第八話 青春の一幕
光一は死にかけていた。
今はゲルグからは今にも死にかけるような手合わせをされ、その前はクリストフから圧倒的な知識量を詰め込まれている。
休憩時間合わせて、合計五時間程このようなことを繰り返していた。
ゲルグと手合わせをしている最中、日本時間で夜の十時を知らせるベルが鳴る。
この世界の地上では夜が来ることが無いので、こういった時計の存在は必須と言えた。
「おっと、もうこんな時間か。親父さんの夕飯作らなきゃなんだっけか?」
「……はい、そうです」
ゲルグの問いかけに、息も絶え絶えと言った様子で返答する光一。
「んじゃ、休憩な。再開は日本時間で夜の十二時な」
「……はい、わかりました。師匠」
そういうと、光一は空に落ちて行くように飛んでいった。
実際、自分の星に引っ張られているので、この表現は正しいと言える。
この世界に来る人々は、こうして世界を行き来しているのだ。
「ゲルグ、提案なんだが、今日はもう休みでいいんじゃないか? もう夜も遅い。詰め込み過ぎも体に毒だ」
クリストフが教材を抱えながら、ゲルグの元へ歩み寄ってくる。その後ろからは、
「そうは言うがね旦那、忍者の訓練ってのはスパルタなのよ。これでも甘く見てる方なんだぜ?」
「しかし、眠る際に意識体でこちらに来れば、日常生活に支障はないとはいえ、このまま朝までぶっ通し訓練を行うというのは、些か効率に欠ける。せめて休憩時間を増やすべきだ。だいたい、君の訓練方法は厳しいだけで、技の教え方などもっと効率よくできるはずではないのか? 精神を鍛えているのではなく、痛めつけているようにしか見えない。今のままでは、魂技どころか身体能力の向上さえできないのではないか?」
クリストフは至極真っ当な意見を述べるが、ゲルグは遠い目をして呟いた。
「……太田家の忍びの訓練方法ってさ、無いのよ」
「え」
唐突なカミングアウトに、素っ頓狂な声を出すクリストフ。
「正確には、見て盗めがモットー。だって、やってる本人、どう教えりゃいいのかわかってねえんだもん。……俺の代で、ようやく杜撰なマニュアルができるレベル」
「お、おおう……」
遠い目をしながら語るゲルグに、クリストフは言葉が出なかった。
だが追撃と言わんばかりに、縁側でくつろぐ景久がゲルグの愚痴に同調する。
「佐々木家もそんな感じでござる。というか、日本の古くから貢献しているクルセイダーの一族は、皆そんな感じでござるよ」
「ず、杜撰過ぎないか!? それでよくやってこれたな!?」
二人が語る衝撃の事実に、驚きを隠せないクリストフ。
そんな日本名家を背負う二人は、負のオーラを出しながら語りだす。
「日本人、根性論で生きてるからな……。根性は最後の切り札だって、わかってねえよアイツら。弟子には必ず叩きこむことにしてるわ俺。もうちょっと余裕とか、先の事考えて欲しいわ。2020年とかどうなったよ」
「返す言葉も無く、耳が痛いでござる……。日本人は努力とか仕事とか、時間かけてやればいいと思ってる節があるでござるし、いやもちろんそれも大事なんでござるが、休憩や遊びを悪と思っていると言った方があっているというか……」
「あー、あるある。うちの社員も、集まるのは早い癖に、終わる時間守らねえんだもん」
「うわぁ、今の時代もそういう会社あるんでござるか? 漫画の中の話かとばかり……」
「上司やってる高年齢層がさ、もうそういう思考でごりごりに固まっちまってるから、本当俺が改革するまで会社黒いったりゃありゃしなくて……」
「うちの父上もそんな感じで、困っているでござる……」
二人は笑い、自虐しながら、クリストフにも見える程の黒いオーラをまき散らして、あまつさえそのまま浮かびだした。
「これ以上は止せ! オルター・エゴを作って、ラビリンスに捕らわれたいのか!?」
その言葉でハっと意識を取り戻すと、景久とゲルグは再び足を地面に付けた。
「おっと、悪い悪い。ただの愚痴になってたぜ。サンキューな旦那」
「いや、最初からただの愚痴だったのでは……?」
「返す言葉も無いでござるな!」
