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私は天牢院さんの提案をお断りしようと思った。
私はもう十八歳。ごはんを沢山食べさせてくれる心優しい店長さんにお世話になりながら、食堂の店員なんかをしつつそこそこに暮らしていく予定なのだ。
今更保護者とかいらないですし。天牢院さんは美形だし。美形の傍に行くとろくなことが起こらないですし。
「積年の恨み……?」ともう一度繰り返している天牢院さんを、私は真直ぐに見上げた。
「あのですね、お話を聞きますに、私と天牢院さんはなんやかんや他人です。なので、このお話は無かったことに」
「……それがね、月夜」
とうとう呼び捨てになった。
天牢院さんこの短時間で距離を詰めすぎじゃありません? ちょっと強引じゃありません?
美形っていうのは自分が嫌われるかもしれないとか微塵も思っていないに違いないわ。俺に呼び捨てにされて喜ばない女はいないとか思ってるんでしょ絶対。なんなの。どっかの帝なの。あの顎が長い。
天牢院さんは顎が長くないけども。どこからどう見ても百人中百人が美形だわって言うに違いないしゅっとした美形です。どうもありがとうございます。
確かに別に私も嫌とかじゃないんですけどね……!
悔しいかな、嫌じゃないんですよ。クライス様のせいでちょっとしたトラウマがあるだけで、美形が憎いとか見るのも嫌だとかそんなことじゃないのよぅ。
天牢院さんクライス様と違って優しそうな美形だし。クライス様は感情が顔から抜け落ちたような氷のような美形だったもの。私今頭の中で何回美形って言った? 美形って単語がゲシュタルト崩壊してないですか、大丈夫?
「……ここからがややこしいんだけど」
「や、ややこしいのですか……?」
私は頭を抱えそうになった。
ややこしいのは苦手なのよ。これ以上ややこしくさせるのはやめて欲しい。
既に私は亡くなった両親と天牢院家の関係を整理するだけでいっぱいいっぱいなんだから。
「もしよければ、図でも書いた方が良いかな?」
「そこまでしていただくのは申し訳ないので、頑張ります」
「そう? じゃあ頑張って貰うということで。……天牢院家の正式な跡取りは君の父だったんだけれど、いなくなってしまったから、仕方なく残された母が継いだ。資産家ではあるけれど、血族に乏しい家でね。……天牢院の母はね、君の父に未練があったみたいで、離婚届を受諾しなかったんだよ。まぁ、数年別居生活してれば婚姻届けなんて意味がなくなるらしいんだけど。それで、俺の父との間の子を産んで、未婚の母として俺を育てたんだ。両親の恋愛事情なんてあんまり話したいことでもないんだけど。……ちなみに、二人とも数年前に交通事故で亡くなったから、今は天牢院家は俺が継いでいる。だから、積年の恨みはないから安心して欲しい」
「……そ、そうですか」
天牢院さんのご両親は数年前に交通事故で亡くなった。
私に理解できたのはこの一文である。
待って、月夜。考えるのよ。よく考えるの。つまり、……どういうこと?
「……全部理解しなくても大丈夫だよ。つまり、戸籍上では君は天牢院家の正式な長女、ということなんだよ。母親は違うんだけど、父親の戸籍は消えてない。天牢院のまま亡くなってるんだ。君のお母さんとは、正式に結婚はしていなかったようだね。椎名は、君の母親の姓だろう」
「え? そうなんですか?」
知らなかったわ。お母さん何にも言ってなかったもの。今の天牢院さんの話が本当だとして、だけれど。
でも私を騙す理由とかないだろうし。騙す理由があるとしたら、やっぱり積年の恨みを晴らすためだろうし。天牢院さんは積年の恨みを晴らしてやろうって顔はしていないけど。
分からないわ。心の底から人を恨んでいる人程にこにこしているものなのよきっと。実は心の中では、私を騙して連れ去って、蟹工船に乗せてやろうって思ってるかもしれないし。
どうしよう。蟹工船に乗せられたら、一日目で海に落ちる自信があるわ。
でも、月夜。よく考えてみて。蟹工船に乗ったら頑張ったら蟹食べ放題かもしれないじゃない。沢山獲れたら蟹を食べさせてもらえるかも。蟹は剥くのが面倒だからあんまり好きじゃないのよ。私は海老派。
海老よりも、サーモンが良いわね。回転ずしのやつ。百円の。
「天牢院さん、私を蟹工船に乗せるつもりですか……!」
「蟹工船に……?」
念のために尋ねてみる。
やっぱり疑問に思ったことは聞いてみるのが一番手っ取り早いので。
ぐちぐち悩むのは苦手なのよ。どろどろ不倫ドラマなんてほんと、ドラマの中で十分なので。思ったことをちゃんと口に出さないからどろどろ不倫になっちゃうのよ。やっぱり人生単純が一番。
疑問は尋ねる。これに限るわ。
天牢院さんは再び訝し気な顔をした。
「どうして今蟹工船の話に……? 月夜は、蟹が食べたいの?」
「私は蟹よりも海老派です。海老よりもサーモンが良いです」
「じゃあ、天牢院家に来るお祝いに、サーモンを沢山用意しようか」
「やった!」
やった! じゃないわよ私!
