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六日目 土曜日。 登校前
朝はめまぐるしい。 飛鳥はいつものように、飛び起きざまに冷たい水で顔を洗うとしゅんっとした空気が頭の中に染み込んできた。 そして、洗い立ての真っ白いブラウスに腕を通すと、袖口の白蝶貝のボタンを留めて「よしっ! 」 と気合を入れてリビングへと向かっていった。
「ここなのような、さらさらの髪だったらなぁ‥‥‥ 」
飛鳥はテーブルに置かれた鏡台の中で、ウェーブのかかった前髪を整えながら、そうつぶやく。
「あら、お母さんは、飛鳥のそのフワフワの髪、大好きよ。 やさしい肌触りで人を幸せにするわ。 あなたの髪が、ふわんとゆれるたびに、暖かい気持ちになってくるのよ」
サイフォンから注がれる、コーヒーの白い湯気の中で、ニコニコしながら母さんが答えた。
リビングの中がコロンビアの太陽の香りでいっぱいになってくる。
「なんだか、朝からそんなことをいわれると、ちょっと恥ずかしいな」
飛鳥はちょっと耳を赤くして、ライ麦のトーストに蜂蜜をたっぷり塗ってほおばると、テレビの中では、いつものあの、苦虫をかみつぶしたような顔のキャスターが近況のニュースを告げていた。
『次は、市の財政破綻に関するニュースです。 C県、待時市では、度重なる無理を重ねた財政計画で、市そのものの運営が危ぶまれています』
『この問題に対し、現市長の清松氏の責任を追求する声が日に日に増え‥‥‥ 市役所正門には抗議の市民団体のデモも行われ‥‥‥ また、検察の報告では、汚職問題にも発展し‥‥‥ ××× 』
「ええっ! 待時市って、この町のことじゃん。 現市長って、ここなのお父さんじゃん」
円を描きながら溶けていくコーヒーミルクが、ロールシャッハーの図柄のように白と黒の境界線をゆがませて、不安な心をかきたてながら消えていく。
その時、ニュースが終わるのと同時に、見慣れたあのコマーシャルが流れはじめた。
『なんでもいいものそろい候う、買うならドラッグ 行くならキヨタケ! 』
明るいナレーションの声が、余計に不安をかきたてる。
「こんなときでもやるんだ‥‥‥ 」 思わず飛鳥の口からそんな言葉がもれてきた。
バスを降りて足早に学院へと向かうと黒門前には、かのんが腕を組み、見たこともない神妙な顔をして立っていた。
「ニュース見たでしょう? あのコ、思いつめてなければいいけど‥‥‥。 心配だわ。 さっき、先に教室へ行ってみたの。 いつもだったら、とっくに登校している時間なんだけど‥‥‥ まだ来てないみたい」
ここなが、クラスで一番に早く登校をして、飾られた窓際の花瓶の花に水をやり、黒板や先生の机、みんなの教材を整えていたのを知っている。
「頼るのはもう終わり。 これからは、頼られる人になるんだ」
そういって、クリっとしたたれ目の瞳を伏せながら微笑んでいた、あの健気な笑顔が頭の中をよぎっていく。
二人は、始業の鐘が鳴るまで待っていたが、ついにここなとは出会うことが叶わなかった。 そうして二人とも授業などうわのそらのままで、一日を過ごしていると、より一層と不安が掻き立てられていく‥‥‥。
ホームルームが終わりを告げると、かのんが思いつめたような表情をして、いまにも消えそうなか細い声でこう言ってきた。
「ねぇ、飛鳥。 始業式での約束、覚えてる? 今日の夜、やっぱり飛鳥の家にいっちゃダメかな? ここなに連絡したいんだけど、やっぱり一人では心許なくって‥‥‥ 」
かのんは、いつになくしおらしい顔をすると、心の中を映すように瞳の奥が震えているのが見えていた。
