2
お昼ご飯にサーモンのパスタを食べて、夕飯にサーモンのムニエルとカルパッチョを食べた。
サーモンづくしの一日が終わり、私はお風呂に入った後自分の部屋でごろごろしながら天井を眺めていた。
輝夜さんは穏やかで優しい大人の男性って感じの人だ。一緒にいるとノクスお兄様を思い出すし、何だか懐かしい。
ノクスお兄様。
最後に目にしたのは、お兄様の手紙の文字だったわね。
私は目を伏せると、夢の続きを思い出す。
──クライス様に妃に選ばれてしまった私は、マヨルカ家に帰ることができなかった。
「クライス様、クライス様、誰かと勘違いしていませんか? 私じゃないソフィーナさんと、昔からのお知り合いとかですか?」
王城の中に連れて行かれて、豪華な部屋に通された私はクライス様に尋ねてみたけれど、「ソフィーナは君だ」という返事が返ってきただけだった。
クライス様は無口で無表情で、何を考えているのか分からない人だった。
私を妃にするというのに、愛の言葉ひとつもなかった。私は割とおしゃべりな方なのに、そんな私を黙らせるほどに会話が続かない。
「ソフィーナは私ですけど……。クライス様、一度兄に相談しても良いですか? 嫁ぐには準備がありますし、兄も心配していると思いますし」
「ノクス・マヨルカには私から手紙を送る。城門まで迎えに来ていたようだから事情を伝えて帰らせた」
なんでよ、と私は思った。
お兄様は私の唯一の家族なのに、会わせてくれないとか意味が分からない。
「私、お兄様に会いたいのですけど……」
「必要なものはこちらで準備する。マヨルカ侯爵家に帰る必要はない。婚姻の儀式は近々早々にすませる。ソフィーナ、君は私の妃だ」
「そんな……」
横暴だわ。
確かに私は妃選びに参加したけれど、それは王家からの命令だったからで、マヨルカ侯爵家としては無視できなかったんだもの。
お兄様は行かなくて良いと言っていたけれど、そういうわけにはいかないでしょ。十八歳で結婚してないいき遅れだったことは事実だし。
「ソフィーナ。お兄様が、ずっとソフィーナを養ってあげる」そうお兄様はよく言っていた。
婚約者もいなくて結婚の申し込みさえなくて悩んでいたこともあったけれど、お兄様が励ましてくれるからあまり気にしなくなった。
甘やかされていたんだと思う。
クライス様の求婚を断ることなんてできないのだし、それならせめて仲良くしていきたい。なんで選ばれたのかはさっぱり分からないけれど、夫婦になるのだからやっぱり愛は必要だと思うので。
家に帰れないのは悲しかったけれど、王家に嫁ぐというのはそんなものなのかもしれない。
クライス様の宣言通り、早々に婚姻の儀式が行われた。クライス様は無口で、それはもうびっくりするぐらい無口で、それでも夜は私を抱きしめて眠ったりするのでよく分からないながらもそれなりに幸せだった。ご飯も美味しいし。
ほんの、一ヶ月の間は幸せだった。
短い幸せだった。
エリス・シルフィード様が嫁いでくる前までは、お城から出られないながらも穏やかな日々を送っていた。
隣国のシルフィード皇国二の姫の、エリス様は十七歳。私よりも一つ年下のどことなくあどけなさの残る愛らしい方だった。
たくさんの従者とともに嫁がれて、あれよあれよという間にクライス様の正妃になった。
私は気付けば側室へと立場を変えていて、後宮には私の居場所は無くなっていた。
後宮にある正妃の部屋からぽいっと追い出された私は、エリス様の従者の方々によって後宮の一番端にある幽閉塔へと入れられた。それからは、ほんの少しの使用人に世話をして貰いながら、塔の窓から外を眺める日々を送った。
クライス様と共に歩くエリス様の楽しげな笑い声を聞きながら、日がな一日ぼんやりするしかやることのない生活。
なんでこんなことになったのかなぁとため息をついても、答えてくれる人は誰もいない。
