メモリー7
生皮を引き剥がされたようなグロテスクな見た目をした化物、処刑人はグロウ・イェーガーを飛び出した眼球で捉える。
圧倒的な存在を前に、グロウは為す術を考えられずにいた。
『エナジー障害』を患っているグロウは『キャスト』が使えず戦闘力は一般人以下しかなく、もし『キャスト』を使えたとしても眼前の化物に勝てる可能性は幾らあるか。
それは果てしなくゼロに近いだろう。
思考している内に、処刑人は咆哮を上げながら襲い掛かってきた。図体に似合わず速く、逃走や回避は間に合わない。
グロウは反射的に幼女のカノを庇うように抱き寄せ、体を小さくし激痛を予測して目を瞑った。が、いつまでも体に痛みが走ることは無かった。
「何だ……?」
恐る恐る振り返ると、処刑人は『エナジー』で形成された障壁の檻に阻まれ、気の狂ったように刃を振り回していた。
「安心しないで、一時しのぎよ。今のうちに逃げましょう」
胸元に目を落とすと、カノが左手を掲げ『キャスト』を行使していた。
言われるがまま、グロウは幼女の小さな体を抱き上げて逃走する。大部屋を飛び出し廊下を駆け抜ける傍ら、窓の外の景色へ目を向けると、この病院らしき建築物は小高い丘の上に建てられていることが分かった。
グロウが入居していた施設は山間部であったことから、距離にしても別の場所へ転移したと推測できる。
「下に向かって」
「下って!?」
「都度、指示を出すわ。とにかく下へ向かって」
分けも分からずグロウはカノに導かれるまま階段を目指す。
現在は四階。
下を目指すと言うからには、一階のことなのだろう。やがて階段を見付け、三階に下りるもそこから先の階段が崩落して使用できなかった。
「マジかよ!」
「廊下の突き当たりにもう一つ階段があるわ。そっちを使いなさい」
改めてグロウは駆けようとするが、不意に背後で殺気を感じ反射的に身を伏せた。
瞬間、頭上を獰猛な処刑人の刃が通り過ぎた。
「追い付いて来た!」
「あら、意外と早かったわね」
呑気に告げるカノだが、グロウに取っては文字通り死活問題だ。処刑人は数秒と待ってくれず、グロウを八つ裂きにするだろう。
迷っている隙はなく、グロウは決死の覚悟で崩落した階段の方へ跳躍した。
崩落は一階まで及んでおり、着地地点はコンクリートや鉄筋が積み上げられ、どう落下しようと大怪我を免れないことは明白である。
「身を小さくしてください」
頭の中に響いた声に従い、グロウは身を丸めた。
するとカノが何かの『キャスト』を行使し、グロウの周囲に球状の障壁が張り巡らされる。
そのまま地面に落下したグロウだが、剥き出しの鉄筋やコンクリートに打ち付けられても全く痛みは無かった。
「カノ、君か?」
転がり落ちたグロウは、必死に抱き抱えていた幼女へ問い掛ける。
「守られてばかりでは邪神の名折れというもの、このくらいはね」
「助かったよ」
「安心するには早いわよ」
カノの言葉と共に、背後で凄まじい落下音が鳴り響いた。
振り返るまでもなく、処刑人が追ってきたことを理解したグロウは一目散に駆け出した。
とは言え、人並みの脚力しか無いグロウが怪物のスピードに勝てる見込みなど無い。
「伏せて」
頭の中で声が響く。
グロウは反射的に身を屈めると、頭上を処刑人が飛び越える。
「右手の通路へ」
抱き抱える幼女が指示を出す。
疑問を抱く間もないグロウの体は自然と右へ駆ける。通路の両脇には扉が並んでいる。
「どの部屋に入る!?」
「一番奥の左手よ」
グロウは通路奥まで一気に駆け抜ける。
背後から処刑人が刃を地面に突き立てながら迫る音に急かされるように、力の限り走った。
やがて通路の奥にたどり着き、ほとんど体当たりするかのように指定された部屋に飛び込んだ。処刑人も後を追って部屋に入ろうとするが、寸でのところでドアを閉めて入り口を塞ぐ。
そこにカノが『キャスト』を行使し、ドアの素材を強化することで破られることは無くなった。
「はぁ、はぁ……助かったのか…………?」
「お疲れさま。もう下ろしていいわよ」
息も絶え絶えのグロウは、カノをゆっくりと床に下ろす。
その間際、彼女の唇が優しく唇へ触れた。
驚くグロウに蠱惑的な笑みを浮かべた彼女が告げる。
「何を!?」
「フフッ、私達を落とさなかったご褒美よ。あら、赤くなっちゃって、可愛いのね?」
どぎまぎするグロウは、発熱する顔を背けた。
照れ臭さからドアの方へ目を向ける。
ドア板一枚挟んだ向こう側に、処刑人が狂ったように暴れているのだろうと思うと先ほどの恐怖が蘇る。が、ドアの向こうからは物音一つ聞こえない。
「諦めてくれたか?」
「その様ね」
「死ぬかと思った…………」
安堵したグロウは膝から崩れ落ち、尻餅を着いてその場に座り込んだ。
「今日だけで九死に一生を何度得たことか…………」
「私達が着いていれば、マスターが死ぬことはまず無いわよ。安心してちょうだい」
「それもそうだね」
カノの言葉に得心するグロウ。
一目で圧倒的と理解できる異質な存在が自分に取り憑いているのだ。あんな怪物など、カノならあっという間に倒せることだろう。と、グロウの中に小さな疑問が浮かんだ。
「そういえば、カノならあの処刑人も倒せたの?」
「処刑人? あぁ、さっきのクリーチャーね。そうね、私達の中に倒せる個体は少なくないわ」
「じゃ、何でさっきは逃げ回る羽目に? 倒してくれても良かったじゃん」
自らを邪神と称するカノ。
その言葉に違わぬ圧倒的な力を持つ存在である彼女なら、処刑人など瞬殺できるはずだ。それが大人しくグロウに抱き抱えられ、逃げ回っていた理由が気になった。
「マスターの『エナジー』が召喚に足りなかっただけよ」
「『エナジー』が不足? 僕は『キャスト』なんて使えないから、『エナジー』は貯まって消費されないはずだよ?」
「さっき紹介の時に一杯私達を召喚したでしょ?」
「あぁ、してたね」
ここに飛ばされて直ぐの時だ。
カノが自らの存在を説明する際に、様々な女性を召喚して見せた。
「それが原因で僕の『エナジー』が不足した、と?」
「そうね」
「何してくれちゃってんの!?」
心の底から出た叫びであった。