夜七時、飛鳥の家のインターホンが鳴ると、モニターの中には、普段着のかのんが立っていた。 例年より暖かいといっても、夜になるとまだ肌寒い4月の夜。 ベルトを大きなリボンのように結んだ、薄いピンク色のワンピース型のスプリングコートから、すらっとした長い脚が見えている。 そしてコートとおそろいのピンクのエナメルの靴のつま先を床の上にコツコツとあてていた。
春休みの、あのとき会ったかのんの姿だった。 しかし、どことなく元気がない。 きっと、この日一緒に来るはずだった、ここなのことを心配しての物憂げな表情なのだろう。 手にはお土産のたくさんのお菓子が入った紙袋をもっている。 まじめな顔の中にも、あどけない少女らしさが同居していた。
飛鳥の家では、このかわいらしい来客を、家族みんなでもてなした。 揚げたてのからあげ、ミニハンバーグ、お母さんの手作りのたくさんの野菜とハムがはいったポテトサラダ、ありふれた家族のゆうげ。 普段みることのない、お父さんと弟のデレっとした顔といつも以上に弾む食卓での会話。 お母さんまでうれしそうに身をのりだして、かのんを質問ぜめにした。
「もう、いこうよ。 ボクの部屋にいこう」
飛鳥はなんだか、かのんを自慢したい気持ちと、家族に彼女をとられてしまうような気持ちがまざりあって、この団欒からかのんをひきはなした。
飛鳥の部屋、たくさんのぬいぐるみと棚にはマンガの本が整然とならんでいる。 薔薇の柄の入ったピンクのカーテンとアイボリーの家具で統一された、どこにでもあるような少女の部屋だ。
「飛鳥の家って明るいね。 わたしのうち、お父さんもお母さんも忙しいから、結構一人でご飯を食べることが多くって‥‥‥ 」
学校で見るかのんとは違う、少し寂しげな一面をみたようで、飛鳥はドキっと胸を鳴らした。
「だから、ありがとう。 今日は一緒にいてくれて、本当にうれしかった」
はにかみながら、そう言って笑うかのんを見ながら飛鳥も答えた。
「また、遊びにきてね。 そして、ずっと親友でいようね」
わずか三週間ほど前に衝撃的な出会いをした彼女と、こんな風に友達になれるとは思っていなかったと、飛鳥は心底嬉しい気持ちでいっぱいになっていた。
そして二人は、好きなもの、夢のこと、学校のこと‥‥‥。 出会う前の十五年間を埋めるようにたくさんのおしゃべりをした。
「そういえば、覚えてる? 最初にであった土手でのこと‥‥‥。 ボク、中学の卒業式の帰りで、前の学校の誰ともちゃんとした別れができず、なんだか心がむなしくなって、世の中が止まっちゃうような気がしたんだ‥‥‥。 だけど、あのときかのんを見つけて、ボクの新しい人生が動き出したような気がしたんだよね」
「そういえば、あのときかのんは、なにをしていたの? 神妙な顔で、空のほうに指を差しながら、遠くのほうを眺めていたよね」
飛鳥は、あの日のことを、いまでも鮮明に覚えている。
「えっ? なんのこと? わたし、飛鳥と最初に会ったのは、待時駅での市政まつりの時だよ。 あのとき、なりゆきであんな大騒ぎになっちゃったけど、騒ぎのさなか、飛鳥を見つけたわ。 ふわふわの頭をした、やさしそうな瞳のあなたをみつけて、ああ、このコと友達になれたら、きっと幸せな少女時代を送れるなって思って‥‥‥。 つい、飛鳥の手をにぎったの」
飛鳥は、なんだかこそばゆい気持ちなって、熱くなった耳をさわった。 そして、言いかけた言葉をさえぎって、頭の中でつぶやいた。
「じゃあ、あのときのあの少女は、いったい‥‥‥ 誰? 」
かのんは、あの市政まつりの日のことを思い出していた。
「わたしね、あの日は、お父さんとけんかしちゃったの。 ささいなことだったけど、家を飛び出しちゃって‥‥‥。 なぜだか駅に向かってみたの」