マヨルカ侯爵家に帰りたいと思うのは当たり前よね。「帰りたいな」というのがいつしか口癖になっていて、使用人の誰かが私を可哀想に思ってクライス様に伝えてくれたのだと思う。幽閉塔生活二ヶ月目ぐらいで久々に私の元へ来たクライス様に「帰さない」と釘をさされた。
私はクライス様に忘れられていたわけじゃなくて、本気で幽閉されてたんだわと、その時初めて気づいた。
誘拐みたいにして結婚したあとずっと城に閉じ込められて挙げ句の果てに本当に監禁だもの。クライス様の気持ちなんてよく分からないけれど、執着も束縛もここまでくると私のことがそんなに嫌いなのかしらと思いたくもなってくるわよ。
もしくはノクスお兄様に恨みがあるとか、マヨルカ侯爵家に恨みがあるとかなのかしら。
この頃の私はクライス様があんまりにも無口なせいで、会話をするのを諦めていた。閉じ込められて腹が立っていたのもあって、子供みたいに拗ねていたのだわ。クライス様がきちんと理由を説明してくれるまで許さないと思っていたのよね。
お兄様からお手紙が来たのは、ご飯を美味しく食べることができなくなりはじめていた、それから更に一ヶ月経ってのことだった。
使用人の一人が届けてくれたそのお手紙には『ソフィーナ、城を抜け出して帰っておいで。三日後の満月の日、城の外まで迎えに行く。手紙を届けた使用人に協力してもらいなさい』と書いてあった。
お兄様は私の状況を知っていて心配してくれている。
一筋の希望が差し込んだ気がした。
エリス様は隣国の姫君だ。私よりも立場は上だし、クライス様と仲睦まじい様子なのが、塔の中まで聞こえてくる明るい声で分かる。
ここには私の居場所はない。お兄様に迷惑をかけてしまうのは申し訳ないけれど、私はやっぱりマヨルカ侯爵家へ帰りたい。
クライス様とは仲良くしようと思っていたけれど、今の状況じゃとても無理だ。エリス様と結婚するのに私が邪魔だったのだとしたら、誰かに下げ渡してくれたらよかったのに、「離さない」とか言うし。意味が分からないわ。
クライス様のことは好きになれそうって思ったこともあったけれど、今は嫌いだし。嫌いというか、虚無だし。エリス様と末長くお幸せにって心から思うので、私は逃げます。探さないでね。
そんなわけで、お手紙が届けられてから三日後の満月の夜。
私は使用人の方にいつもしまっている幽閉塔の扉の鍵を開けてもらい、外に出た。
後宮からは本来は直接外には出れないのだけれど、有事の際の外へ通じる隠し通路まで使用人の方が案内してくれた。私は夜着のまま、胸元にお兄様からの大切な手紙を入れていた。
ノクスお兄様に早く会いたい。酷い目にあったねと言って、抱きしめて欲しい。
城を覆うようにして作られている外壁の一部に触ると、それは扉のように開いた。そこから外に抜けると、鬱蒼とした森が広がっていた。
ナルジス王国は森の多い国だ。そんなに大きくない国土の半分が森林に覆われている。森では果物やキノコや野草、木材も鉱石も取れる。王国民は森を大切にしていて、もちろん私にも馴染み深い景色だった。
真っ直ぐに行けば王都に抜けられると、使用人の方が教えてくれた。
月明かりを頼りに、私は森の中を歩いた。
そうして──気付けば私は命を失っていた。どうしてなのかはよく覚えていない。腹の下が熱かったような気がする。血が流れ落ちていたような気もする。私が最後に見たのは、輝く満月と、目の前にひらひら揺れる手紙に書かれたお兄様の文字だった。
自分が死ぬ瞬間を思い出すというのは、奇妙なものだ。
月夜としての私は軽く身震いした。ソフィーナの記憶はそこで途切れている。だから多分、森の中で死んでしまったんだと思う。
私は柔らかいベッドの掛け布団を引っ張って体に巻きつけるようにすると、ぬくぬくと身を沈めた。
