メモリー26
グロウ・イェーガーは夢遊病にでも罹ったかのように、無意識の中で長大な階段を下っていた。
七十下った先にある燃え盛る炎を思わせる神殿を通過し、さらに七百を数える階段を下る。不思議と疲れは現れず、また既視感があり恐怖は生じなかった。
アヤ・ライトニングは身体に走る不穏な『エナジー』の奔流に促されるように目を覚ました。
薄暗い奈落のような個室に、両手足を縛られて寝かされていた。
また掴まったかと脱出手段を模索するアヤは、注意深く周囲を観察する。
個室の壁には『召喚』の『キャスト』に必要な『魔法陣』が所せましと書き殴られており、床には『生贄』を示す『魔法陣』が丁寧に描かれていた。
無駄なこと、とアヤは嘲笑する。
アヤを触媒に何者かを喚び出そうとしているようだが、アヤは触媒足り得ない。その身に流れる『聖剣』の『祝福』が、死を拒絶し全ての『呪詛』を跳ね返してしまう。
このままでは術者である『ウィザード』がフィードバックを受け、自壊するだけだ。
アヤはただ、それを待つだけで良かった。
いつも通りの、所謂ルーティンワークだ。
「…………へ?」
しかし、いつもと同じようには行かなかった。
『生贄』の『魔法陣』から発せられる『エナジー』が、『聖剣』の『祝福』を透過して身体の奥底へと浸透していき、壁に描かれた『召喚』の『魔法陣』が激しく明滅を始めて『キャスト』を行使し始めた。
やがて現世と『異世界』を隔てる壁に亀裂が入り、神々しく強力な『エナジー』が個室に充満し始める。
瞬間、身体の表面がヒリヒリと痛み始めた。
「身体が焼かれてる……? 神代の『エナジー』!?」
既に現世から失われた『エナジー』がアヤの身体を容赦なく焼いていく。
それは神と呼ばれる最高位の存在が地上に腰を据えていた時代に世界を満たしていた高濃度の『エナジー』であった。人間を含めた動植物の生存に適するように調整された『エナジー』に慣れている現世の人間では、数分と持たずに存在そのものが蒸発してしまうほどに強力な『エナジー』だ。
「不味い!」
ここに来て焦燥に駆られるアヤ。
存在が蒸発することより、そんなものが『召喚』されてしまっては世界が原型を保てるはずがない。
下手をすれば崩壊すらあり得る。
惑星一つの終焉どころか、この宇宙という『物語』そのものの終焉だ。
自らが触媒となっていることを理解しているアヤは、自身の中に流れる『エナジー』を逆流させて『キャスト』を妨害しようと試みる。が、術者の『ウィザード』は相当な手練れらしく、手も足も出ない。
物理的に『魔法陣』から逃げようともがいてみるも、その前に『召喚』が完了してしまう可能性が高かった。
「カノ! カノ、どこに居るの!?」
最後の頼みとして自身に仮契約で宿していた邪神へ喚び掛けてみるが、彼女はとっくに消え失せていた。
絶体絶命。
アヤは状況を理解することすら叶わず、世界の終焉を目撃することとなるのだ。
「何とか、何とかしないとーーーー!」
必死に思考を巡らせるアヤだが、最早、どうすることもできなかった。
亀裂からは神代の『獣』が顔を覗かせ、その神々しい視線でアヤを睨み付けていた。
世界の終焉まで、秒読みが始まった。
「ブリーチング!」
不意に何者かがドアを爆破し、その爆発音に神威に当てられ失い掛けていた意識を取り戻した。
アヤは無意識にドアの方を見ると、黒いホームベースのような形状をしたシールドを構えたフォーマルな紳士服姿の人物が部屋に飛び込んで来て、右手に備えたハンドガンを乱射する。
その弾丸は部屋中に描かれていた『召喚』の『魔法陣』を無茶苦茶に掻き乱し、『キャスト』を不完全な状態で強制終了させた。
「ここは貴方の来るような場所ではありません。どうか寛大な御心で怒りを沈め、本来在るべき場所へとお帰り下さい」
