メモリー41
グロウ・イェーガーは足元に置いていた旅行鞄の『クラウン』を蹴り、強引に蓋を開けさせた。
瞬間、ドクター・ヨハンソンが手掛けた逆三角形の形をした純白の『バリスティックシールド』が飛び出した。グロウは中空でそれを左手で掴み取ると、半魚人と化した兵士が放つアサルトライフルの弾丸を防いだ。
しかし、生憎と教祖が『キャスト』によって『転移』させられた『異世界』は、泥濘だらけの平地で隠れる場所など何処にもない。
正面からの攻撃はシールドによって防ぐことができるが、左右と背面は無防備である。それは一目瞭然の事実であり、兵士は慣れた足取りで左右に展開し両側面から弾丸を放った。
シールドで防ぐことができるのは片側のみ。
右側に展開した兵士に対しては、『カミラ』の牽制射撃によって照準を逸らし、被弾箇所を急所から外すことが精一杯だった。
急所を外れていても被弾すれば激痛が走る。が、『メンズフォーマル』の生地はカノ・ラピス特製の防弾仕様だ。
痛みはあれど負傷らしい負傷は無い。
「クソッ、メチャ痛い……!」
不意に銃撃が止んだことへ訝しんだのも束の間、全身の肌が粟立った。
反射的にシールドを正面へ向け直した瞬間、白亜の表面を何か強い衝撃が走った。
フルオートのアサルトライフルの弾丸を防いでも大した反動を感じなかったシールドだったが、今度の一撃は身体が浮いて吹き飛ばされるほどの威力を持っていた。
数メートルほど泥濘を転がるグロウは、直ぐに体勢を立て直し何者かの追撃をシールドで防ぐ。
今度は表面を少し反らせることで威力を受け流し、吹き飛ばされることは無かった。
しかし、その威力は絶大であり、グロウは数歩よろめいてしまった。
それでも倒れることはしなかったグロウは、驚異的な威力の連撃を叩き込んで来る敵の姿を目視する。
「マジかよ……!」
それはリリであった。
彼女は黒のフルプレートアーマーと黒のツーハンデットソードを装備し、自らを漆黒の騎士と化してグロウに斬り掛かっていたのだ。その黒い装備の一つ一つがヨーグという悪逆という概念を物質化させたような泥であると、漂い漏れる異様なほどに邪な『エナジー』から理解できた。
「マスター、来るわよ」
カノ・セイフが驚愕と動揺で思考停止したグロウを叱責する。
瞬間、長剣を構えたリリが斬り込んで来た。
ただの踏み込みのはずが、視認することができない。直感的に悪い予感のした方向へシールドを構えたことで間一髪、防ぐことができたが、今度は吹き飛ばされて泥濘を転がることとなった。
「クソッタレ! 教祖の野郎、やりやがったな!」
「熱くなったら負けるわよ。冷静に状況を判断なさい」
「けど、リリがーーーー!」
次の瞬間、銃撃が再び始まった。
半魚人の兵士が包囲するように前進を始めたのだ。
それと同時にリリが何か『キャスト』を行使し、ツーハンデットソードの刀身に漆黒の『エナジー』を纏わせ始めた。
「リリは敵よ。倒さないと、死ぬのはマスターなの」
「分かってる! 分かってるけど……」
そんなやり取りをしている間に、リリの『キャスト』が準備を終えた。
濃密に編み込まれた不浄を伴う『エナジー』が爆発的に膨れ上がり、刀身を何倍にも伸ばす。やがて、その巨大な刀身はグロウへと振り下ろされた。
「マジかよ!」
『エナジー』を纏った一撃は、地面を抉り空気を吹き飛ばし空間すらも押し潰した。
斬撃というには生温く、その一撃はあらゆる生物を皆殺しにする凶悪なものであった。
もしグロウがそれをまともに喰らっていたならば、死体すら残らずこの世から消し去られていたであろう。
「イェアリ・ク……」
しかし、寸でのところでカノ・リッパーが顕現しグロウを抱き抱えて鏖殺の一撃を回避した。
身体を痙攣させるボロボロの軍服姿の巨大な女怪異は、グロウを優しく泥濘に着地させると、見た目とは裏腹に俊敏な動きでリリへ吶喊する。
リッパーの巨大なサバイバルナイフがリリのツーハンデットソードと打ち合う。甲高い金属音が鳴り響き、衝突によって火花が散らされる。二人の得物に編み込まれた『エナジー』が激突し、周囲が人の生きられないほどに濃密な瘴気で汚染される。
一見すれば二人の実力は互角と言えた。
