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椎名月夜あらため天牢院月夜 1



 煌びやかなご令嬢の方々がクライス様の周りを取り囲んでいる。

 私の前にはサーモンや魚卵の載った小さなパイや、子羊の香草焼き、お魚のタルタルなどが並んでいて、給仕のお姉さん方が孫にお菓子をくれるお婆ちゃんみたいな眼差しで、「ソフィーナ様、これも美味しいですよ」と次々と食事を持ってきてくれる。

 私はにこにこしながら、目の前のご飯をもぐもぐしていた。

 王家主催の会食なんてはやく終わってくれないかしらとはじまった頃には思っていたけれど、給仕の方々は良い人たちだし、ご飯は美味しい。

 クライス様が王妃を決めるまでには全部のご飯を制覇できるかしら。コルセットがちょっときついけど、まだ食べられるわね。デザートもいっぱい残っているし。

 魚卵のパイ包みを口に含むと、中からじんわりと魚介のエキスが口いっぱいに広がる。塩味とまったりとした卵の味がさくさくのパイと絡まって、流石は王家の料理人の作ったご飯だわと、私は目を閉じて口の中の余韻とともに至福の時を味わった。


「ソフィーナ・マヨルカ侯爵令嬢。私の妃になって欲しい」


 声がかけられたのはそんなときだった。

 他の御令嬢の方々がざわついている。

 私は口の中に残っている魚卵のパイ包みをもぐもぐしながら目を開いた。

 目の前にクライス様が立っている。

 さらさらした白金の長い髪を首元で一つに縛っていて、いかにも王子様風の白い服に、ナルジス王国の深い森を連想させる濃い緑色のマントを身に纏っている。薄緑の瞳はどちらかというと切長で、薄い唇は微笑むことを知らないようで、感情が読めない。

 綺麗な方だけど怖そうだなぁと、一目見た時から思っていた。

 だからなるだけ目立たないように、ご挨拶もせずに会場の端っこでご飯を食べていたのに。

 なんで、私?

 クライス様は誰かと私を間違えているのではないかしら。

 私たちを中心に、円形に皆が下がって成り行きを見守っている。

 私はごはんをごっくんと飲み込むと、とりあえず水を飲んだ。

 パイに口の中の唾液を全部奪われてしまったからだ。


「ソフィーナは私ですけど。あ、マヨルカも私ですけど。ソフィーナ・マヨルカは私以外にももう一人います?」


 名前を呼ばれてしまったので、もしかしたらソフィーナさんは私以外にももう一人いるのかも。

 一応確認してみる。

 クライス様は私の質問に返事をしないまま、お集まりの皆様に向き直った。


「クライス・ナルジスは、こちらの女性、ソフィーナ・マヨルカを妃とする。皆、今日はご苦労だった。それぞれ気をつけて帰ってくれ」


 そっか、帰って良いのね。

 私じゃないソフィーナさんが選ばれたから、会食は終わりだ。

 私は優しかった給仕の方々に立ち上がってお辞儀をした。給仕の方々は滅相もないというような仕草で、私よりも深くお辞儀を返してくれた。

 王都の宿でお兄様が待っているわ。心配しているだろうから、早く帰ってあげなきゃ。


「ソフィーナ。……私と共に来い」


 さあ、帰ろう帰ろうと、歩き出そうとした私の手をクライス様がとった。

 ──そして私はお城に誘拐、監禁されることとなったのである。


 いつの間にか、うとうとしていた。

 輝夜さんが、荷物を運んだり片付けをしたりは業者に頼むという。

 私は部屋着からクリーム色のワンピースに着替えてタイツを履いて、紺色のパーカーを羽織ると、お財布と携帯を鞄に入れて家を出た。

 お財布の中には五百円しか入っていない。携帯の連絡先はすっからかんで、携帯を携帯する意味があんまりないぐらいだけれど、無いよりは安心感がある。

 アパートの外には、黒塗りのいかにもな高級車が止まっていた。私は助手席に乗って、輝夜さんは運転席に座った。車内にはクラシック音楽が流れている。

 お金持ちの美形はクラシック音楽を聴く。イメージ通りだわ。

 そんなことを考えながら車に揺られていると、ここ数日間ずっと気を張っていたせいか眠くなってしまった。

 久々にソフィーナだった頃の夢を見た。今の状況が、あの時と似ているからかもしれない、

 輝夜さんは、クライス様というよりもノクスお兄様に雰囲気が似ているのだけれど。

 お兄様には、結局会えないままだった。強引にお城に連れて行かれた私は、それからお城から出ることができなかったからだ。


「よく眠っていたね。ちょうど良く目覚めてくれて良かった。天牢院家についたよ」


 輝夜さんが労るような声で言う。

 私は座り心地の良い皮張りの椅子の上で軽く伸びをした。車内時計は正午を示している。私のアパートからだいたい一時間ぐらい。寝ていたせいで、ここがどのあたりなのかは分からないけれど、帝都のどこかには間違いないだろう。

