はじめましてで逃避行 1
ぼさぼさしたお兄さんが、私を見ている。
私はきょろきょろと周りを見渡した。気のせいかな、と思ったからだ。お兄さんの知り合いがコンビニにいるかもしれない。私に話しかけたと見せかけて私の背後にいる誰かに話しかけたのかも。
そう思ったけれど、コンビニのおにぎりの棚の前には私とお兄さんの姿しかなかった。
「……ええと、はい」
「急にすみません。……吃驚しましたよね」
「ええと、はい」
遠慮がちにお兄さんが言った。
私はお兄さんの姿を上から下までもう一度確認する。
ややくたびれた様子の、ひょろひょろしたお兄さんだ。輝夜さんみたいな、きらきらしい姿ではない。
「これ、……食べられるんですよね?」
お兄さんがおにぎりを指さして言った。
この人はおにぎりを知らないのかしら。現代人ではないのかしら。もしかして記憶喪失とか、それともとても悲しい事情があるとか、そういうやつかしら。
事情がどうであれ困っている人には親切にするべきだわ。
私はこくりと頷いた。
「これはおにぎりです。食べられますよ」
「……そうですか。買いたいなと思っているんですけど、僕、こういったお店に入るのは初めてで……」
「もしかして研究所から逃げてきたばかりの人ですか?」
つい最近まで研究所に入れられて人体実験を受けていた超能力者の人かもしれないわ。
言われてみれば確かにそんな雰囲気が全身から醸し出されているもの。
お腹が空いたけれどお金が無くて、ご飯の買い方も分からないに違ないわ。きっと悲しい事が色々あったと思うから、助けてあげなくちゃ。
私は使命感に駆られた。外出した挙句知らない人と話すだなんて、輝夜さんに怒られるかもと思ったけれど、このお兄さんは助けてあげるべきだ。余程困って私に話しかけてきたのだろうから。
「……研究所?」
訝しそうにお兄さんは言った。
それから少し考えるようにした後に、もう一度口を開いた。
「……もしあなたさえよければ、僕にあなたの分の食事を買わせてくれませんか? それで、近くの公園などで食べ方を教えてくれると嬉しいんですけど」
「お金がないんじゃないですか、私が買ってあげますよ!」
大丈夫、任せておいて。
輝夜さんから使い道のない小遣いを貰っているので、私のお財布には今潤沢な資金がある。
研究所から逃げてきたばかりのお兄さんの小腹ぐらいはちゃんと満たしてあげることができる。
「お金はあります。買い方が分からないだけで……、教えて貰っても良いですか?」
「大丈夫ですよ無理しなくても」
「もしかして、お金なさそうに見えます?」
「研究所から逃げてきたばかりの人はお金がないと相場が決まっていますので……」
「もしかしてあなたには僕が、……兄さん頭が痛いよ、とか突然言うように見えてますか?」
「どちらかといえば兄さん側の方ですね」
お兄さんにはそこまでの繊細さはなさそうな気がした。
話が通じるのが嬉しくて、私はにこにこした。研究所から逃げてくる超能力者といえば兄弟なので。
「そうですか……、残念ですが僕には不思議な力とかは無いんです。単純に、このような場所で買い物をするのがはじめてというだけで。ここで話すと邪魔になってしまいそうなので、先に買い物をすませましょうか」
「そうですね……」
私はちょっとがっかりしたのだけれど、お兄さんが困っている事は変わらないので、いくつかのおにぎりとお茶を買ってお兄さんと一緒のカゴに入れると、会計をすませた。
お兄さんはモッズコートのポケットから小さな財布を取り出して、私に促されるままお会計をしてくれた。お金じゃなくてカードで払っていた。もしかしたらお金持ちなのかもしれない。
袋に入ったおにぎりとご飯をお兄さんが持ってくれるので、私は手ぶらのままその隣を歩いてコンビニから五分もかからない場所にある小さな公園へと入った。
遊具も何もない小さな公園では、私達の他に何人かの会社員と思われる人たちがベンチに座ってごはんを食べていた。
私もお兄さんと並んでベンチに座った。本当は帰らなければいけないんだろうけれど、久々に外に出られたので嬉しかったし、輝夜さんではない別の人と話がしたかった。
その相手が初対面のお兄さんというのはいかがなものかな、という感じだけれど、私には友達がいない。友達がいない弊害がこんなところで出てしまうとは思わなかった。
