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 あまり外に出ていて協力してくれた家政婦さんの迷惑になるのはいけない。

 私は素直に天牢院家に戻った。神代さんは偶然会っただけの人なので、もう二度と会う事もないだろう。

 研究所から逃げてきた訳じゃないと言っていたけれど、普通の人には見えなかった。

 コンビニでおにぎりの買い方に困っているお兄さんは、その時点で既に普通の人とは言えないかもしれない。

 輝夜さんが帰ってくるのは明日。明日までは一人でいられる。

 少し気が重い。輝夜さんのことが嫌いというわけじゃない。優しくて良い人だとは思う。

 けれど有無を言わせない強引さと、何を考えているのか分からないあの感じが、どうにもクライス様を思い出してしまう。話し方も雰囲気もまるで違うのに。美形ってところだけは一緒だけれど。

 神代さんは、お兄様に似ていた。

 顔立ちは違うけれど、優しくて押しつけがましくなくて、私の話を戸惑わずに聞いてくれるところが、ノクスお兄様に似ている。

 勘違いだと思うけれど。

 ソフィーナとしてまともにかかわった男性がクライス様とお兄様しかいなかったから、誰に会ってもどちらかに分類してしまうのだろう。あまり良いこととは言えない。

 天牢院家の正面門まで戻ると、家政婦の方々が門の前に集まっていた。

 どうやら、何かもめているらしい。


「……どうしたんですか?」


 まさか輝夜さんが帰ってきたのかしら。

 私の不在を隠そうとしてくれている、とか。

 それなら、家政婦の皆さんに申し訳ない。遠くから眺めているおば様達が多いけれど、それとなく私に気を使ってくれている優しさも感じる。

 勝手に外に出たのは私なので、家政婦の皆さんには悪いところはひとつもないのだ。

 怒られるのは私だけで良い。

 私が駆け寄ると、門の前にいたのは輝夜さんではなかった。

 知らない人だった。薄い青色の清楚な膝丈のワンピースを着た女性である。ヒールのない靴と、踝丈の靴下。茶色いジャケットを羽織っている。

 栗色のふんわりとした首元までの髪をした、街ですれ違ったら目を引くような美人だ。

 大きな目に、ばしばしの睫毛。輝夜さんと同じ、美形の国に住む美形の住人である。


「……やっぱりいるじゃないの」


 女性は私を見た。

 その視線には憎しみさえ浮かんでいる。

 私は一歩下がった。美形の国の女王みたいな人に恨まれるような人生を歩んできていない。

 ごく普通に産まれた私は、ごく普通の容姿をしているので、そちらの世界の愛憎劇に関われるような立場の人間じゃないので。


「あなた、また私の邪魔をするのね。あちらでもこちらでも、なんて目障りなの……!」


 可憐な唇が憎々し気に言葉を紡ぐ。

 ちょっと意味が分かりません。目障りなら見ないで欲しいんですけど。私は世界の片隅でコンビニのおにぎりでも食べていますので。

 家政婦の皆さんが心配そうに私を見ている。家政婦のおば様たちもきっと私側の人たちだろう。

 誰だか分からないしお近づきになりたくないけれど、私は仕方なく女性の前に立った。要件を聞いて、お引き取りしてもらおう。よく分からないけれど、多分誤解なので。


「どちら様でしょうか……」


「叶エリカ。輝夜さんの婚約者よ」


「やっぱり……」


 絶対そんな気はしていた。拾われた貧乏人の一般女子高生、つまり私は、分不相応のお金持ち学校に連れていかれるか、引き取り先のご立派なお家で、引き取り先にいる素敵な男性の恋人やら婚約者に絡まれると相場が決まっているので。

 想定の範囲内である。特にショックを受けたりもしない。だって私別に輝夜さんのこと好きとかじゃないし。むしろちょっと怖いなって思ってるので。

 クライス様みたいな男には近づいてはいけないと、私の中のソフィーナが激しく警鐘を鳴らしているので、私は輝夜さんのことを好きになったりはしないのだ。


「……エリス・シルフィードと言った方が、わかりやすいかしら」


「うわぁ……」


 髪をかき上げながら、エリスが言う。

 私は思わず声を上げた。どん引きだ。前世の記憶について誰にも言ったことのない私からしてみれば、堂々と名乗りを上げるエリスはかなり痛い人である。

 大丈夫なのかしら、叶エリカさん。ちゃんと新しい人生歩めてる?


