の称号は、全体的な能力を数倍にするという効果を持っている。他より優れ、戦いに選ばれたものが勇者だからだ。

 もしも絵師の称号があるなら、コメントの言う通り、絵に熱中しているものになるのかもしれない。


 カオスは自分のことを「創造神」だと言っていた。この世界を作り、ポムたちに命を与えたものが、神と名乗るのだろう。


 ならば神絵師は?


 ポムは目を見開き、自分の描いたミノタウロスを見つめる。細筆をとり、白の絵の具を先端につけた。


「神絵師は……」


 ミノタウロスの瞳に、眼光を描き入れる。

 命を得たような生き生きとした姿に、ポムは笑みを漏らした。


「『描いたものに、命を吹き込む人』」


 ポムのスキル・ドレインが発動した。

 ダンジョンやミノタウロスから吸い上げた魔力が、キャンバスのミノタウロスに吸い込まれていく。キャンバスは光の中に消え、代わりに――。


 巨大なミノタウロスが、ポムのかたわらに現れた。


>うっそだろ

>ダンジョンボス二体ってありえない

>死んじゃう


「大丈夫ですよ」

 ポムは確信を持って、笑顔で頷く。

「こっちのミノタウロスは、私の味方です」


 彼女の声に応えるように、新しく現れたミノタウロスが高く咆哮した。

 ポムは空っぽになったキャンバスをスマホに向ける。


「神絵師の称号の力で、あの子を生み出したんです」


 呆気に取られているダンジョンボスを、ポムのミノタウロスが攻撃する。ポムは魔陣の描かれたスケッチブックを破り捨て、結界を解除した。

 自分の肉眼で、ミノタウロスたちの戦いを見たかったのだ。


>すげ…

>ダンジョンボス同士で戦ってるの初めて見た

>誰も見たことねえよ

>神絵師…強すぎんだろ


 ポムとともに、視聴者もミノタウロスたちの戦いを見守る。

 ポムのミノタウロスは、本物よりも赤茶色が強い毛並みをしていた。手持ちの絵の具がそれしかなかったからだ。本物の色に近づけるには、どの絵の具を使えばいいだろうか。そんなことを考えながら、ポムはスケッチブックを手に取り、戦いの様子を記録する。


 配信で絵を描くことを奪われたと思った。

 だが配信がポムに絵を返してくれた。

 それだけでなく、新しい力も与えてくれた。

 百万人が見たのなら、もしかするとアレクサンドの目にもとまったかもしれない。


 何枚も何枚もスケッチをとる。巨大なモンスターの戦いは、リアルだからこその躍動感に溢れ、いくら描いても飽きなかった。

 スケッチブックの最後のページをめくる。そこには、配信の終わり用に準備した題字があった。


 ポムのミノタウロスが、斧を大きく振り抜いた。ダンジョンボスのミノタウロスの首が落ち、地面を振動させる。

 その風景を背に、ポムはニッコリと笑って題字をスマホに向ける。


【ポムの迷宮絵画教室 1回目 終】


「本日は、ポムの迷宮絵画教室にお付き合いいただきありがとうございました! また次回もお楽しみに!」


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― 新着の感想 ―
[良い点] ファンタジー世界と動画配信の組み合わせ、面白かったです。 ミノタウロスを描いているとき、終始絵を描くのに良い意味で狂っているポム、魅力的でした! また、個人的に特に好きなのは「創造神」の…
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