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 行く当ては、わからなかった。 だけど強く信じていた。 加奈子先輩がいう、学院に棲んでいるという不思議な娘。 いや、土手で出会った、あの少女に必ず会えると‥‥‥。 


飛鳥は、学院の校舎に沿って走りだした。


 人の気配がまったく感じられない外廊下をひとり走り続けていると、白い外壁のところどころに設えられたアーチ状の小さな門と、午後の日差しが作り出した強い影が延々と続いていた。 影が織りなす白と黒のコントラストの無限回廊を走り続けていると、止まった時間の中に閉じ込められているような錯覚に陥る。 


 気を取り戻して外廊下を抜けると、飛鳥は学院の中庭をめざしていた。 途中、大きな五葉松の木のある芝生の前を通り過ぎる。 一瞬、静かに目をとじると、かのんと、ここなと、三人で陽だまりに過ごした記憶が頭をよぎっていった。

「みんなの笑顔を取り戻すんだ! 」

飛鳥は、心の中で、そうさけぶと、学院本舎の裏手へと駆け抜けていった。 

 

 裏手の林までたどり着くと息がきれる苦しさに、ネクタイをゆるめて立ち止まる。 ふと気づくと、なにかの枝で()ってしまったのだろう、脚に鋭い痛みが走っていた。 その時、迷い込んだ林の中で突然の風が吹いた。 揺れ動くさまざまな木の葉に覆い隠されて、陽の光がゆっくりとまだらのように動きだす。 エッシャーのだまし絵のようになった葉陰が、飛鳥の上に覆いかぶさっていった。


 すると、すべての音が消え、地面と空とが遠くなり、上も下も、右も左も何もわからなくなっていく‥‥‥。 飛鳥は泣き叫びそうになって手のひらで顔を覆おうとしたが、思いついたようように、その手のひらを合わせて、心の中であの言葉を唱えてみた。


「ナムアミダブツ! カミサマ、お釈迦サマ、助けて! 」


 なぜだか、登校最初の日に学院の前で出会った時のかのんの顔が脳裏に浮かぶ。 すると左の方向から「ゴーン」「ゴーン」「ゴーン」と鐘が三回鳴った。  見上げると葉陰のすきまから、大きな白い(さぎ)が西の方角へと飛んでいくのが見えていた。

 

 (さぎ)が飛んで行ったその先に見えるのは、鐘楼塔(しょうろうとう)だ。 空高くそびえ立つ先端の緑青(ろくしょう)(かわら)(かね)が空の青さをうけ、翡翠(ひすい)のように透明感のある輝きを放っている。 飛鳥は、確信するように、鐘楼塔の方角へ走っていった。 もうなにも恐れも不安も感じない、その脚は自分の進むべき場所を目指していた。


 近づくと、かえって塔は見えなくなる。 かわりに木々のすきまから、おいでおいでと手を振る白い手袋のようなものが見えたので、飛鳥は迷わずに一直線に鐘楼塔へと向かうことができた。


 林を抜けると、そこは鐘楼塔だ。 学院創立当初からあるのだろう。 もしかしたら、もっと前の寺院の時代からそこにあったのかもしれない。 積み上げられた、古い苔むした石垣には、いくつかの窓がついていた。 ヨーロッパを思わせる様式の窓枠から、これは後から仕建て直したものなのだと飛鳥は思った。 回りを見渡すと、塔の根元には鐘へと続く外階段と、そのまわりを囲うように真っ白な大輪のユリの花たちが揺れていた。


「白い手袋の正体は、これか! 」

飛鳥はユリの花に顔を近づけ、香りの中で息を整えようとする。 そのときふと、なにかからの視線を感じ、塔を見上げてみると、(つた)のからまる塔の中ほどに小窓が開いているのが見えていた。


 呼吸が止まる‥‥‥。 飛鳥は思わず数歩、後ずさりをした。


 そこにはまるで、ゴシックの彫刻で(いろど)った古い(がく)におさめられた、ヨーロッパの城にでも飾られているような少女の肖像画が見えていた。 肖像画の少女は、止まったように西の空を見つめている。 飛鳥はごくんと喉を鳴らした。 まだ三時をまわったくらいのはずなのに、西の空が夕暮れのようにかげってゆく。 窓の中は外の黄金色に輝く陽光を集めて、磁器のような真っ白い少女の顔の輪郭をゆらゆらとぼやけさせていた。 


 一点を凝視して動かない少女のその濡れた瞳だけが、飛鳥の心を縫いとめている。 わずかな瞬間、飛鳥は、時も、自分のなすべき使命も忘れかけ、この美しい絵画に心を奪われていた‥‥‥。