「そういえば、飛鳥は、あのジャケットを着ていたよね」
かのんはクローゼットのハンガーにかけられた、飛鳥のデニムのジャケットを羽織ると、ガールズコレクションのモデルのように、かわいらしくクルっと回ってみせた。 そのとき、ジャケットの左ポケットに重さを感じて、手を入れてみる。
「これなに?」
小さな手のひらに握られていたその石は、霞がつまったようなミルク色をしていた。 ちょうど大玉のビー玉くらいの大きさの、三角形を丸めたような四面体の中に、半煉り状の金色の雲母が生き物のようにぐにぐにと動いているのが見えている。
「あーそれ? そういえば、あの市政まつりのときに、いつの間にかジャケットのポケットに入っていたんだよね。 ついそのまま、ジャケットを着ずにいたから、すっかり忘れていたよ‥‥‥ 」
飛鳥がまさにいま、思い出したというような顔をして答えた。
「どこかで、見たことあるよね‥‥‥ 」
かのんの手のひらで光る、その石を見ながら、二人は顔を見合わせた。
「あっ! 」
「そうだ! 」
二人の声が重なった。
「「黒獅子さまの宝珠!! 」」
「きっと、あの時‥‥‥ 市長さんも巻き込んで、漆黒獅子像を倒してしまったときに外れた石が、偶然にもポケットに入ってしまったんだ! 」
二人は同時に、あのときのシーンをVTRの巻き戻し再生のように思い浮かべていた。
「あのときは、びっくりしたよね。 市長さんも大口を開けてた。 市長さんといえば‥‥‥。 キヨココ心配だよね‥‥‥ 」
かのんは、急に悲しい声でつぶやいた。
「ここなに電話してみようよ? 」
「「うん」」 二人は意を決したようにうなずいた。
かのんは、スマートフォンのアドレス帳の、ハートのマークのフォルダから、ここなの電話番号を選んでかけてみた。 長いリンガーの音が、もうここなと永遠に会えなくなってしまったかのように続いている‥‥‥。 二人は、スピーカーに耳をあわせながら、不安な気持ちがいっぱいで泣きそうな顔になっていた。
『はい』 そのときか細くここなの声が聞こえてきた。
かのんは、一瞬、絵に描いたようなぱぁっとしたような明るい表情をすると、あわててスマートフォンのスピーカーに向かって応える。
「よかった! キヨココ無事なの? 大丈夫?? 」
かのんの顔は、多少は明るくなったが、目にはうっすらと涙が浮いている。
スマートフォンのむこうのここなの声は、小刻みに震えていた。
「ふたりとも、ごめんねぇ‥‥‥。 なんだか、お父さんが大変なことになって‥‥‥。
今も家の前に報道の人たちが居座わっているの。 だから外にも出られない」
「だけど、大丈夫だから‥‥‥ きっと騒ぎも落ち着いて、来週は学院にいくね。 だから大丈夫‥‥‥ 心配してくれて、ありがとう」
二人に心配をかけさせまいと、精一杯に気丈にふるまいながらここなが答えた。
「ここなのせいじゃないよぉ‥‥‥。 わたしたちがいつでも力になるから」
かのんの涙ながらの訴えで、ここなも堰をきったように泣き出した。
「昨日は、変な市民団体が、お父さんを出せって叫んでいたわ‥‥‥。 わたしもう怖くって。お父さんもノイローゼになってふさぎこんでいるの‥‥‥ 百年以上も繁栄を続けてきたこの市が、急にお父さんの代でこんなことになるなんてって、うわ言のように‥‥‥ 」
「わたし、わたし、どうしたら‥‥‥ 」
ここなが言葉をつまらせながら、泣きじゃくっているのがわかる。
飛鳥もかのんも涙がとまらなかった。
「元気をだして」
「心配しないで」
そんな言葉を連呼するしかない自分たちがとても歯がゆかった。