あっけらからんとする二人だったが、日本の闇を聞いてしまったクリストフは、二人の精神は大丈夫だろうかと、気が気ではなかった。
「で、光一殿はどうでござる? 忍びとか聖剣とか、拙者さっぱりでござって……」
「「…………」」
景久に問いかけられたゲルグとクリストフは、神妙な顔つきで黙り込んでしまう。
「え? そんな悪いレベルでござるか?」
黙り込んでしまう二人に、景久は目を見張った。
彼が見る限り、光一は言われていたことはやっていたし、これらを毎日続けて行けば成長していくと思えた。
それだというのに、二人がこんな反応をするなど、景久には信じられなかったのだ。
「いや、真面目に授業は受けているし、指摘したところも素直に直す、いい生徒ではあるんだが……」
「ぶっちゃけ、あってない」
クリストフが言いよどんでいるところに、ゲルグがはっきりと言った。
「……アイツ、俺が教えた忍法は使えるし、卑怯な戦法だって教えりゃできるんだが……最終的に真っ向勝負に持ち込んじまうんだよなあ」
「……正直に言ってしまえば、聖剣の力を引き出せていない。これなら他の装飾品に『魂の写し鑑』を嵌め込んでしまっても大差ないだろう」
ゲルグとクリストフがどうしたものかと悩んでいると、景久の隣に真希奈がお茶と茶菓子を持ってやってきた。
ちなみに、その量はどう見ても一人分である。
「要するに、忍者としても、聖剣使いとしても中途半端だと」
真希奈はズバリ言いいながら、その茶菓子を自分の口に放り込んだ。
人の家の物を勝手に食べるとか、図々しいなコイツ。と景久は思いながらも、それを言葉にすることは無かった。
「そもそも、その二つが致命的に相性が悪い。真っ向勝負の聖剣使いとしての素質と、忍者のなんでもありの卑劣な戦法。うまくかみ合わない。何か噛み合う方法はないものか……」
クリストフはそう言いながら、真希奈の持ってきたお茶を飲む。
うわ、こいつ図々しい! と真希奈は思ったが、自分は懐の広い女だからと言葉を呑む。
そんな真希奈を見て、景久は清々しい気持ちになった。
「まあ、光一殿って真面目人間でござるからなー! 聖剣使いの素質はともかく、忍者の素質があるのが拙者には謎でござる」
「ねえ、なんか嬉しそうじゃない? どういうこと?」
真希奈の言葉に、そんなことないでござるよー。と景久は首を横に振る。
今の自分の心情を、真希奈に言えるはずもなかった。
「忍者が不真面目って言いたいのお前ら?」
不満げに声を漏らすゲルグに、景久はまたしても首を横に振る。
「いや、卑怯な真似事はしないってことでござる。犯罪者見つけたら、車に張り付くような真人間でござるよ」
「いやそれ間人間じゃねーよ。俺達基準で考えてやるな」
景久の例えに目を細めるゲルグ。気まずくなって、景久は目を逸らした。
「だが、『魂の写し鑑』が映し出す姿は、間違いなく彼に適性がある。ましてや、聖剣に嵌めこんでいるのだ。光一は間違いなく忍者の素質と、聖剣に選ばれる素質を持っている。これをどう矛盾なく説明できる?」
クリストフの問いに、答えられる者はいなかった。
その静寂を切り裂くように、真希奈が口を開く。
「……ともかく! まともに自衛できるぐらいには鍛え上げないと。あの子、エクスを追い返せたせいで名前が売れちゃったし……」
終焉のカリスマと呼ばれたエクスが、聖剣アクシスカリバーの使い手に敗れたのは、たちまち知れ渡った。
今までエクスを負かしたと言われた者は存在せず、それを打破した聖剣使いの忍の噂が流れることは火を見るより明らかである。
ゆえに、おかしな思想を持つ物が、光一を狙うのは想像に難くない。
「『聖剣使いの忍』ってワードが独り歩きしてるだけマシだ。名前が忍だと思われてるしな」
ゲルグの言葉に、渋い顔付で頷く真希奈。
「不幸中の幸いってやつだよね。まあ、聖剣と忍者って、本当共通点皆無だしね……」
「共通項、なんでござろうなぁ……」
誰も答えられない問いを、再び景久が呟いた。
◇
私のスタートダッシュは、見事に失敗した。
皆から期待されていた。選ばれた人間なのだからと。
けれど、一度失敗し、躓いてしまえばどうだ?
