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私は作業台の前の小さな椅子に腰掛けると、台の上に置いてある木製のナイフもどきを手に取った。
4歳になり、一人でこの工房に来ることが許されるようになってから開始したこの「工作遊び」だが(3歳までは母に頼み込んで連れて来てもらっていた)、祖父から金属の使用は禁止されている。
そのため、私が材料として選んだものは木であった。
この工房に木材はあまりないため、周りの工房を周って祖父の名前を活用していくつか廃材の内綺麗なものを貰い受けることに成功した。
その中からナイフの形に木を切り出し、ヤスリやら何やらを使ってどうにかナイフっぽい形にまで成形したものがこれである。
元々工作や日曜大工の経験も殆どない私であったのと、生まれ変わってもそこまで器用なタチでもなかったためか、納得のいくナイフの形に切り出し、整えるまでに約2カ月程度の期間を要した。
そして、漸く今日がこの工作遊びの「本番」とも言える工程に入る初日なのである。
私は祖父のお下がりである工具の中から、使い古されてグリップが手垢で黒くなった彫刻刀のようなものを手に取った。
これは、正確には刻印刀と呼ばれるものであり、祖父の仕事におけるメインウェポンである。
私はそれを右手に握り、これまでの約3年間の練習で何度も何度も繰り返した感覚に精神を集中させた。
まず、息を深く吸い込み、腹の奥の丹田で一度止め、ゆっくりと吐き出す。
それを繰り返しながら、意識を身体中の血管に張り巡らせるように、私の場合は触手のある蜘蛛の巣というよく分からないものをイメージしながら広げていく。
そうすることで、次第に身体中を巡る「気」を知覚できるのだ。
次に、それらを「流れ」に逆らわないように、ゆっくりと右肩の肩甲骨あたりに収束させる。
そして、その気の塊を小分けにする意識で、慎重に、無理のないように腕を通して指先まで届かせて、完了だ。
じわり、とそこから刻印刀のグリップに滲み出たそれは、グリップ内の刀身を伝って刃の先端に流れ留まり、そして仄かな黄色い光を灯した。
静かに息を吐きながら、その切っ先を木製ナイフもどきの刀身な先に当てる。
ここで力を込めすぎてはいけない。
逆に力を抜きすぎてもいけない。
絶妙なバランスを保ちつつ、彫刻刀をナイフの刀身上で滑らせる。
描くのは、祖父から教わったいくつかの基礎的な気法刻印である。
ジュゥ…、と彫刻刀が滑る度に木の表面が焼けるような微かな音を聞きながら、私は汗が滴るのを拭うこともせずに作業に没頭した。
「ふぅ……はぁ…はぁ…」
大体2時間ほど経っただろうか。
どうにか、休み休みではあったが、今日予定していた刻印3つを大きな失敗なしに刻むことができた。
刻印を描いたのはナイフの片面、それも刀身の一部だけであるが、それでも5歳児の肉体にはこれが限界だ。
右肩から右腕、そして右手指先の神経や筋肉が強張り、ギチギチと軋む痛みを感じながら、私は流れる汗を拭った。
この世界には、唯一前世とは異なる部分がある。
それは、人や動物に宿るチカラに関することだ。
魔力
霊威
気
この世界の人々はそれら3つのチカラを運用する方法を合わせて三法と呼び、人類が生物界の厳しい生存競争の中で生き残るための最も有効な手段として発展させ、継承してきた。
よって、その三法ーーー魔法・霊法・気法の3つを体得していることが、この世界の人々における「強さ」の基準となる。
気法は己の物理的な肉体に関する影響を及ぼし、霊法は己の内なる姿に関する影響を及ぼし、魔法は己の願いに関する影響を及ぼすと言われている。
ただ、正確には人を含めた通常の生物に宿るチカラは霊威と気の2種類しかない。
魔力とは、霊威と気を特殊な比率で混ぜ合わせ、己で生み出すものということらしい。
らしい、というのは、私が魔力を体感したことが未だにないからだ。
というより、少なくとも私の今知る周囲の人の中で、魔法を使える者を私は知らない。
気法や霊法は、工房で働く職人や、軍で戦闘に従事する兵士、高度な医療に携わる軍医等であれば、扱えることが必須条件のスキルであるために、そこまで珍しいものではないが、気法と霊法の2つを高いレベルで運用できる者は限られると聞く。
であれば、その上の概念である魔法は尚更であろう。
とは言われても、「魔法」が存在すると言われて簡単に諦め切れる現代日本人がいるだろつか?
私は三法の存在を知ってからというもの、数え切れないほどの回数、魔力を生み出す練習を重ねてきた。
しかし、残念なことに、そもそも霊威と気を同時に出すことにすら成功していない。
例えば今回の刻印刀を用いた工作遊びで扱ったのは、大げさに表現したが、気法の基本中の基本である。
それぞれの練習を始めて3年経った今でも、私の実力はその基本の刻印3つを刻むだけで限界を迎える程度なのだ。
実は霊法の方が比較的得意なのだが、そうは言ってもどんぐりの背比べであることは否めない。
私が三法の存在に初めて出会った経緯としては、この工房で実際に目の前で祖父が気法を使っていたことであった。
私は脳内に電流が流れたのを認識し、反射的に祖父に師事を頼み込んだ。
それが拒否されてからは本当に散々駄々を捏ねまくって(その時の母は驚愕のあまり過呼吸を起こしかけていたが)どうにか祖父に気法の基本を教えてくれるように取り付けたのである。
そんな気法の師匠である祖父からは「お前は才能がない」と常々酷評されている。
新たな自分の才能に抱いていた淡い期待は転生早々に脆くも打ち砕かれた訳だが、そもそも自分が平凡な人間だという自己認識が根底に染み付いてしまっていた私の回復は早かった。
今は「旅をする」という夢のため、こうしてマイペースに練習を続けていこうと思っている。