ここながスマートフォンの切り際に、こう言葉をきりだした。
「二人の気持ちは、すごく嬉しい。 だから本当に大丈夫。 また、来週に会おうね」
涙で震える声の芯で、それは強い言葉に感じた。
― 自分たちには、どうしようもない大人たちの問題 ―
「ちがう! 」 飛鳥は、気づいてしまった。
「こんな風にいろんな不幸がこの市に起こるなんて、この石が黒獅子さまから外れてしまったせいじゃないの? 」
飛鳥は、机の上に無造作に置かれた宝玉をみながらつぶやいた。 そして、市政のパンフレットに載っていた漆黒黒獅子の伝説を思い出していた。
『 昔々、このまちに美しい娘がいたそうな。
遠い大陸から、ふらりとやってきた黒獅子さまは、この娘に見惚れ、
娘の住まうこのまちを盛りたてようと、たいそう尽くしたという。
娘も黒獅子のやさしさを好いていたので、祝言をあげることとなった。
そのときに結納の品として、千里の海を越えて、黒獅子さまの故郷から、
大事な宝玉を持ち帰った。
しかし、宝を持っていかれた、大陸の王さまがお怒りになって、
千万の不幸を投げ与えたんだと。
黒獅子さまは、大事な娘をその宝玉に入れて、千万の不幸と戦って、
はねのけたということじゃ。
だから、いまでも、黒獅子さまがこのまちに逗まって守ってくれるのは、
宝玉の中にいる、娘を大事に守っているからなんじゃと。
どっとはらい 』
だから、黒獅子さまと宝玉は一心同体。 娘の入っている宝玉がなくなれば、黒獅子さまは、この市を去っていってしまう。 つまり、千万の不幸だけが降り注ぐだけ‥‥‥ 。
飛鳥の脳裏には、そんなイメージが浮かんでいた。
「この市がおかしくなってきたのも、ここなの家が大変なことになっているのも、ボクのせいだ。 ボクがこの石を持ってきちゃったからだ‥‥‥ 」
飛鳥は、ポロポロと涙を流しながらそう訴えた。
「違うよ! 像が倒れる原因を作ったのは私だもん! 飛鳥は悪くないよ。 巻き込まれただけだもん」
かのんは、涙をぬぐい、悔しそうに立ちすんだ。
「そうだ、石を戻さなくっちゃ」
飛鳥が両手のシャツの袖口で、ゴシゴシと涙を拭きながら、そうつぶやいた。 くしゃくしゃの顔をした、かのんも強くうなずく。
「でも‥どうする? 」 二人は目をあわせる。
「さすがに人がいるときは、近づけないよ? たぶん夜中とかも、監視のカメラもあるだろうし‥‥‥。 警備の人もいるんじゃない? 」
少し沈黙が続いたあと、かのんがこぶしを手のひらにポンっとあわせて、ひらめいたようなジェスチャーをしながら答えた。
「じゃあ、まだ、働いている人もほとんどいない夜と朝のあいだってどう? 警備の人も帰っちゃっているかも? それに、わたしたち女子高生なら、うーんと朝早い時間に元気に行動しても、誰にも怪しまれないわ‥‥‥。 早朝の部活よ! 」
「善は急げ! 明日、いったん家に帰って制服を持ってくるから、飛鳥の家で月曜の朝まで待機させてね!! いいよね? 」
行動をおこすとなったら、かのんは止まらない。
その夜二人は、かわるがわるシャワーを浴びて、お気に入りのパジャマに着替えると、明後日の計画のためにとパーティは断念して早々と飛鳥のベッドに潜っていった。
ベッドの横に張られた薔薇の柄のカーテンを引いて、窓から夜空を見上げると、満天の星たちがこれでもかというほど輝いていた。 飛鳥がそれを見ようと少し身を乗り出したとき、かのんが大きな枕をスライドさせて、飛鳥の後頭部の下にそっと敷くと、そのとなりに自分の頭を埋めてきた。 そして二人は並んだままの姿で、いつまでも無言で星をながめていた。