私はコンビニのおにぎりにおける上手な海苔の巻き方をお兄さんに伝授しながら、お兄さんの分を一個作ってあげた。具は何でも良いと言うのでたらこにした。たらこおにぎりを食べそうな感じがしたので。
私は自分の分のシーチキンおにぎりを作って口に含んだ。久々のジャンクな感じが溜まらなく美味しい。
おにぎりはジャンクフードではないけれど、コンビニのおにぎりはなんとなくジャンクフードっぽさがある。なんとなくだけど。海苔とお米に失礼かもしれないけど。
「なるほど……、こんな感じで食べるんですね。よくできていますね」
「……お兄さんはもしかして記憶喪失とかですか。それとも異世界から来た方ですか?」
口の中のお米を飲み込んでから、私は尋ねた。
興味深そうにじっくりとおにぎりをみつめていたお兄さんが私を見る。ぼさぼさの髪からのぞく瞳は少し垂れ目で睫毛が長い。もしかして、美形なのでは。
一瞬疑惑がよぎったけれど、見ず知らずのお兄さんの前髪を持ち上げる訳にはいかない。私は我慢することにした。
「僕は、神代暦。はじめまして」
「……私は、椎名月夜です」
「つきよ、さん。……月夜さん」
神代さんは、私の名前をゆっくりと繰り返した。
それはなんだか大切なものの名前を呼ぶような言い方で、私は妙に照れてしまった。
「月夜さんの期待に応えられなくて申し訳ないんですけど、僕は普通の人ですよ。買い物は家の者に任せることが多くて、慣れないというだけで。あなたがいてくれて、今日は助かりました」
「家の人というと、奥さんですか?」
「そのような人はいませんね。家の者というのは、なんといえばいいのか、使用人のようなものですね」
「使用人ですか……」
案外使用人がいるようなお金持ちの家は、帝都には沢山あるのかもしれないわね。
「神代さんも社長さんですか?」
「社長ではないですよ。僕は親のお金をつかって悠々自適に生活している自由人です」
「自由が一番ですよね」
「まぁ、そうですよね。月夜さんは、高校生ぐらいですか?」
「はい。あと数日で卒業したら、なんでもない人になります」
「なんでもない人」
「そうです。特に役割のない人です。……よく分からないんですけど、あまり家から出られないんですよ」
「病弱とか」
「とっても健康ですよ。ご飯も美味しいです」
私はおにぎりをもぐもぐ食べ終わって、お茶を飲んだ。
物足りなかったけれど、神代さんが居るのにそんなに大量に食べる訳にもいかない。一応私も弁えている。
「今日は久々に自由を満喫しています。家の人に見つかったら怒られるので、内緒でこっそりですね」
「月夜さん、家の人という方に閉じ込められてます?」
「そういうわけでもないんですけれど……、外は危険らしいので」
「帝都はおおむね平和ですけどね」
「そうですよねぇ」
どことなく茫洋とした印象の神代さんは、なんだかとても話しやすい。
神代さんはおにぎりを食べ終わると、ごみをビニール袋にひとまとめにして入れて、公園のごみ箱へと捨てた。
「ごちそうさまでした、月夜さん。お陰様ではじめてのおつかいが上手くいきました。……それで、もしよければ僕と逃げます?」
ベンチに座る私の前に立つと、神代さんは日常会話の延長のようにそう言った。
逃げる。
でも、どこに?
「……お兄様?」
まさかね、まさか。
そう思いながらも、私は思わず呟いていた。
神代さんは不思議そうな顔をしている。私は慌てて取り繕った。
「な、なんでもありません。……初対面の方と逃亡するのは、さすがに駄目です。心配してくれてありがとうございます」
「そうですよね。初対面の女子高生を連れて逃げたら犯罪者ですよね、僕。それじゃ、月夜さん。また縁がありましたら、どこかで」
神代さんはそう言うと、ひらりと手を振って公園から出ていった。
私はしばらくその背中を見送りながら、ぼんやりと公園のベンチに座っていた。
『ソフィーナ、王家の招待状なんて無視しなさい。何か言われるようなことがあったら、お兄様がソフィーナを連れて逃げてあげるから、大丈夫』
王家からのお妃選びの招待状を受け取った時、ノクスお兄様はとても心配そうにそう言っていた。
お兄様に迷惑はかけたくないと言って、私は参加することを選んだ。
『なるだけ目立たないようにね。ソフィーナ、必ず迎えに来る。もし城の中に連れて行かれそうになったら、何が何でも逃げるんだよ』
私を王城まで送ってくださったお兄様は、そう言っていた。
そんなことにはならないと私は笑って流していたけれど、本当に帰れなくなるだなんて考えていなかった。