「恐ろしい、という顔ね。そうでしょうね」


「怖いですね、色んな意味で」


「そうでしょう、そうでしょう。……だってあなたを殺したのは、私だもの、ソフィーナ」


「そ、そうですか……。あの、私は椎名月夜なので、そういった名前の人間じゃないので……」


 恥ずかしいのでやめて欲しい。

 黒い髪に黒い目のごく普通の帝都都民である私を、ソフィーナとか呼ばないで欲しい。

 どこの源氏名だという話である。

 私明らかにソフィーナって顔してないもの。椎名月夜って顔だもの。

 家政婦の皆さんの視線が痛い。私は率先してソフィーナって名乗ってるわけじゃないので、ご理解いただきたい。


「殺してやったのに、もういなくなったと思ったのに、……どうしてまた私の邪魔をするの? クライス様は私のもの。それなのにどうしてクライス様は、お前のことばかり気にかけるの……?」


「そ、そういった名前の知り合いもいないのですけれど……!」


 クライス様という名前の知り合いも椎名月夜にはいないのでやめて頂けないでしょうか。

 叶エリカさんにエリス・シルフィード様の記憶があるとしても、ここはナルジス王国じゃなくて帝都ですし。私はこの通り普通のど真ん中、ストライクバッターアウト的なごく普通の女子高生、もうすぐしたら卒業して立派な無職になる予定の椎名月夜であって、ソフィーナ・マヨルカではないので。

 エリス様が私を殺したとしても過去の話なので、できればもうそっとしておいてほしい。

 ソフィーナは死んでしまったのだし。

 エリスさん改め叶エリカさんは私にソフィーナの記憶がある前提で物を話しているけれど、記憶が無かったらどうするつもりなんだろう。

 ただの電波さんになってしまうのでは?


「お前は、邪魔よ。邪魔だわ。……だから、死んで」


「えぇ……、そんな、横暴じゃありませんか……っ」


 森の中でなんだかよく分からないまま殺された時も理不尽だったけれど、今回も今回で理不尽。

 ナルジス王国では殺人はオッケーという訳じゃないけど、帝都で殺人は立派な犯罪なんですけど。


「蟲毒の呪、蛭蟲!」


 叶エリカさんは私に向かって謎の呪文を唱えた。

 いやいや、待って。

 ここはナルジス王国じゃなくて、現代帝都なんですけど。謎の呪文に効果があるとは思わないんですけど。丑の刻参りとかしちゃうタイプですか叶エリカさん。


「な、なんですかそれ、電波にもほどが……、ひぇ……っ」


 私の心配をよそに、私の足元からぼこぼこと巨大なぬめっとしたものが現れた。

 私二人分ぐらいのぬめっとしたものは赤黒い蛭の姿をしているけれど、ミミズ状の体の先端にぽっかりと口があいている。沢山の牙が無数についている。目はない。

 その数は、十体程いるだろうか。

 蛭のばけものは、逃げ惑う家政婦のおば様たちをばりばりごくんと飲み込んだ。

 あまりのあっけなさに、助けることもできなかった。


「なんて、酷いことするんですか……! 人殺しじゃないですか……!」


「もうさっき名乗ったでしょ。私はお前を殺した。そして、もう一度殺すわ」


 震えながら怒鳴る私に、叶エリカさんは冷めた瞳で言った。

 酷すぎる。でも、何もできない。

 だって私には不思議な力とかありませんし、化物みたいな蛭を相手に戦ったことなんてありませんし。

 家政婦のおば様たちを食べ終えた蛭が、私にずりずりと迫ってくる。

 口の先っぽから、たらたらと血と粘液が垂れているのが気持ち悪かった。


「……お兄様……っ」


 自然と言葉が口から洩れた。

 恐怖に体が震える。腰が抜けて、私はその場にぺたんと座り込んだ。

 何だろうこれは、悪い夢なのかしら。

 お母さんが亡くなってしまって、私はうどんを食べた後リビングで寝ちゃったんだったわね。

 もしかして、私はあの時からずっと寝ているのかしら。

 輝夜さんと一緒に住んだことも、神代さんに会ったことも、叶エリカさんが人殺しなことも、ただの夢――


「逃げるよ、月夜!」


 誰かが私の腕をとる。

 見上げた先には、先程別れたばかりの神代さんが立っていた。


「神代、さん……」


「立って、月夜。しっかり」


「……神代さん、駄目です、危ない……っ」


 私の目の前に、化物みたいな蛭が津波のように押し寄せている。

 体をもたげた巨大な体躯の裏側に、無数の繊毛が見える。ひとつひとつが私の腕ぐらいの大きさがあって、わさわさと蠢いている。

 腕を引かれて立ち上がろうとしたけれど、足に力が入らなくて私は再び地面に膝を突いた。

 擦りむいた膝が痛い。でももう多分駄目だろうから、膝の痛さなんてどうでも良い気もした。

 神代さんはモッズコートを開く。細身のジーンズのベルトに、テレビの中でしか見たことのないものが下げられている。

 それは銀色に輝く美しい拳銃だった。

 拳銃を手にすると、神代さんは冷静に銃弾を蛭へと打ち込んだ。拳銃程度ではとても太刀打ちできない怪物に見えたのだけれど、銃弾が当たると、蛭の体はそこを中心に弾け飛んだ。


「闇払いの聖弾……、お前……!」


 叶エリカさんが忌々しそうに言った。


「しつこいんだよ、お前たちは。……僕の月夜に、関わらないでくれる?」


 蛭の体が弾けた衝撃で、風圧が髪を揺らした。

 神代さんのぼさぼさの髪が風圧でなびく。

 髪の毛で隠れていた神代さんの顔は、お兄様によく似ていた。


「ノクス、お兄様……?」


「うん。……月夜、今度こそちゃんと助けに来たよ」


 神代さんは私に手を差し伸べて、穏やかに微笑んだ。



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