「ごめんね。 本当だったら、ここなも一緒に、楽しいパジャマパーティのはずだったのに、なんだかこんなことになっちゃって」
「いつかまた‥‥‥ 三人の時間を取り戻そうね」
かのんの洗いたての髪から伝わるシャンプーの香りに包まれながら、飛鳥がそうつぶやくと、隣から小さな寝息が聞こえてきた。 飛鳥は、クスッと笑うと寝息の主の長い睫毛を眺めながら「おやすみ。 ボクのジャンヌダルクさん。 また明日、冒険に連れていってね」 と独り言をつぶやいた。
月曜日、明け方の待時駅。
普段なら帰路にあぶれ、ベンチに腰をふかくうずめている酔っ払いたちがいないでもないが、週の初めのこの時間のこの場所に、二人の少女を気にするものは誰もいない。
「どうしよう、まだコンコースへと続く通路のシャッターは閉まっているよ」
飛鳥は、不安そうな声でそういって首をすくめると、交差した両腕の手のひらで二の腕をゴシゴシと摩擦をして暖め、上げた体温で不安を中和しようとしていた。
「どうしようかしらね」
かのんは、小さなあごに人差し指と親指の股を添えて、不敵な微笑みをした。
「まだ始発は始まってないわね。 駅員もちょうど‥‥‥ いない。 駅の内側からコンコースに向かうっていうのはどうかしら」 小声がもれた。
「強行突破! 」
そう叫ぶと同時に、かのんは身軽な動きでふうわりと線路へと続く金網の塀を飛び越えた。
「えぇ‥ !? 」
驚いた飛鳥がまわりを見渡すと、ちょうど金網どうしのすきまが開いているのが見えていた。
「もう、急なんだから‥‥‥」 そうつぶやきながら、飛鳥は、そそくさと金網のすきまから忍び込んで、かのんの後を追った。
まだ、満月がわずかな光で構造物たちの輪郭を浮き上がらせている中、砂利の上に敷かれた電車のレールが美しく、そして怪しく鈍色の光を放っている。 隣駅まで続いていくレールの先は、まっすぐに針の先のように細く尖るように伸びて、そのまま星空に浮かんでいって冥界へと続いていく銀河鉄道の軌条を思わせていた。
飛鳥は、そっとレールに手をあててみると、氷のような冷たさに意識がふっと遠くなった。 そのまま右側に目をやるとホームの軒先が黒々と大きく口をあけていて、まるで地獄の入り口のように見えている。 並べられた鉄骨や送電線たちが描き出す幾何学模様のシルエットが、二度と出ることができない迷宮を思わせて、目の前がくらくらとゆがんでゆくのを感じていた。
飛鳥は、たとえようのない大きな不安にかられ、身を縮め、恐ろしさにしゃがみかけた。
そのときかのんが先陣を切ってホームの上へと一気にかけのぼる! のぼりきった後、あのときとおなじように、飛鳥に向かって小さな、そして暖かな手をさしのべてこういった。
「飛鳥、いこう。 なんだかドキドキするね」
かのんの顔を見ると、冒険を前にした少年のような顔をしていた。 口元には小さな笑みが、大きく広がった瞳孔には月の光が入り込み、いつになく瞳全体が宝石のようにキラキラと輝いている。
飛鳥は、その吸い込まれるような瞳に魅入られながら、差し伸べられた手を強く握った。 手をあわせた瞬間に、緊張で引いていた血の気が指の先から逆転し、体全体がポゥッと熱くなっていくのを感じると、彼女の高揚する心が伝播し、不思議と不安は希望へと一転していく。 そして、ホームに昇りきり顔を上げると、薄明るく光る白線が、自分たちの進むべき道筋を照らすように、どこまでもまっすぐに続いているのが見えていた。
「さあ行こう! 」 かのんの言葉に飛鳥は無言でうなずく。
二人は手をつないだままで走り出す。 階段まで到着し、腰を下ろして、つま先をたてながら昇りきると、その先には誰もいない改札口だ。 静まりかえったその空間には、蛍光灯が発するチカチカという小さい音だけが静寂を誇張するようになり響いていた。