 大きな門を越えて広大な敷地の中に、洋館が立っている。ヨーロッパのお家みたいな煉瓦造りの洋館で、マヨルカ侯爵家を思い出した。


「輝夜さんは、貴族ですか?」


「帝都の貴族制度は一昔前になくなったんじゃないかな。華族だか、貴族だか、そんな名前になったんだっけ。詳しくなくてごめんね。天牢院家は貴族じゃないよ、資産家ではあるけど……、主な仕事は貿易と、それから不動産と、いくつかの会社経営」


「じゃあ輝夜さんは社長ですか?」


「まぁ、早い話がそうだよ。親の七光。たまたま金持ちの家に産まれただけだし、そもそも俺は天牢院家の正式な血筋を継いでいないんだけどね」


「血筋って血液のことですよね。血液には感情とかないと思うので、気にしなくて良いんじゃないかなって思いますよ」


 輝夜さんの話が本当なら、一応天牢院家の正式な跡取りとやらは、不倫の果ての逃避行をした私の亡くなったお父さんで、その子供の私ということになる。

 でも別に私の血が跡取りですって主張してるわけでもないし、社長さんとして立派に頑張ってるのは輝夜さんだし、私はたまたまおこぼれに与れる存在になってしまったというだけでかえって申し訳ないぐらいだ。

 家のすぐ正面で車は止まった。輝夜さんが助手席の扉を開けてくれて、私の手を取って降ろしてくれる。金持ちの美形はエスコートも完璧。ソフィーナだったころはこうして手を引かれてエスコートしてもらうのは普通のことだったのだけれど、月夜としている現在ではそんなことはあり得ないと思っていた。

 だって滅多に王子様なんていないのだし。

 私はなんだかごく自然にその手を取ってしまった。記憶にあるせいで、手を差し出されても違和感をあまり感じなかったせいだ。

 輝夜さんみたいな美形にエスコートしてもらうとか、中の中ぐらいの普通の容姿の私がしてもらうのはなんかもう本当に申し訳ないのだけれど。


「今までの家よりは学校は遠くなってしまうから、迎えは俺がするね。勿論、月夜が嫌じゃなければだけど」


 館に向かって歩きながら、輝夜さんが言う。

 お屋敷の扉を開くと、メイド達がずらっと並んでいる――なんてことはなくて、普通に誰もいなかった。

 「お帰りなさいませ旦那様」と一斉に出迎えられるのかと思っていたのに、それは勘違いだったみたいだ。扉の隙間から覗く系の家政婦さんが、ぱたぱたと奥からやってきて室内履きを出してくれた。

 外国とちがってここは靴を履き替えるのね。良かった。靴のまま過ごすのは現代帝都人としては居心地が悪くて、スリッパとか素足の気持ち良さを知ってしまうとソフィーナだったころの、ハイヒール生活はちょっと辛いものがあるなと思っていたのよね。


「輝夜さんには仕事があるでしょう? 学校まではなんとか行きます。自転車とかで」


「そんな危ないことはさせられない」


 輝夜さんが首を振るので、私は吃驚した。

 自転車に乗って褒められることはあっても、危ないと言われたのははじめてだった。


「自転車が危ないとしたら、じゃあ私は何に乗れば良いんですか……、走りましょうか。走るのは得意なので」


「素直に送らせてくれないか。会社経営っていうのは案外時間の自由が利くんだよ。問題さえ起こらなければ、の話だけれど。一か月の送迎ぐらいはできるし、あと数日もすれば卒業式だった筈だよ。学校に行く日ももうあまりないだろう?」


「そうですけど……」


「行きたくないなら、休んでも構わないけれど」


「私はアルバイトなんかはしても良いんですか?」


「俺の秘書で良ければ、働いてくれると嬉しい」


 輝夜さんは私は自由だって言ったけれど、案外そうでもないのかもしれない。

 天牢院家は明らかに物凄いお金持ちだし、私にその血が流れているんだとしたら、輝夜さんの言うようにひらひら外を出歩いたら危ないといえば危ないのだろうし。

 なんだか、ずっしりと体が重たい。椎名月夜として普通に産まれてこれたのに、ソフィーナだったころに戻ってしまったような気がした。


 輝夜さんは私の部屋へと私を案内してくれた。

 広いけれどひとの気配の少ない屋敷だ。家政婦の方とは何回かすれ違った。みんな物陰から静かに私たちを見ていた。総じておばちゃんだった。輝夜さんは「おぼっちゃま」とか言われているのだろうか。

 私の部屋は二階にあって、お姫様みたいな大きなベッドと、勉強机と、広いクローゼットが備え付けてあった。


「洋服とか、荷物はあとでとどくよ。全部は無理かもしれないけれど。どうしてもいるものとかは、あるかな」


「特にはないですね。洋服があれば生きていけます」


「そう。今日からここは月夜の家だから、自由にして。外に出る時は、一応教えて。もしも、ということがあるから」


「分かりました」


 やたらと輝夜さんは私の身の安全を気にした。

 心配性なのかもしれない。


「食事の準備ができているみたいだけど、食べる?」


「はい!」


 元気な声で返事をする私を見て、輝夜さんは嬉しそうな表情を浮かべた。

 

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