「輝夜さんは……、お兄様なのかしら」
小さな声で呟いてみた。
輝夜さんはお兄様に似ている。私にソフィーナの記憶があるように、もしかしたらお兄様の記憶を持った誰かがどこかで生きているかもしれない。
ノクスお兄様には、あれだけ大切にしてもらったのにきちんとお別れも言えなかった。
それだけが心残りだ。
私が死んでしまったことに、誰かが気付いたりしたのかしら。
深い森の中だから、発見もされなかったかもしれないわね。行方不明のまま、捨て置かれた可能性もある。
その後のことは分からないけれど、お兄様が幸せになっていると良いなとは思う。
愛人はたくさんいたお兄様だけれど、誰か良い方と知り合ってきちんと家庭を持ったのかしら。そうだと良いわね。──私のことを気に病まないと良いのだけれど。
もし輝夜さんがノクスお兄様のうまれかわりだとしたら、私は輝夜さんには幸せになってもらいたい。だから邪魔をしないようにしよう。輝夜さんは大人だし、恋人もいるかもしれないし。
私はできる限り自立して生きていこう。アルバイトは駄目だと言っていたけれど、ずっとお世話になるわけにもいかないし、居候するわけにもいかないし。
しばらくお世話になりながら、どうすれば良いのかを考えよう。
そう決意して、私は眠りに落ちた。すっかり思い出してしまったせいか、ソフィーナの時の夢は見ずにぐっすりと眠ることができた。
輝夜さんは宣言通り、翌日私を学校へと送ってくれた。
高校生活も後少しだけ。休んでしまったせいで、ほんの数日行けば卒業式になってしまう。
思い入れはあんまりないし友人もいないのだけれど、黒塗りの車で登校した私の姿を見た何人かのクラスメイトに「あれは椎名さんの恋人?」などと聞かれた。
なるほど、今の状況は年上の彼氏に送迎をさせる不良少女に見えるのかもしれない。
色々と面倒だったので「あれは、お兄さん」とだけ答えておいた。兄という言葉の力は強いもので、みんな納得してくれたようだった。
高校三年生の三月なんて皆進路が決まっているので、登校していない生徒も多い。授業はないので、午前中はホームルームと掃除をする程度だ。そうなってくると、輝夜さんに迷惑をかけるだけなので登校しなくても良いのでは、と思わなくもないけれど、学校に行かないとなると天牢院家から一切出られなそうなのも問題である。
そんなことを考えながら、学校の正面門を抜けると、黒塗りの車がすでに待っていた。
車に凭れるようにして、輝夜さんが立っている。
背の高くすらりとした体に高級そうなスーツを身に纏い、黒い髪は綺麗に整えられていて今日はぴしっとオールバックになっている。映画に出てくる俳優さんみたい。なんというか、物凄い目立つ。
「月夜、お帰り」
私の姿を見て、輝夜さんが微笑んだ。
お兄様に似ているような気がするのだけれど、なんとなくどこか違うような気もする。
私は違和感に内心首を傾げながら、輝夜さんの元へと小走りに近づいた。
ぴったり時間通のお迎え。
家に帰ると、外には出られない。
ちょっとだけ、息が詰まるような生活かもしれない。
「輝夜さん、ありがとうございます。忙しいのにごめんなさい」
「忙しくはないんだよ。だから、心配しなくて良い」
「あの、私この距離なら、自分でなんとかできると思うんです。電車とかもありますし」
「駄目だよ、月夜。危ないことは、させられない」
自転車にも乗れないし、電車にもバスにも乗れない生活って一体何なのかしら。
この息が詰まる感じ。
なんだか、既視感があるわ。
でも、まさかね。
輝夜さんは善意で私の面倒を見ていくれているので、文句を言ってはいけないわよね。
私は車の助手席に乗り込んだ。本当はコンビニに寄ったり、外をうろうろしたかったんだけれど、申し訳ないので言わなかった。