「そうだ!! いかなくちゃ。 時間がないんだ! 」

飛鳥は、ハッと気を持ち直し鐘楼の塔にかけより、周りをぐるりと探ってみた。


 入り口は見当たらない。 少し離れて外階段を目でたどってみる。

「ない! 入り口も、窓のある小部屋へと続く階段もない! この塔には、入るところはどこにもないんだ!! 」

 

 飛鳥は、唖然とした。 足元には、永劫の時間を刻むように、ゆらゆらと大輪の白ユリの花が変わらずに揺れている。


「考えろ! 秘密の入り口は、どこにあるんだ! 」

そのとき、壁を越えた国道の先から、車の喧騒の隙間をぬって(うた)が聞こえてきた。 入学の日、開蓮会で聞いたあの合唱だ。 懐かしくも、それでいて聞き慣れない不思議な調べ、心安らぐマンドリンとお経のような歌声が聞こえてくる。


(うた)の先は‥‥ 学院堂だ! そして右手には、学院本舎‥‥‥ そのふたつをつなぐ線の中央に位置するのが、この鐘楼塔だ!!! 」


「そしてその下に続いているのは‥‥‥! 」


 飛鳥は、鐘楼塔から、学院本舎の隋道入り口近くまで、せかす心をおさえて慎重に、同じ歩幅をで歩いてみた。 十歩、二十歩、六十五歩、八十八歩‥‥‥。 学院本舎にたどりつくと、学院堂へ続く地下通路の入り口まで向かい、さきほど歩いた道をたどるように、隧道を同じ歩幅で歩いてみる。


「ここだ! 八十八歩目!! 」

飛鳥は、地下の隋道の一室、三番目の扉に手をかけた。


 なぜか、鍵はかかっていなかった。


 扉をぬけると、すぐに古い螺旋(らせん)階段(かいだん)が続いている。 飛鳥は高鳴る鼓動を抑えながら、階段をかけのぼっていった。 時計の針を逆回転させるように、左回りに何段も何段も登り続けていると、三半規管がゆらいでいって重力を感じなくなる。 薄暗さもあるのだろう。 上に向かっているのか、下に向かっているのかも自信がなくなってくる。 それでも飛鳥は、この向かった先に、あの少女がいると、それだけを強く信じて脚を動かし続けた。

 

 登り切った螺旋(らせん)階段(かいだん)のその先には、小さな部屋があった。 あの鐘楼の塔の一室だ。 扉を開け、一歩踏み込むと、外から見えたあの窓が正面に見えてくる。 西の空から集めた金色の光が、窓を抜けて収束し、集まった光子(フォトン)が部屋の中に充満して真っ白になっている。 そして、足元の階段から上ってきた地下からの湿った空気や、部屋の隅に置き忘れた闇たちとの強いコントラストとあいまって、あいまいな不思議な空間が作り出されていた。

 

 飛鳥の瞳に入り込むもの、耳から入る音も、時間さえも、すべてが(かす)かな世界にのまれていった。 飛鳥は、古典の授業で習った万葉集の歌を思いうかべる。



「誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」



 誰そ彼 ‥‥の時、黄昏(たそがれ)どき‥‥‥。 人どうしの顔も、それが獣であるのかさえも判別ができなくなってしまう逢魔の瞬間。 それでも、飛鳥はわかっていた。 いま、ここにいるのはあのときの‥‥‥。

 

「ずっと、君は待っていてくれたんだね」 飛鳥の口からふと、言葉がこぼれた。

 

 そこにはこの学院の入学の日に、不意に倒れたあのときの夢にでてきた仔馬がたっていた。 仔馬は、飛鳥に近づき腰に頬ずりをすると、飛鳥は、力がぬけるように座り込んでしまった。 すると仔馬も身を寄せるようにして座り込んだ。


 二人は、お互いの体温を感じながら、ただ瞳を閉じていると、飛鳥はこのままずっとこうしていたいと心底思いこんでくる。 飛鳥が、その首に手をまわしながら抱きついて、もたげた仔馬の額に目をやると、石と同じ小さな丸みのある三角の跡がついているのが見えていた。

 あのときの夢のように、どういうわけか、涙があふれてきた。 そして、飛鳥はすべてを理解した。 この仔馬の存在も、そして石の封印の方法も。


「この石は、君のもうひとつの姿なんだね」


「ごめんね。 ごめんね。 この石を無くすと、君も消えてしまうんだね」

飛鳥は、消えそうな声で、くしゃくしゃになった顔をして言った。


「だけど、この石を時間の輪の中に閉じ込めさせて。 友達を、この学院を守りたいんだ! 」


 飛鳥が石を仔馬の額にあわせると、石は“トリトンの法螺貝(ほらがい)”の槍のように螺旋状(らせんじょう)に延び、海底を幽かに照らすような白桃色に輝く一本の角になった。 金木犀(きんもくせい)の花粉のように金色の粉が舞って、飛鳥と仔馬に降り注ぐ。 ふうわりと、あの懐かしい甘い香りが二人を包みこむと、ゆっくりと過去が滑っていった。


