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 神代さんが私の手を取って立たせてくれる。

 叶エリカさんが苛々と爪を噛んでいる。綺麗な人だと思ったけれど、家政婦のおば様達をあっさり殺してしまった今となっては、その姿は人間とは別の何かに見えた。


「エリス・シルフィードは、呪法師だった。あれは、ソフィーナと違って転生して此方に来たんじゃなくてね、呪法を使って無理やりに、あの女の中に自分の魂を埋め込んでいるんだ。だから、エリスと同じ呪法が使える」


「ど、どういうことですか、お兄様……、っじゃなくて、神代さん」


「お兄様で良いよ。お兄様だし。シルフィード皇国は、魔術の国だ。その中でも呪法とは外法。人の命を贄にして使われる非道な魔法。ソフィーナが王城に閉じ込められてから、君が亡くなるまで何があったのかを調べたよ。僕は君を失って自棄になっていたから、君が亡くなるまで、君の置かれていた状況に気付くことができなかった。ごめんね、ソフィーナ」


「そ、それは良いのですけれど……」


「僕の記憶が戻ったのは、つい最近。だから、また遅くなってしまった。クライスに先を越されていたけれど、今度は助けに来れた。良かった」


「……輝夜さんは、クライス様なんですか……?」


 そんな気はしていたのだけれど、でもクライス様はあんな風に穏やかに話をする人ではなかったのに。

 

「そうよ。あれは、私の物。お前さえいなければ、私だけを愛してくれたのに……!」


 憎々し気に叶エリカさんが言うので、私は腹が立った。

 そんな理由で家政婦のおば様達を殺したというのだろうか。私だけなら分かるけれど、おば様達はただこの場所にいただけなのに。


「そういうの苦手なんでやめてくださいよ……、エリス様とクライス様を奪い合いたいとか、思ってなかったんですよ私、美味しいごはん食べて暮らしたいだけなのに、なんで邪魔するんですか!」


「そういう態度が鼻につくのよ。だから森におびき出して誰にも気付かれないように殺してあげたのに」


「ならそれで良いじゃないですか。もう終わったことなので……!」


「終わってなんていないわ。この体の持ち主、叶エリカは天牢院輝夜の婚約者だった。だけど、あっさり捨てられたのよ。それまでは仲の良い婚約者だったというのに。輝夜にクライス様の記憶が戻ってしまったからね。全てお前のせいよソフィーナ。叶エリカは復讐を望み、私に魂を捧げたのよ」


「もう無理です、無理ですよ、そういう話は苦手なんです。巻き込まないでくださいよ……!」


 耳を塞いで逃げ出したい。

 本当にやめて欲しい。私は何も望んでいないのに。

 ソフィーナだった私は、マヨルカ侯爵家でお兄様と穏やかに暮らしていたかった。

 椎名月夜は、ごく普通に産まれたので、ごく普通の生活を送れると思っていたのに。


「……どうしようか、月夜。……この女を、殺す?」


「神代さん……、で、でも、よく分かりませんけど、叶エリカさんの中にエリス様が入ってるんですよね? じゃあ、傷つけるのはまずいんじゃないですか? でも、……叶エリカさんは、家政婦のおば様たちを殺したから……」


