プロローグ(2)
俺の物ではない温かさ。 顔に当たる吐息。 仄かに香る甘い匂い。
人の気配を感じ目を開けると。
優しく此方を見つめる『緑銅院妃』こと『クイン』の顔が目の前にあった。
「やぁ、クイン。これで、何回目の侵入かな」
煩いくらいに跳ねあがる心音。 顔は焼けるほど熱を帯びる。
なのに、頬が緩みそうになるほどの幸福感もあり、心を悶えさせる。
恥ずかしい姿を俺は、平然を装い。 元凶であるクインに軽口を叩いた。
「おはよう、ケイ。顔が赤いわね」
『顔が赤いわね』ではない。
好きな人が布団に潜り込み添い寝をしているのだから。
理性を飛ばさず、紳士的に対応出来てる俺を、労わるべきだ。
「そら、こんだけ間近に居れば赤くもなるって」
「あら、意識しているのかしら? 前は『全然、平気』だって言ってなかった?」
「違うな『全然、兵器』だからな」
「同じじゃない」
ニヘラと笑みを浮かべ、此方を見つめてきている。
くそう。 やっぱり、可愛い。 ずっと眺めていたいが、そうも言ってられない。
「そもそも俺は、異性だぞ。 離れなさい」
今のクインはおかしい。
入院から半月が経った頃は問題は無かった。
冗談を冗談で返えしたり、あだ名で呼び合う程度。 つまりは、高校の時ぐらいの距離感だった。
「いやよ。私はケイの匂い好きなの」
だが、日が経つにつれて言動がおかしくなっていった。
度の過ぎた行為、過剰なまでのスキンシップ等。 子供が甘えるような行動を仕掛けてくる。
「降参。 降参するから。 匂いを嗅ぐのも、潜り込むのも、辞めてくれ」
「だからいやよ。 むしろ近づいちゃうわ」
離れるどころか抱き着いてくる。 女顔だからって、異性扱いされないのは辛い。
理性を保つ為に、どれだけ無理をしているのか、気づいてくれる様子は無い。
「だから、俺は男なの」
俺の物では無い体温。 フニョンと柔らかい物体。 男性の物とは違う匂い。
どれ一つ取っても、核兵器級の破壊力を持っており、俺は冷や汗ものだ。
なのにクインは、子供の様に、無自覚で無防備で襲って来る。
こんな直ぐに、限界を迎えてしまうので、勘弁して欲しい。
「それ話無いわ。嘘は駄目よ」
「ん゛ん゛。ちょっと待って。マジで許して」
「い・や・よ」
体の変化に気づき『マズい』と冷や汗がだらだらと流れる。
無自覚なクインの行動が、俺の理性を削りきってしまったようだ。
一部が『ハァーイ♪』と勝手に反応してしまった。
「本当に、ほんっとうに離れてくれ」
クインを必死に引きはがそうしても、『ヤダヤダ♪』と体をよじって、しがみついてくる。
『やめて。体を動かさないで、当たる。当たるから』と心の中で叫び。
神に『バレませんように』と祈りを本気で捧げる。
「ん゛!?」
ビクリと、動きが止まり、顔を赤くして硬直。 頑なまでに離さずに、密着させていた拘束を解いた。
終わった。
全てを悟った。 体の芯まで冷え、頭は真っ白になる。
「えっと、ケイも本当に男の子だったんだね」
気まずそうに、視線をさ迷わせる。
顔は赤く、もぞもぞと体を動かしている。
「もう、ひと思いに俺を殺せ」
羞恥と絶望の余り、涙があふれ出た。
「えっと。元気があっていいと思うわよ」
「ほんっとうに。殺して」
下手な擁護は、逆に辛い。
★★★
クインはパイプ椅子に腰かけ、真っ赤な顔しながら、太ももをこすり合わせている。
自分がどれだけ際どい行動をしていたか、理解したようだ。
「本当に、ほんっとうに、ああいう悪乗りは辞めてくれ。色々とヤバい」
「あはは、ごめんなさい。まさか、そんな事になってたなんて思いもしなかったの」
クインは、チラチラと俺の体の何処かを見ている。
「視線。視線」
「ごめんなさい」
慌てて視線を反らすが、まだチラチラと見ている。
布団で隠してるとは言え、興味津々に見られるのは、恥ずかしすぎた。
思わず、元気な姿を手で隠した。
「そのね。くっつくの嫌だったかしら」
「嫌では無いが、辛かった。理性が飛ばない様に必死だったんだぞ」
「理性が飛ぶって、つ、つまりはそう言う事よね」
一段と顔を赤く染めるが、食いつきが良い。
興味津々ってのが解ってしまう。
「クインは、そう言う話が苦手じゃなかったか。無理して話題を広げなくてもいいぞ」
話題を広げられると、こちらの傷口まで広がる。
「大丈夫。この部屋に居るの私達だけだから。恥ずかしい話を聞かれる心配がないわ」
「むしろ二人しかいないから、マズいんじゃないか。後さ、恥ずかしい話をする気はないぞ」
「えっと。えっと」
目がグルグルと渦を巻き。 混乱しているのが見て取れる。
テンパっているクインを見ていると、顔が熱くなってきた。
『可愛い』と思ってしまった俺は、酷い奴なのだろうか。
「解ったわ。なら、責任を取って結婚しましょう」
「ぶっ飛とび過ぎだ」
クインの血迷ったボケに、魂のツッコミを入れた。
