メモリー36
グロウ・イェーガーは当惑していた。
身体にわずかに残るアヤ・ライトニングの温もりと香りに、集中力が一気に溶かされたような感覚を覚えていた。
今の行為に何の意味があったのか。
それを確かめるにも、当人がさっさと立ち去ってしまったために叶わない。
「何だってんだ?」
「彼女なりの励まし方だよ」
独り言のつもりで呟いた言葉に、ドクター・ヨハンソンが嬉しそうに応えた。
ドクターには何か意図を理解しているような伏があったが、聞いたところで教えてくれないと思い、グロウは深くは追及しないことにした。
「ところで、追わなくていいのかい? 時間はとっくに過ぎているよ?」
「おっと、そうだった。ラピス、行こうか。――――盾、ありがとうございました、ドクター!」
「気にするなかれ。存分に戦ってきたまえ」
ドクターにお礼を言いながら、グロウはカノ・ラピスを連れてアヤの後を追い試験室を後にする。
試験室を出て研究室のドアを開いたところで、アヤの背中が見えた。
「アヤさん!」
グロウは駆け足で足早に廊下を歩くアヤへ追い付く。
「先に行かれると困るよ。僕、ここってほとんどわかんないから、迷子になっちゃう」
「カノがいるなら大丈夫よ。きっと、ここの設備構造は把握してるわ」
「……そうなの?」
グロウは半歩身を引いて歩くラピスへ問い掛ける。
彼女はうっすらと微笑んで見せた。
あらゆる存在を吸収した彼女なら、確かに『禁忌術式犯罪対策局』の内部構造を理解していても可笑しくは無い。
「頼もしい限りだ」
「驚異的だけど」
それ以降、会話は無くなった。
グロウは何と無しに話題に困ってしまったため口を開けず、アヤは何か思い詰めたような横顔をしており話ができる状態に無さそうだった。何が気掛かりなのか問い掛けようかと思ったが、それは無粋かと思いあえて聞かないことにしていた。
二人は無言のままエレベーターに乗り、やがて地下駐車場まで辿り着いた。
エレベーターを降りると、整列した隊員が八人、グロウとアヤを出迎えた。
黒一色の戦闘服に暗視装置着きヘルメットやマガジンリグの備わった防弾ベスト、ショートバレルのアサルトライフルを装備した部隊員だ。顔はマスクやスカーフで隠しているため判別できないが、成人の男性ばかりだと分かる。
「総員、気をつけ! 敬礼!」
隊員の一人が声高に告げると、全員が一糸乱れぬ動きで軍式の敬礼を行う。
アヤは右手を挙げて応えると、隊員達は敬礼をやめて両手を後ろに回し足を肩幅に開いた。
「……一人足りないわね? レンちゃんは?」
「邪神の幼女の面倒を見ています。出撃準備は既に終えており、ここでの会話は無線で聞いているはずです」
「そう、ならいいわ」
そう言ってアヤは手のひらに『キャスト』を展開すると、インカムを出現させた。それを右耳に装着すると、口を開く。
「総員、資料には目を通しているわね? 今回の作戦は『教団』の撃破と教祖の捕縛、あるいは殺害よ。先の一斉検挙で奴らのネットワークを潰したことで、付け入る隙ができた。私達はその隙を最大限に活かし、一気に叩く」
カノのおかげで『教団』の関係者の尽くが捕まり、政府内外問わず秘密のネットワークはズタズタに切り裂かれた。恐らく『教団』は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていることであろう。攻め入るには、最高のタイミングであることは誰の目にも明らかだ。
しかし、あの教祖のことだ。
確かに『教団』へは大打撃を与えただろうが、直ぐに何か手を打ち万全の態勢で迎え撃って来るだろう。
それはアヤも承知のことであった。
「私達はこれから『ミドシティ』を出発し、『シープヒル』へ向かう。衛星写真を解析班が調査したところ、町全体の様子は掴めないそうよ。人が居るのか居ないのかさえ、把握できてない。つまり、敵も攻められることを承知で相応の準備を整えている可能性が高い。一筋縄では行かないし、最悪、全滅も有り得る」
「……その情報は初耳なんだけど?」
「今、言ったでしょ?」
隊員達が息を呑むのをよそに、グロウは初めて情報伝達の不備を小声でアヤへ訴える。
恐らく隊員へは通達していたのだろうが、やはり外様であるグロウへは重要な情報を伝え切れないらしかった。
「さて、私達だけでは戦力不足なんて目に見えてわかっている。しかし、増強する時間も当ても無い。――――そこで目には目を、刃には刃を、邪神には邪神を」
そう言ってグロウを指し示す。
「グロウ・イェーガー。邪神カノをその身に宿す『エナジー障害』の少年を一時的に私の部下に着けることにしたわ」
隊員の視線がグロウへ注がれる。
猜疑、嫌悪、警戒といった、お世辞にもポジティブには捉えることのできない視線ばかりだ。
色眼鏡で見られることは覚悟していたが、ここまで露骨に敵対視されると辛いものがあった。
「彼の、いえ、彼等の実力は知ってるわね? 戦力としては申し分無いわ。――――さぁ、自己紹介なさい」
「……え?」
「自己紹介よ。ほら、早く」
「いやいやいや! そんな雰囲気じゃないじゃん!?」
「雰囲気だろうと何だろうと、初対面の相手には先ず自己紹介するものよ。挨拶は社会人の基本、ほら」
アヤはまるで教師のように諭すと、背中を軽く叩く。
グロウは束の間思案すると、右手を顔の横に持っていき精一杯の笑みを浮かべる。
「えっと、初めまして、になりますよね? グロウ・イェーガーです、って知ってますよね。――――えっと、若輩者ですが、皆さんの足を引っ張らないよう精一杯頑張りますので、あの、よろしくお願いします!」
我ながら辿々しい挨拶だ。
今にも失笑が聞こえて来そうだった。
「はい、いいわよ」
アヤが合図してくれるまで、グロウはひたすらに頭を下げ続けていた。どんな視線にしろ、隊員達の目から逃れるためでもある。
「それじゃあ、順次、乗車して出発の準備をーーーー」
「イェアリ・ク」
指示を飛ばすアヤを遮るように、背後に控えていたラピスが独特な鳴き声と共に一歩前に出る。
「こんばんわ、皆様。カノの一人、ラピスと申します。いつぞやは私達を殺していただき、大変お世話になりました」
「ラ、ラピス……?」
「この度は我等がマスターに協力いただき、ありがとうございます。しかしながら、もしマスターの障害となり得る場合、次に殺されるは私達ではございません。この意味、お分かりになられますよね?――――せいぜい、足手まといにならぬよう心掛けていただきたく、お願い申し上げます」
褐色肌のエルフが厳かに告げる。
丁寧な口調で下手に発する言葉達は、宣戦布告であることに間違いはない。釘を刺した、と言ったところか。
言霊は呪いとなり、隊員達の身を震わせたことだろう。
「では、マスター。共に参りましょう」
上下関係をハッキリさせたラピスは、いつもと変わらぬ様子でグロウへ振り返った。
その恐ろしいほど美しい笑みを目の当たりにしたグロウとアヤは、二人して肝を冷やしたのだった。
「手綱、ちゃんと握っときなさいよ」
「無茶言わないでよ……」
アヤの言葉にグロウは苦笑を返すしかできなかった。