「月夜。そんな人たちはいないよ。あれは、天牢院輝夜の術式。紙人形みたいなもの」


「意味が分からないです神代さん!」


「分からなくて良いよ。……じゃあ、逃げようか、月夜。エリスからもクライスからも逃げて、お兄様の元で三食昼寝付き時給千三百円のアルバイトをしてくれる?」


「よく分からないですけど、そうします。巻き込まれるのも閉じ込められるのももう嫌なので……!」


 私は神城さんの手を取って、一緒に逃げた。

 叶エリカさんは追いかけてこなかった。

 天牢院家の門を抜けて正面に停まっていた小さめの青い車に乗り込むと、遠くに女性の悲鳴が聞こえた気がしたけれど、私は耳を塞いで聞こえなかったことにした。

 振り向くのも戻るのも、怖すぎてできそうになかったからだ。

 私と神代さんが後部座席に乗り込むと、運転席に座っている初老のスーツを着た男性がちらりと私たちの方を振り向いた。


「出して、沖津。戻るよ」


「了解しました」


 真っ白い髪の毛をオールバックにした初老の男性が頷いて、車はゆっくりと発進した。

 流れる景色を眺めながら、私は体の震えがおさまるように呼吸を繰り返した。

 私の望んでいた普通の生活と普通の結婚から、どんどん離れていっている気がする。神代さんは乱れた髪を適当にまたぐしゃぐしゃと乱れさせていた。きちんとすればノクスお兄様によく似た甘い顔の美形なのに、顔を出すのがあまり好きではないようだった。


「月夜、怖かったよね。ごめんね」


 人通りの多い大通りに出たあたりで、私はほっと溜息をつく。

 いつもの日常にやっと戻ったような気がした。


「……神代さん、やっぱり研究所から逃げてきた人じゃないですか」


 不思議な力はないと言っていたのに嘘吐きだ。


「だって急に現れた僕が、実は月夜のお兄様のノクス・マヨルカの記憶があって、しかも帝都の怪奇と日々戦ってる組織に所属してるとか言ったら、ドン引きするでしょ」


「そうですけど……、でも私にソフィーナの記憶があるの、気付いてましたよね?」


「途中から、なんとなくは。確信が持てなくて。無理やり攫って嫌われたら嫌だし。僕は神代暦でもあるから、そこまで大胆に行動できなかったんだよ。呪法師をおびき出したいなって思ってたのもあるんだけど」


 神代さんはすまなそうに言った。


「輝夜さんも神代さんと同じなんですか?」


「あぁ、あれも、流派は違うけど、僕と同じ法術師だよ。僕と違って組織には所属してない。天牢院家も、呪法を使っているという疑いがあったんだけれど、月夜を人質にとられてしまっていて、手が出せなかった」


 私は人質だったのかしら。

 お母さんが亡くなって、輝夜さんが来た。

 輝夜さんは私を関係性的には妹だというようなことを言っていたけれど、あれは全て嘘だったんだろうか。


「輝夜さんは良い人に見えましたけれど……」


「クライスはソフィーナに執着しているからね。君が傍にいる限り、良い人の仮面をかぶっていたんだろうけれど……、でも、無理やり取り戻しに来るかな」


「お兄様……、じゃなくて、神代さん」


「お兄様で良いよ」


「私、良く分かりません。だって……、クライス様と私は別に仲良しとかじゃなかったんですよ? 私お兄様に言われたとおりに、王妃様選びの会場の端っこの方で、ご飯食べてただけなんですよ?」


「……ソフィーナは、小さい頃マヨルカ侯爵家のあった海辺の街で、男の子を助けたことを覚えてない?」


「なんですか、それ」


「覚えてないなら良いんだよ。大丈夫だよ、ソフィーナ。お兄様がこれからはずっと傍にいる」


 神代さんはそう言って微笑んだ。

『ソフィーナはずっとお兄様の傍に居て良いんだよ』

 その口調はノクスお兄様そのもので、懐かしくて安心するものだ。

 そうして私は天牢院家から逃れて、『闇払いの神代家』のお世話になることになったのである。

 それは望んでいた普通の生活とは違うものだけれど、お兄様の傍にいられるのなら、それで構わない。

 三食昼寝付き時給千三百円の呪法師封印アルバイト生活も、なかなか刺激的で悪くない。

 どうして転生したのか、お兄様やクライス様に記憶があるのかは分からなかったけれど、そういうものだと思って受け入れるしかない。

 空っぽになった天牢院家の地下から沢山の女性の死体が見つかり、庭先からは叶エリカさんの亡骸が見つかったのはそれから一週間後のことだった。

 天牢院輝夜さんが私を取り戻そうとして帝都を闇に染めるのは、もう少し先の話だ。


 

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