最低限の礼を尽くし、亀裂から抜け出そうとする『獣』へシールドアタックを繰り出す。
その衝撃は空間を震撼させ、無防備なアヤは壁際まで吹き飛ばされた。
やがて全てが嘘だったかのように静寂が周囲を満たすと、シールドを持った白髪の青年はアヤへと振り返った。
その顔をあらためたアヤは、思わず声を上げて驚いた。
「貴方はーーーー!」
「やぁ、不運だったね」
申し訳なさそうに笑みを浮かべる青年は、グロウ・イェーガーその人であった。
グロウはアヤの傍まで歩み寄ると、手足の拘束を解きながら状況を簡単に説明する。
「気付いてるか分からないけど、ここは貴女のいた世界とは似て非なる別世界になる。『マルチバース』と言った方が分かりやすいかな。どうやら僕とカノの歪な関係性に触発されて、異世界トリップしてしまったんだろう。で、運悪く『生贄』に巻き込まれた」
「ちょっと待って! 貴方、グロウ・イェーガーなの!? こんなところで何をしてるの!? 貴方のせいで街が大変なことになってるのよ!」
自由を取り戻した手足を確認しつつ、アヤは立ち上がりながらグロウを問い詰める。
しかし、彼は飄々と詰問をかわす。
「全て理解してるよ。けど、君の世界の僕と、ここにいる僕は厳密には別人だ。いや、厳密には同一人物で、大分すれば別人って感じかな?」
「何をわけのわかんないことを! こんなところで油を売ってないで、さっさとカノを止めなさい!」
「そうするよ、いずれはね。けど、取り敢えずは任務を優先する。ーーーー貴女はここで待ってて。直ぐ、は無理でもちゃんと戻ってくるから」
そう告げるとグロウは踵を返すと個室を出ていく。
理解の追い付かないアヤは、そのまま待っているわけにも行かないため彼の後ろを追って部屋を出る。個室の先は赤錆まみれの鋼鉄で設えられた無骨な廊下が続いていた。
廊下の両脇にはアヤが閉じ込められていた場所と同じような個室が幾つも並んでおり、道を照らすのは古めかしい裸電球の白熱光だけである。
どこか寂しくも不気味な廊下を、彼は足早に歩んでいた。
「着いてくるの?」
「当たり前でしょ! こんなわけの分からない状態で放置されて黙ってられないわ!」
「まぁ、良いけど。こっちも予定外の騒動を起こしたんだ。少なからず何らかのアクションはあるはずだ。もう守れないかもよ?」
「その抽象的な物言いは何とかならないの?」
次の瞬間、廊下の先に複数の人影が現れた。
フルフェイスヘルメットにボディアーマー、タクティカルベストを纏いアサルトライフルなどで完全武装した集団が二人の前に立ちはだかる。
明らかに訓練された軍隊だ。
狭い廊下に立ち並ぶ兵士。
先へ進むには彼らを排除する他に無いだろう。
「説明って苦手なんだよね。それにあれを説明するには時間が足りないし」
「とりあえず世界を破壊しようとしてる連中、ってことでいいのかしら?」
「まぁ、ざっくり言うと」
それだけ分かればアヤにとっては十分だった。
『聖剣』に選ばれた者としての本能が、この名も知らぬ組織を殲滅せよと告げていたのだ。
グロウの言葉を真に受けるなら、アヤは『マルチバース』の『異世界』へと飛ばされてしまった。つまり外様である。が、例え『異世界』だろうと世界を崩壊へ導かんとする組織を、無視できるほど都合良くはできていなかったのだ。
「戦うつもりなら構わないけど、丸腰じゃキツいでしょ?」
そう言うとグロウはシールドの裏側から一振の刀を取り出した。
それは見間違うこと無く、『聖剣』と呼ばれるアヤの愛刀『ミズキ』であった。
「さて、始めますか」
アヤが『ミズキ』を受け取ると、グロウはシールドを構え『カミラ』ハンドガンを抜き放つ。
それを皮切りに、隊伍を組んだ一団が一斉に銃撃を始めたのだった。




