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メモリー38

 グロウ・イェーガーは路線の極めて少ないバスに揺られながら、車窓から見える暗い森を眺めていた。

 バスは隣町を出発すると古民家や廃れた邸宅の前を通り過ぎ、一度も何ともすれ違うこと無く森林地帯に一本敷かれた道路へと差し掛かった。

 不気味に木々の生い茂り光を閉ざした森であった。

 昼間だというのに薄暗い森の中には、何かが手招きし見詰める者を神隠しに合わせるべく誘っているような妄想を駆り立てた。

 実際、この森に迷い込んで行方不明になる者は年間でそれなりの数が居るらしい。大抵は数日後に衰弱した姿で発見され、直ぐに社会復帰するそうだ。

 しかし、中には現在も行方不明となっており、生存を諦められている者も少なくはない。

 関連付けるには証拠が足りないが、『教団』かその信徒の仕業であろう。


「凝視してはダメ、マスター。魅入られたら一貫の終わりよ」


 膝の上に腰掛ける白銀の長髪をポニーテールにした幼女、カノ・セイフが忠告を口にする。

 乗客はグロウとセイフのみで、二人はバスの真ん中ほどに陣取っていた。進行方向から左側の二人席に腰掛けているグロウの上にセイフが居るため、もう片側の席にはライフルとシールドなどの装備を納めた大きな旅行鞄『クラウン』が収まっている。


「あの中に何か居るのか?」


「気付いているのでしょう? 影の中を這い回る混沌とした存在に」


 その言葉にグロウは森林の奥で蠢動する巨大にして不定形、そして不可視の存在から目を離し、セイフを見下ろす。

 彼女もこちらを見上げており、その蠱惑的な瞳と目があった。


「不思議だよ。君と繋がっているからか、アレみたいな輩を感じることができる。集中すれば、何が居るかすらわかるんだ」


「えぇ、けど、あまりオススメはしないわ。マスターは『精神汚染』に対して類い稀なる耐性を有してるようだけど、全く無効化できているわけではないの。証拠にゴルゴーンとの戦いで魅入られたでしょ? 常人が認知できないモノを、あえて認知する必要は無いわ。精神衛生上、得なことは無いし」


 セイフの言葉は至極もっともであった。

 邪神と呼称される存在は、人間に対して邪な感情を抱き害を為すモノがほとんどだ。故に、彼等は常にこの世界へ憎悪と嫌悪を抱き、災厄を振り撒いて破滅する瞬間を待ちわびている。

 そんな存在を知覚してしまえば、如何に耐性があろうと何らかの影響を受け続ければ、精神が参ってしまうことは火を見るより明らかだった。


「ほら、マスター。『シープヒル』に入るわよ」


 セイフが前方を指差す。

 バスのフロントガラスを通して見える森の出口に、『シープヒル』と書かれた赤錆だらけの看板が目に入った。

 邪な神々を奉る忌まわしき宗教団体が跋扈する呪われた町。

 グロウは静かに拳を握り締め、来るべく仇との対峙に気持ちを整える。

 森を抜けたバスは束の間だけ平原を走ると、干上がったのかと勘違いしそうなほどに浅い川に掛けられた古びた鉄橋を渡り、しばらく小麦畑を両脇に広げた片道一車線の道を走る。

やがて小麦色の畑に飽き飽きとしてきた頃、初めての家屋が目に飛び込んできた。古くさくて荒廃した邸宅だ。既に人が住まなくなって数十年といった具合に、雑草は伸び放題、ガラス窓は全て割れ、レンガ造りの壁面には植物が纏わり付いている。

 幽霊屋敷として地元では恐れられているそうだ。

 バスは小麦畑の中にポツンと佇む邸宅の前を横切り、また道なりに進んでいく。しばらくすると、『シープヒル』の町並みがフロントガラスの先に見えてきた。

 忌み嫌われる理由を十分に孕んでいるはずの田舎町『シープヒル』は、とても静かにグロウを乗せるバスを出迎えてくれた。レンガ造りの建造物で統一された町並みは寂れてはいるが趣があり、町の中心に聳え立つ時計塔は歴史を感じるような重厚な印象を受けた。

 邪神を信奉する宗教家が暗躍する町と知らなければ、長閑で穏やかで、そして懐かしさすら感じることのできる町並みであった。


「観光するだけなら、良い町だね」


「あら? こういう古い町が好きなの?」


「僕じゃなくて、母が好きだったんだ」


 それを告げた瞬間、グロウの中に黒く冷たい感情が揺れ動いた。

 憎悪と嫌悪の感情だ。


「顔が怖いわよ、マスター」


 セイフの指摘にグロウは深呼吸をひとつして、顔に微笑を張り付ける。

 即席にして自前のマスクだ。

 顔と心に被せることで、無為な殺気や敵がい心を抑えることができる。


「半日だけ我慢して、マスター。後、半日よ」


「わかってるよ、セイフ。君達が頑張ってくれてるから、僕も自分を殺せるんだ」


 そんなやり取りをしていると、グロウを乗せたバスが速度を落とし始め、やがて市役所前のバス停で停車した。

 グロウは『クラウン』を右手で持ち上げつつセイフを連れたって席を立ち、運転手の中年男性へ運賃を手渡す。すると、運転手は訝しむような視線をこちらへ寄越して見せた。


「あんた、『シープヒル』に何の用だ? そんなきっちり身なりを整えて」


「ちょっとした集まりがありまして」


「ふぅん。まぁ、詳しくは聞かねぇが、ここに長居することはオススメしないぜ。ここは見た目ほど穏やかな町じゃねぇ」


 そう言う運転手の瞳には、憎悪の火が灯っていた。

 何か事情があるようだが、グロウは問い詰めることをしなかった。時間が無いというのもあったが、そもそもグロウもこの町に憎悪を抱く一人。触れられたくない部分にあえて触れられたくないだろうし、その必要も無いと判断してのことだった。


「ご心配、ありがとうございます」


「そっちの嬢ちゃんのことも気を付けてやれ。大事なもんってのは、失う時は一瞬だ」


「……えぇ、その意見には完全同意です」


 グロウはうっかりマスクを外しそうになるのを、必死に精神力で維持した。


「バスは午前と午後に一本ずつ、俺が往復してるだけ。つまり、今日は終いだ」


「帰りの足は心配してませんよ」


「そうか。もし、この町で一晩過ごすんなら、神隠しに注意しろよ」


 運転手の忠告に再度の礼を伝えると、グロウとセイフはバスを降りた。

 運転手は険しい面持ちのままドアを閉めると、ゆっくりと発車し『シープヒル』を去って行った。


「マスター」


「うん?」


 バスを見送っていたグロウの左手に、セイフの小さな掌が重ねられる。


「私達はマスターの意思を尊重するわ。いつでもね。けど、その結末に対しては誰一人として支持していないわ」


 珍しく真剣な面持ちのカノ・セイフ。

 帰りの足を必要としていない態度に、グロウの思い描く結末を理解したのだろう。いや、もっと以前から察していたのかも知れない。運転手とのやり取りで確信を得たと言ったところか。


「私達は常に味方でいるわ。邪神に味方されても迷惑だろうけど、マスターの味方はカノ以外にあり得ないから。それだけは覚えておいて」


 セイフの言葉にグロウは苦笑するほかに無かった。

 バスは遠ざかりエンジン音は消え去った。

 昼間とは思えない静けさが周囲に満ち溢れ、一迅の風がやけにうるさく二人の間を通り過ぎた。


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