「いいんだよ」 と仔馬の瞳が優しくうなずく。


「さあいこう」 飛鳥が小さく、とぎれるような声で言った。


 ふわっと体が持ち上がっていく。 飛鳥は落とされないように、仔馬の首にギュっとつかまった。 けっしてちぎれぬように輪切りにされた柚子の皮のように、金色の輪が幾重にも重なってのびていく。 そうしてその輪の中を二人は滑るようにくぐりぬけていった‥‥‥。





 カレンダーの日付は、十月十九日。ボクの誕生日だ。

病院の新生児室の前。 おじいちゃんとおばあちゃんが、待ちに待った初孫に会うために遠い町からやってきた。 真っ白な病院のシーツにくるまれた聖母のようなお母さん。 どう扱かっていいのかオロオロとしているお父さんの腕の中で、消えそうな声で泣き叫んでいる小ちゃな赤ちゃんが見えている。


 生えたての巻き毛が、ミルクと、あの甘い香りに包まれて、ふわふわとそよいでいた。

その時、ちいちゃな手が、空中をはしる風を力なくつかんだ。 目には見えないはずの仔馬の尻尾を軽く掴むと、その赤ちゃんは泣き止んで、小さな口元にわずかな笑みを浮かべていた。

 

 手首に巻かれた白いワッペンには、黒のサインペンで『 (みつ)() 飛鳥 3680g 』と書かれている。


「最初から、ボクのことを見守ってくれていたの? どうして? 」

飛鳥は仔馬の耳元に顔をよせて、そうつぶやくと仔馬の瞳がささやいた。


「時を司る運命がキミを選んだ。 偶然かもしれないし、はじめから決まっていたのかもしれない。 だけど、キミと出会うことは知っていたよ。 それははるか遠い、天地(あめつち)のはじまりのときかもしれないし、終わりのときかもしれない。 永遠にくりかえす時間の潮汐(ちょうせき)の中で、ずっとキミを探し続けていた」

 


 大きな鳥居のとなりにゆれる、金の粉をふりまく枝垂れ(しだれ)の木犀(もくせい)。 訪問着の着物を着て笑う母さん、大きなカメラを抱ながら、カメラスポット見つけては、借り物のお姫様のような着物を着せられたボクを連れて走り回るお父さん。 結い上げた髪にささった、鈴を重ねた花房のかんざしが動くたびに、チリンチリンと鳴り響く。 となりに並んだ(とう)(ろう)の足元には、あの()き傷がひとつ付いていた。


「ああ、あれは、ボクの七五三だ。 あのときも近くにいたんだね」

小学校の卒業式。 一陣の風が、花もくれんの木々を大きくゆらした。 一番太い木の幹にも、あの掻き傷がついてるのが見えている。 教室の前の校庭で記念撮影、ひとりうつむいて、カメラを睨むボクがいた。 校門をでるときに、わけがわからず涙がこぼれた。 みんな一緒の公立中学校に進学するというのにどうしてだろう?  もう、無垢の子供ではいられなくなる、それぞれが違う意識の生き物に変わっていくのが怖かったのだろうか?



 あれは、ボクの中学校の卒業式の日。


 口をへの字に曲げながら、もうひとりの飛鳥は、大きな歩幅で早足で土手を歩いている。 どこに向くでもなく、瞳はただ一心に前方を睨んでいた‥‥‥。


 どこまでも青く高く空が広がる。 飛鳥は土手を歩いているもうひとりの自分の姿を心配そうに見下ろしていた。


 飛鳥が少し気を抜いて眺めていると、仔馬は、ものすごいスピードで天へと上がっていった。 飛鳥は、ふりおとされないように急いで首にしがみついていたが、あまりのスピードにふと手が離れてしまう。 振り落とされた飛鳥はひとり、空と宇宙の間の成層圏(せいそうけん)に浮かぶ金色の輪の中で、迷子になるのかと不安な気持ちでいっぱいになった。 そのときどこからか仔馬の声が聞こえてくる。


「大丈夫。 飛鳥と進む、この時間、この出来事は、生まれる前から決まっていたよ」


「だから心配しないで、迷うことはひとつもないんだよ」


「出会いも、さよならも‥‥‥ 」


 声の先を探すと、少女の姿に戻った仔馬が土手の上に立っていた。


「さあ進もう。 未来のその向こうへ」


 少女はそう言うと、天上の飛鳥の方へと射した指先を使って時空を巻き込んでいった。 指先が仔馬の角になって輝くと、飛び跳ねるように一瞬で飛鳥の元へと舞い戻ってくる。 跳ねる瞬間に仔馬は、もうひとりの土手の飛鳥に向かって、「またいつか、遊ぼうね」 と微笑みながらつぶやいていた。



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