何喜んでるよの。サーモンが食べたい欲求がそのまま口から出てしまったじゃない。
天牢院さんはにこにこしている。孫を見つめるおじいちゃんの視線だわ。優しい。とても優しい。
「……間違えました。……ええと、つまり、どういうことなんです?」
これっぽっちも理解していないまま、私は結論を求めた。
物事は結論だけ聞けば良いのよ。結論だけ聞けば大体のことは理解できるのだわ。
クライス様は過程も結論も言わない人だったからこれっぽっちも分かり合えなかったし、私もクライス様があんまりにも会話してくれないから、途中からまぁいいやって思って会話を諦めちゃったんだけど、それがいけなかったのよきっと。
今回の私はその反省を生かして生きていくのよ。天牢院さんは会話してくれる系の美形だから、良かったわ。
「つまりね、君の本名は天牢院月夜。血は繋がっていないけれど、俺の妹なんだよ」
天牢院さんは孫を見つめるおじいちゃんみたいな視線を私に向けたまま、とても分かりやすい説明をしてくれた。
「はぁ」
気のない返事が漏れた。
ううん。分からないわ。この国の戸籍制度とかいうものには私は疎いし、市役所とか滅多に行ったことがないし。
天牢院さんがそう言うからにはそうなのかもしれないけれど、じゃあ私はどうしたら良いのかしら。
「そんなわけで、俺には君を養う義務があるんだ。幸い天牢院家は薄々気づいているとは思うけれど、資産家だし、金は有り余ってるからね。だから心配しなくて良い」
「……天牢院さん。お気持ちは嬉しいんですけれど、……急に言われましてもですね」
「月夜。天牢院家はそれはそれはお金持ちでね。もし君と天牢院家の関係をどこかの誰か、悪い奴に知られたらもしかしたら誘拐される可能性だってある。だから、俺の庇護下で守らせてもらう必要があるんだ。悪いんだけれど、拒否権は無いよ」
「えぇ……」
今度は不満気な返事が漏れた。
普通の容姿に産まれた私は、中の中ぐらいの幸せを手にして普通に生きていくことができる筈だったのに。
なにそのどろどろ不倫恋愛の末の資産家の娘設定。このままいったらお嬢様学校に無理やり突っ込まれて、いじめられたりするんじゃないの? 四人ぐらい学園の中心的イケメンが居る学園に、もうあと高校三年生も一か月しか残っていないのに、無理やり突っ込まれるのでは?
なんて微妙な。
「不自由はさせないし、君を束縛したりしない。サーモンも沢山準備するし、大学にも行けるように手配するよ」
「それはいけません。それは、甘やかしていると言うものです。……百歩譲って天牢院家にお邪魔させて貰うとしたら、ちゃんと労働させてください。働かざる者食うべからずとはよく言ったもので、ただ飯は美味しいですが、自分のお小遣いで買ったコンビニのおにぎりも美味しいのです。だから、ええと、家政婦とか、しますね」
「家政婦……、家政婦は沢山いるから、間に合っているんだけれど……」
天牢院さんは困り果てたように眉根を寄せる。
驚いたり困ったり素直に顔に出るあたり、良い人そうだわ。美形だけど。
「それは、まさかメイドですか?」
「メイドというか、家政婦だよ。お年を召した……」
「あぁ、ドアの隙間からお屋敷の内情を見つめるタイプの家政婦なのですね……」
天牢院さんに私の気持ちが通じたらしく、はじめて嬉しそうに微笑みながら「そうそう」と相槌を打ってくれた。
何だか、懐かしい気がした。
私のお兄様も、よく私と辛抱強く会話をしてくれて、気持ちが通じた時は嬉しそうに笑っていたものだわ。
「そうだね、ソフィーナ。俺にもやっと、ソフィーナの言っている意味が分かったよ」とにこにこするノクス・マヨルカお兄様。女好きだけど優しかったわ。中々話が噛み合わなかったので、理解し合うまでにはかなりの時間がかかったのだけれど。主に私のせいで。
「そのドアの隙間から見つめるタイプの家政婦は、生活に支障がないぐらいには雇っているから、月夜は家政婦をしなくても大丈夫だよ」
「じゃあ私は何をしたら良いのですか!」
「そ、そんなに絶望的な雰囲気を出さなくても……、とりあえず、ちゃんと高校に通って、卒業しようか」
「……そんなことで良いのですか……」
「そんなことが大切なんだよ。月夜はまだ高校生だからね。……どうしても働きたいというのなら、俺の秘書でもしてみる? 書類の整理とか、資料の買い出しとか、文章の打ち込みとか手伝ってくれると助かる」
天牢院さんが気を使ってくれている。
なんだか私、我儘を言っている子供みたいじゃないかしら。長い物には巻かれろというし、天牢院さんはきっと長いだろうから、私は巻かれるべきかもしれないわ。
世の中には美形でも良い人もいるわよね。ノクスお兄様も美形だけど女好きなところ以外は良い人だったもの。
天牢院さんは――お兄様に似てる。
「分かりました。……ええと、天牢院さん」
「月夜も、これから天牢院月夜になるから。俺の事は輝夜と呼んで欲しいな」
「輝夜さん。……これから、よろしくお願いします」
こうして私は、いつでも新鮮なサーモンが食べ放題の金持ちになったのである。