「駅員のひとたちごめんなさい」 飛鳥とかのんは、改札を潜り(くぐり)抜けるときに、続けざまに右手を小さく額にあてて、申し訳ないという声でつぶやく。
黒獅子像まで一直線だ。 改札を抜けて、コンコースに向かう通路には、さまざまなポスターが貼られていた。
『たちどまらないで、Lift off!! 』
そうコピーがつづられた、市が主導で作った、この町出身だという誉れ高き女性宇宙飛行士のポスターの笑顔が、真っ白い歯をみせながら二人の背中を押し出す。 そのポスターのとなりには、やしの木のゆれる南国の観光ポスターの、一面に描かれた大きな入道雲のビジュアルが、何枚も続けざまに貼られている。 並べて貼られたその白煙が、まるで二人の背中から吹き出たジェット爆煙のように見えるほど、飛鳥とかのんは、ただまっすぐに前だけを向いて、あらんかぎりの全速力で通路を駆け抜けていった‥‥‥。
像にたどりつくと同時に、陽の光がゆっくりとコンコースの奥の窓から差し込んで二人を包む。 息を整え終わって深呼吸をすると、始発のベルがけたたましく鳴り響いた。
「うまくたどりつけたね。まだ誰もいない‥‥‥ 」
黒獅子さまの前で二人は笑った。
「さあ、石を‥ 宝珠を‥ 元に戻そう! 」
「ここなの笑顔も戻ってくるね! 」
飛鳥は、意気揚々と黒獅子像の台座に宝珠を差し出した。
「はい‥ らない‥‥‥ 宝珠が入らない!? 像の台座とこの石は形があわない! 」
飛鳥が泣きそうな声で言う。
「じゃあ‥ この石はなんなの?? 」
だんだんと朝の強い光と雑踏が近づいてくる。 二人は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
時間は少しさかのぼり、日曜日、夜半。
東京湾上の小ぶりな輸送船の中、外側の老朽さに反して、豪華な調度品が並ぶ一室。
「真不像活(もの!)! おまえたちは何をぐずぐずとやっているのだ」
すべてのものをさげすむような声が響く。
冷血な薄白い肌にぽっかり浮かぶ、その蜥蜴のような無表情な瞳は、他者へは決して心をみせることのない空ろな深淵をみせていた。 蛇のような薄い唇の口元は、耳もとまで広がり薄ら笑いを浮かべている。 すべての爬虫類の冷酷無慙な表情をあわせもったような顔をした小男が、その冷たい瞳をくるんだ目じりをするどく細くして静かに怒鳴る。 それを一心に受けるように、屈強な男たちが膝をつき、かしずいていた。
「遠い昔に我が故郷から、奪われたふたつの宝珠が、目の前にあるというのに‥‥‥ いつまで待たせるというのだ」
「幸い、富と繁栄をもたらすといわれる『黒栄星石』は我が手中に戻った。 しかし、永遠ではない!! 永遠の時を司る『白永錘石』がなければ!! ふたつがそろわなければ永遠の繁栄にはならない。 意味がないのだ!! 」
「『白永錘石』が隠されている場所は、わかっているのだろう? 」
ひとりの背の高い鋭利な刃物を思わせるような口元の、うすら笑いをした気持ちの悪い男が、蛇のようなくねくねとした定まらない姿勢をしながら答える。
「C県のとある寺院‥‥‥ 今は、女子学校の宝物庫にあるということがわかっていますぅ」
「寺か! 学校か! いずれにしても赤子の手をひねるようなものだ。 私の表の顔に泥をぬるようなことはゆるさない。 日本の警察とやらの小蝿どもがうろつかなければ、どんな方法をとっても良い。 それは、おまえたちの得意なことだろう? 」
爬虫類のような顔をした小男がそういうと、にやけた口元から、不自然なほど真っ赤な長い舌が少しだけ顔をだしていた。