★★★
「落ち着いたか」
「お陰様で落ち着いたわ」
「それにしても、病院側も不親切だよな。年頃の男女二人を同室にするなんて」
年頃の男女で、元同級生。 加えて二人っきりの病室となると、どうしても互いに意識してしまう。
「ごめんなさい。私のお父さんが無理を言ったみたいでこうなってしまったの」
「クインのお父さんがって嘘だろ。どういう事なんだ。何故、そんな事をする必要があるんだ」
信じられなかった。
クインの親御さんは、クインが獣落ちと言う事もあり、かなり過保護だ。
同年代の異性と、病室を共にさせるなんて事は、する筈が無い。
逆に同性だけの部屋や、個室を無理に用意させたと言われる方が納得する。
「私は、一応、自殺未遂を起こしている訳じゃない」
「そうだな。そう言う事か、なるほど」
何となくだが、クインの言いたい事が解った気がする。
「だから、どうしても一人っきりにはさせたくないみたいなのよね。 かと言って、獣落ちである私を、普通の病棟に入れるのも不安みたいで」
やはり、そう言う話だった。
自殺未遂を起こしたクインを一人っきりにするのはどうやっても不安。
普通の病室にとなれば、獣落ちであるクインは、誹謗中傷や嫌がらせの標的にされる可能性が高い。
「結果。獣落ちであり、面識がある俺に白羽の矢が立ったんだな」
言ってみると『ん?』と、おかしい事に気づく。
異性の俺に頼まなくても、緑銅院家に仕えているメイドに頼めば良いだけなのではないか。
「なぁ………」
「どうかしたの」
「なんでもない」
『なんで、メイドじゃなくて俺なんだ』と口を開きかけた所で辞めた。
強烈に嫌な予感が襲い掛かって来たからだ。
では何故、嫌な予感が襲ったのか。 目星はついている。
『クインの周りで、メイドを見かけなかった事に気が付いたからだ』
入院用の荷物を届ける時は、何時もクインの親御さんだけだった。
メイドをお供にさえ、付けてはいない。
洗濯物を持って帰る時も。 様子を見に来る時も。 荷物を持って来る時も。
クインの親御さんが、やっていた。 メイドに任せても良い仕事でさえもだ。
これでは、メイドとの接触を避けている様にしか見えない。
いや、これ以上考えるもの辞めておこう。 この話題は触れない方がいい気がする。
「逆に気になるのだけれど」
「悪い、悪い。今日の晩御飯はなんだろうなってな」
「……。 ソーセージが出たらどうしましょう」
顔が赤く染めている。 此方は、自分が食べている姿を想像して食欲が失せた。
俺が振った話題が悪かったか? でも、予想できるものか。 そんな、返答。
「変な事を、想像させるなよ」
「え。 あっ。 だ、大丈夫よ。 ケイのは当たった感じ、フランクフルトだったわ」
違うそう言う事ではない。 今後、フランクフルトを食べれなくなったらどうする。
以外にクインって、ムッツリだったりするのか。 だとしても、あまり知りたくなかった。
「いやぁ。 そんな事よりも。 そろそろ退院だよな」
無理やり話を捻じ曲げる。 フランクフルトの話は辞めて欲しい。
「えっ。 あぁ、そう言う事ね。 えぇ。 寂しくなるわ」
察してくれて、なりよりだ。
「寂しくなるって言っても。お互いに自分の家に帰るだけだろう」
俺の退院予定日に合わせて、クインも退院する事が決まっている。
それはつまり、計画を実行できる日が迫って居ると言う事でもある。
「それに、またすぐに顔を合わせる事になるだろう」
「顔を合わせるってどういう事」
「一緒に青春しようって話だった筈だが」
「あ、そんな話だったわね」
すっかり忘れていたようで。
冗談だったのか或いは、その場の勢いで言ってしまっただけだったのか。
だとしたら、俺だけ楽しみにしてたみたいで恥ずかしい。
「別に、嫌なら無かったことにするけど」
「嫌じゃないわ。 最近が楽しすぎて、すっかり忘れていたのよ」
視線を反らし、言い訳じみた事を言う。 最近が楽しいとか、そう言われると照れくさい。
「本当に、ありがとうね」
微笑むクインを直視出来ず、思わずそっぽを向いた。
「そ、それで、どうする予定だ」
「そうね。 まずは拠点になる家を探そうかと思っているわ」
「家をか。 結構、本格的にやるつもりなんだな」
秘密基地か、部室の様な物だろう。
確かに、そちらのほうがワクワクするよな。
「そうね。 そちらの方が面白いでしょ」
そう口にするクインからは、負の感情を感じた。
トーン。 仕草。 表情に一切の不自然さは感じ無い。
なのに、『一人にさせちゃ行けない』。 『孤独にさせちゃ行けない』と思いが沸いてくる。
いや、気のせいだろう。 最近のクインの行動がおかしいから、そう感じてしまっただけだと思う。
でないと、台詞と状況が、合って無さすぎだ。
「そうだな。 じゃあ退院したら拠点捜しをするか」
「えぇ。 楽しみだわ」