周りからは嘲笑が響き渡り、教師からは残念な物を見る目をされる。
私は完璧でなくてはならない。
どれだけ疲れても、どれだけ苦しくても、周りから最高だと評価され続けなくてはならない。
今まで通りにできるだろうか。
いや、できるはずだ。今までに出来たのならば、これからできてもおかしくはない。
知識を叩きこめ。あらゆる法則を読み解け。
それが理解できないものだとしても、私は完璧でなくてはならないのだから。
◇
学校の鐘がなる。昼休みを知らせる鐘である。
光一は家で作った弁当を取り出し、黙々と食べ始めた。
「よっ、光一殿!」
さも当然の様に、光一の机に自分の弁当を載せて、前の椅子を拝借し座ってくる景久。
光一は眉を潜め、中に入っている食べ物が見えぬよう、口を手で隠しながら話し始める。
「……正直、俺は困惑している」
「拙者の正体にでござるか?」
「ああ」
景久の言葉に、食べ物を喉に通して頷く光一。
「一応、秘密でござるからな。運命を管理する世界なんて、バカ共が大騒ぎして秩序が崩れ落ちるのが関の山でござる。それを信じるにしても、信じないにしても」
景久の言っていることは正論である。
異世界の存在を吹聴しても、実際に見て触れなければ信じることはない。
光一も自分がそういった人間の一人だという事は、何となく理解しているつもりでいた。
だからギルディオンは自分を直接異世界に連れ込んだという事も。
そして、そんな世間の常識がひっくり返り、混乱に陥ってしまうような理由も彼也なりに察していた。
光一には運命を管理する、という意味をまだ詳しくわかってはいない。
だが、あの世界にも食料はあり、土地があり、技術があり、資源がある事は見て分かった。
そんなものがあると世間が知れば、それを欲しがる人間が戦争を起こしてもおかしくはない。
ゆえに、景久が光一に対し、秘密にしてきたことも当然だろうという事は理解していた。
そのはずなのだが、光一の顔付きは険しかった。
「……もしかして、怒ってる?」
「困惑しているだけだと言ったはずだ」
水筒から温かいお茶を蓋のコップに注ぎ、光一は一気に飲み干した。
そうやって、自分なりに冷静になろうとした。
「……お前に隠し事をされたと思うと、悲しみや怒りの気持ちがあるのは確かなんだ。でも、言われても信じなかっただろうし、言わない気持ちもわかるよ」
「そういうカミングアウト、恥ずかしくないでござるか?」
「恥ずかしくない」
真面目な話の最中、景久に茶化されてしまい、少し機嫌の悪い声になってしまう。
またお茶を飲んで、冷静さを取り戻そうとする光一。
今度は少しは効果があったのか、穏やかな口調で話しだすことが出来た。
「……だが、今はそれを共有できて、少しは嬉しいと思っている」
これは光一の言葉である。紛うことなき、光一が考え、光一の口から飛び出した言葉である。
だが、本人は言葉にして、こんな小っ恥ずかしい言葉だっけ? と困惑していた。
本心ではあるものの、それ故に恥ずかしくなってしまい、光一は景久から顔を逸らす。
「あれれ~? 照れてるんでござるか~?」
「……照れてなどいない」
ズバリと景久に事実を指摘されるが、そんな事は無かったように振る舞おうとする光一。
「耳まで顔真っ赤~! 照れて~る!」
「照れてなどいないと言っとるだろうが貴様!」
結局できておらず、照れ隠しに怒鳴り散らしてしまう光一。
「ま、それは拙者も同意見でござるよ」
躊躇いも、顔を赤らめることも無く、堂々と景久は言った。
景久の素直な言葉に、慌てている自分が馬鹿らしくなってきた光一は、少し落ち着きを取り戻す。
「……そうか」
「そうでござるよ」
にこやかな返事をする景久から目を逸らし、窓の外を見ると、空がいつもより妙に青かった気がした。
なぜか、光一の脳裏に、青春という言葉がよぎったのも、きっと気のせいだろう。
何せ、二人は昔からこうなのだから。