何合、何十合と斬り結び、一進一退の攻防戦が繰り広げられ勝敗の行方は余人には計り知れなかった。
しかし、グロウの目にはリッパーが圧されているように映っていた。『契約』によって繋がっているためか、彼女の中で焦燥が集っている様子を感じ取っていた。
「教祖を倒さないと!」
リッパーの攻防が時間稼ぎでしか無いならば、今のうちに本丸を落とさなければならない。
しかし、駆け出そうとしたグロウを抑止するように、半魚人の兵士達が銃撃を始めた。
「うざったいな!」
「なら、私達を使いなさい。いつまで一人で戦うつもり?」
セイフの言葉にグロウは自らの愚行を理解する。
教祖の出現とリリの洗脳に冷静な判断能力を失っていたことで、邪神カノを喚び出すことを失念していたのだ。
それだけに留まらず、作戦すらも忘れ去ってしたのだ。
兵士が銃撃しつつ展開する様子をシールドの端から確認しつつ、グロウは新たにカードを切った。
「スペック、リッパーの援護を!」
「イェアリ・ク。ようやく出番か」
ガスマスクを備え黒いミリタリージャケットを羽織った猫耳少女が顕現する。
カノ・スペックは即座に行動を開始すると、『加速』の『キャスト』を用いてリリとリッパーの戦闘へ介入する。
剣戟鳴り響く瘴気の渦の中、サブマシンガンを乱射したスペックがヒットアンドアウェイでリリを翻弄する。
それによって形勢が逆転した。
「ラピス、道を切り開いてくれ!」
「イェアリ・ク。お任せ下さい」
次いでビキニアーマーを装備した褐色肌の女エルフが顕現する。
カノ・ラピスは『キャスト』を行使し、兵士に対して火炎による攻撃を開始する。広範囲に灼熱の炎が広がり、半魚人の兵士達を火炙りにしていく。が、グロウの知る由ではないが、元が『国家安全保障局』の実働部隊だけあり即座に防御系の『キャスト』で炎を防いだ。
しかし、兵士達の足止めには有効であり、教祖までの道が開けた。
「ルージュ!」
「イェアリ・ク、任せな!」
矢継ぎ早に喚び出したのは、野球帽を被ったブルネットの美女。
カノ・ルージュは顕現して間も無く、自らを黄緑色半透明のゲル物へと変化させるとグロウの中へ入り込む。そして擬似的な『ウィザード』としての能力を付与してくれた。
「行くぞ!」
グロウが駆け出すと共に、ルージュが体内で『加速』の『キャスト』を行使する。
一秒が十秒、一分と引き伸ばされ、周囲の景色がゆっくりと流れ始める中、グロウだけが通常の速度で走り火炎で身動きの取れない兵士の包囲網を突破した。
一気に教祖へと接近し、至近距離で『エナジー』で編まれた弾丸を浴びせかけるべく『カミラ』を構えた。
「ウヤ・ウィール」
教祖がニヤリと笑みを浮かべた瞬間、悪寒が全身を走った。
グロウは銃撃する一瞬前に『カミラ』ではなくシールドを構える。同時に装甲表面を爪で引っ掻くような耳障りな音が鳴り響くと共に、凄まじい衝撃が左腕に走った。
教祖は右手を軽く振ったのみにも関わらず、グロウは盛大に吹き飛ばされた。
「ハハッ、君の相手は私が請け負うことにしよう」
嘲笑する教祖は既に人では無くなっていた。
振るった右手は触手に変貌し、それが徐々に身体全体へと広がって行く。瞬間、泥濘が蠢動を始め、グロウは立ってられなくなり、片膝を着くことになる。
「跪け、卑しき人間よ! 頭を垂れよ、無価値な存在よ!」
やがて凄まじい圧力を持った『エナジー』が周囲に満ち、グロウはまるで平伏するように泥濘へ手を着くことになる。
その間も教祖の変異は続いていく。
手足は触手に変化し、身体は鱗に覆われ、背中から蝙蝠のような翼を生やした。そして顔は蛸を思わせる坊主頭に髭にあたる部分を触手に変えた。
まるで教会に奉られていた見るだけで嫌悪と憎悪を抱く邪な神を彷彿とさせる姿に、グロウは神の降臨を想起してしまった。
「ウヤ・ウィール!」
灰色の邪神と化した教祖は、声高に呪文を唱える。
瞬間、この世界に存在する全ての生命が狂乱し、悪逆と冒涜の限りを、彼の神と共に尽くし始めた。
グロウは『エナジー』を自らの中で循環させプレッシャーをはね除けると、シールドを握り直して教祖と対峙する。
決してグロウ一人では敵わぬ窮極の存在を前に、彼の『ウィザード』の瞳には絶望の色は微塵も映っていなかった。




