第23話
山を登る。
子狐が死んだ場所を目指して。
花の一輪、線香の一本でも手向けるためだ。
死んでから半年以上は経っている計算になるので、遺体はおろかもう骨も残っていないだろう。
それでも、どうしても成仏させる前に手を合わせたいと健介は主張した。
それで未練が断ちきれるならと丹籐寺も頷いたのである。
ただ、山歩きの予定はなかったので、ちょっと装備というか服装的に厳しくてね。
丹籐寺はいつものカジュアルスーツだし、私だってブラウスにタイトにパンプスだし。
これで山に入るのは、ちょっと自然を舐めすぎってものだろう。
なので、健介とお母さんから借りることになった。
ナイロンのパーカー上下にゴム長靴、軍手につば付き帽子。そのまんま山菜採りのおばちゃん! という格好になっちゃったけど、こればっかりは仕方ないよね。
山ガールのごときファッション性ってわけにはいかないさ。
いいんだよ。
かなしくなんかないもん。かなしくなんかないもん
「ぐちぐちぐちぐちと。そんなに嫌なら家で待ってれば良かったのに」
健介に抱かれた状態のまま、紫が呆れたような声を出す。
なかなかシュールな格好だけど、こうしていないと彼には霊体が見えないから。
霊感がないのは私も同じなんだけど、さすがに丹籐寺とおてて繋いで山登りってわけにはいかない。
なので、四人チームのうち、子狐の霊が見えていないのは私だけだ。
気持ちとしては寂しいけれど、他三人には見えているので、道案内としては問題ない。
山の中を三十分ほども歩き、たどり着いたのは小さな沢だった。
「ここで……力尽きたのか……」
健介が呟く。
やはり子狐にとって自然は過酷だった。
ろくに餌を獲ることもできず、逆に他の獣に襲われながら、せめて喉の渇きを潤そうと小川にたどり着いた。
「そして力尽き、死体は雑食の動物たちに食われた」
ご丁寧に解説してくれる紫。
余計なこと、ではない。最期の瞬間をきちんと心に刻み込むための儀式だ。
健介の目から涙がこぼれる。
「なんで……」
「野生動物なら九割は淘汰されて死んでるよ。べつにこの子だけが特別不幸だったわけじゃない」
むしろ親とはぐれた時点で子狐の命運は尽きていた。
健介が家に連れて帰ったから、半年以上も長らえることができただけ。
「本当だったらそこで死んでいたんだ。そこでこの子の物語は終わっていたんだよ。健介」
「ぐ……」
腕の中から、優しげに紫が言う。
慰めというには、厳しすぎる事実だ。
「終わるはずの物語には、おまけの時間があった。それはこの子にとって何よりも幸福な記憶だったんだ」
失いたくなくて迷い出て、健介に取り憑いてしまうほどに。
「俺は……間違っていたのかな……? 紫さん」
「幸福をあげたことが間違いだというなら、そうだろうね」
「でも死んでしまった」
「どんな生き物でもいつかは死ぬよ」
ウシぬいが腕を組む。
そして遠い目をした。
「僕は精気をもらうときの対価として、お酒や料理を含めた楽しい時間を提供しているんだ」
人間の方からとくに請われない限り、現金を渡すことはないという。
私と契約するときにはちらっと現金の話が出たけど、あれは特殊なケースらしい。
「どうしてお金や物を渡さないかっていうと、そんなもの墓の下までなんか持って行けないからさ」
どんな金持ちだろうと、貧乏人だろうと、死んだら身ひとつであの世に向かう。
お金なんか持っていけない。
「持って行けるのは思い出だけだよ」
「…………」
「一年もなかったこの子の命だけど、その半分以上は幸せな思い出で満たされてる」
「…………」
「そこの部分まで健介が否定したら、この狐の生には不幸しかなかったということだろうね」
「……そうだよな。俺やお袋は、お前に会えて幸せだった。お前もそう思ってくれるかい?」
健介の問いかけ子狐がどう応えたのか、私には判らない。
見えてないからね。
土を盛り、石を組み、なんとなく墓所っぽい雰囲気にしていく。
遺体も遺骨もないからね。
祭壇代わりの平たい石に家から持ってきた線香を置き、火をつける。
簡素な葬式だ。
そして懐から木板を取り出す取り出す健介。
「獣医からは情が移るから名前をつけないようにって言われてたけどよ。じつはちゃんと名前決めてたんだぜ。灯、思い出をありがとうな」
言葉とともに土に刺し、手を合わせる。
墓標ということなのだろう。
「ちょっ!?」
「おまっ!?」
丹籐寺と紫が慌てる。
なんかまずいの?
「こんなの用意しているなら先に言ってほしかった……」
「手遅れだよ丹籐寺……名前が与えられちゃったもん……」
どうしよう、っていう調停者とあやかしの態度にきょとーんとしちゃうよ。
私だけじゃなくて健介もね。
お墓を作って、感謝の意を伝えただけじゃん。
普通のお墓参りでもすることだよ?
「意味が違うよ、左院くん。墓に魂は宿っていないからな」
がりがりと丹籐寺が頭を掻く。
困ってしまったときの癖だ。
たいして長くもない付き合いで、私はそのことを知っている。
「人に取り憑いて、悪霊化寸前までいってる強い霊魂だからね。名前を持っちゃったら、どうなるかって話さ」
健介の肩に乗り、このやろこのやろとぬいパンチを横頭にたたき込みながら紫が言った。
「俺、また何かやっちゃった?」
「どこの異世界小説の主人公だよ。あんたは」
私がツッコミを入れてあげた瞬間だ。
狐の鳴き声が山に響く。
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