現代に転生した元王妃 1
生まれ変わる前の記憶が、突然思い出されることがある。
幼い子供が全く知らないはずの記憶について話すようなことが海外ではあると、再現映像を使って説明している番組を眺めながら、私は卵を一つだけ入れたうどんを食べている。
喪服代わりの制服を着替える気にならず、お葬式がすんでそのままの格好でうどんを茹でた。
唯一の肉親の母が亡くなったと言うのに、お腹はすくのだから妙なものだと思う。
椎名月夜、十八歳。高校三年生。
それが今の私。
私にも過去の記憶がある。誰にも話したことはないし、話すつもりもないし、話したところで馬鹿馬鹿しいと笑われるだけだとは思うけれど、前世の記憶としかいえないものが、あまりにも鮮明に意識の奥底に残っている。
ここではない、どこかの記憶。
薄っぺらいテレビも、携帯も、IHクッキングヒーターも、ボタンを押すだけで湧くお風呂も、ドラム式洗濯機も無い世界。あるのは、中世ヨーロッパのようなお城とか、腰を拷問ぐらいに締めるコルセットとか、だだっぴろい舞踏会用のホールとか。生活の役に立たないものが沢山ある、そんな世界。
大国ではないけれど、小国でもない。そこそこに大きな国のそれなりに権力のある、マヨルカ侯爵家の長女ソフィーナ・マヨルカとしての記憶が私の中には残っている。
今の私は黒髪を背中まで伸ばして、一つに縛っている地味な見た目の女子高生だけれど、ソフィーナだった私は豪華なストレートの銀髪に緋色の瞳。海外の俳優にもなかなか居ないぐらいの、ちょっとどころじゃない美少女だった。
今でも鏡を見て前世の私と今の私の見た目の違いに戸惑うぐらいに、輝くようなけれど少し影のある美少女。ソフィーナ・マヨルカが王太子殿下の妃に選ばれたのは十八歳。今の私と同じ歳だ。
この世界には無いけれど私の記憶にはあるどこかの国。ナルジス王国のクライス王太子殿下がなぜ私を選んだのか、いまだによく分からない。
クライス様は私よりも年上で、私が十八歳の時は確か二十一歳だっただろうか。
今の私の世界では考えられないけれど、ナルジス王国は医療が発展していなかったのだろう。寿命の平均は五十歳。王が病に倒れクライス様が即位するにあたり、年頃の貴族令嬢がお城に集められた。
私の他にも何人も、煌びやかな令嬢の皆様がクライス様の前に並んでいた。
挨拶の後立食パーティーのようなものがもうけられた。所謂、ご歓談というやつだ。
私はなるだけ目立たないように端にいた。
お兄様の言いつけだった。王妃なんてなるものではないと何回も諭されていたし、目立たないようにしなさいという言いつけを守っていたのである。
マヨルカ侯爵家はお兄様が跡を継いでいた。ノクス・マヨルカは私のたった一人の兄妹だった。
お兄様は優秀だけれど女癖が悪い方で、二十五歳にもなって妻を娶らず、愛人ばかり作っていた。
それでも私には優しかったので、私はお兄様を信頼していた。
だからクライス様がどれほど素敵でも、近づいてはいけないと肝に銘じていた。
初めてお会いしたクライス様は、白金の髪に薄緑の瞳をしたやや冷たい印象の美しい方で、沢山の令嬢たちが周りを囲んでいた。
きっとその中から王妃が選ばれる。選定が終われば、マヨルカ侯爵家に帰れる。お兄様は心配して王都の宿に泊まっていた。時間になればすぐに迎えに来てくれる。
領地に帰って、マヨルカ領特産のサーモンを早く食べたい。サーモンと魚卵と玉葱を混ぜたものを硬いパンに載せたものを貪りたい。そればかりを考えていた。
銀髪に白い肌の儚い見た目の私であったけれど、食べることがやたらと好きだった。どれだけ食べても太らない体質だった。
その体質は椎名月夜になった今でも受け継いでいる。とても良いところを受け継いだと思う。ありがとう、ソフィーナだった私。
ともかくソフィーナ・マヨルカは、つまり私は、儚げな美少女という風貌でありながら、その内面は全く儚げなどではなく基本的に食べることばかりを考えていた。
だからその時もなるだけ目立たないようにしながら、お城の料理人が作った豪華な料理をこっそりと食べ続けていた。
暇だったし、美味しかったからだ。
こってりしたクリームが載ったカップケーキとか、薄く切られたお肉の載ったパンとか、宝石みたいな野菜と魚とパイのピンチョスとか、どれもこれも美味しくて、気付かれないようにお皿に補充してはこそこそ食べていた。
ドレスを着るためのコルセットのせいでいつもよりは食が進まなかったけれど、でも他の方々よりは余程もぐもぐしていた私。
王子様を囲うご令嬢たちと、ひたすら食べる私。
気づけば私の食べっぷりを快く思ったのか、給仕の方々が私にどんどんおすすめの食べ物を運んできてくれていた。
美味しいものを無料で食べて帰れるのだから、王妃選定なんて面倒だと思っていたけれど、そう悪くはないかもしれない。
――クライス様から話しかけられたのは、さあ帰ろうと思っていた矢先のことだった。
椎名月夜、つまり今の私がソフィーナだったことを思い出したのは、今よりももっと幼い時。
あれは何歳の頃だったのだろう。
数日前に亡くなった母がまだ元気だった頃、鏡の前で髪を梳いて貰っていた時に不意に思い出したような気がする。
思い出したと言うか、気付いたと言うか。
走馬灯のように駆け巡った前世の記憶に、私ははっきりと自分がソフィーナであったことを自覚した。
少しだけ混乱したけれど、まだ自我が曖昧だった年齢だったからか、案外容易に私はその事実を受け入れた。
ソフィーナとしての私はあまり幸せではなかったから、椎名月夜は幸せになろう。
具体的には、王子様とは結婚しない。
それに尽きる。
幼いながらに決意を固めた私。
今の私の世界では、王子様なんてご近所に存在しないことに気づいて安堵したのはもう少し大きくなってからだった。




