2
「ライちゃーん、朝だよー!」
「うぐっ……、ぉ、お母さん、苦しい」
私は5歳になった。
月日が流れるのは早いもので、新しいモノやコトにキョロキョロしながら毎日を過ごしていると、あっという間にこの世界に生を受けて5年が経っていた。
この世界、……この星と表現した方が正確なのだろうか、やはりここは前世で生まれ育った場所とは異なるものであった。
基本的な物理法則などはあまり地球と大差ない(勿論細かい差異はあろうが、専門的な知識がないので分からない。ただ、人間と同じような知的生命体が育まれる環境は多かれ少なかれ似たような環境なのかもしれない)。
何となく最初の頃は身近な人を見る度に「これがエイリアンか」とよく分からない感慨を得ていたものだが、それが前世でたまに見聞きしたファンタジーものによくありがちなケモミミだというのだから、事実は小説より奇なりというのはまさにこのことだなと感じる。
実際、このように自分の頭を寝起きの我が子の胸元に擦り付けるケモミミ母親を眺めていると、圧迫感に苦しみながらもそのように思うのだ。
「……はっ!ごめんライちゃんっ!またママったらまたライちゃんが可愛すぎて暴走しちゃった!」
「うん、いいから早くどいて」
「うぅ、ライちゃんドライ……」
私はライナスと名付けられた。
母からの愛称はこの通り「ライちゃん」である。
私の上から退く気配のない母をどうにか押し退け立ち上がると、私は自分の部屋(あの四畳部屋)を出てリビングへと向かう。
テーブルには朝食のオムレツやパンが並べられており、コーヒーを片手に新聞を読む細身の男性が近寄る私に反応して顔を上げた。
「おはよう、ライナス」
「おはよう、父さん」
なんて事はない、父親である。
前世では、物心ついた時から父はいなかったが、今世では父がいる。
まぁ当たり前といえば当たり前なのだが、やはりどこか慣れないところがまだあり、私は未だにこの朝の瞬間に少し緊張してしまうのだ。
父はコーヒーの湯気で曇ったメガネを気にすることなく、柔らかな笑みを浮かべて私を眺める。
何となく居心地悪いものを感じながら私は対面の席につき、後ろからついてきた母親が父の横にニコニコ顔のまま座る。
「「「いただきます」」」
これが、いつもの私の家、ユークリッド家の朝の風景だ。
「でね、今日はミサさんの家で採れたカボスでケーキを作るの!ライちゃん楽しみにしててね!あっ、勿論パパの分もあるよ!」
「ははっ、それは楽しみだなぁ」
母であるポレットの明るい声が絶え間なく食卓に響き、父のジーナスが柔らかく低い声で笑う。
私はいつも質問に答える程度で積極的に会話をする方ではないが、この新たな今世での家族の感じも中々に気に入っていた。
母ポレットは艶のある黒髪をセミロングまで伸ばし、少し紺のかかった毛に覆われた垂れ耳がその上に乗っている。
目はぱっちり二重で全体的に顔のパーツは小さく、身体も小柄で、我が母親ながら可愛らしい見た目と言える。
父ジーナスは明るい癖っ毛のある茶髪以外特に特徴のないメガネの優しいおじさん予備軍という印象だ。
身体は特に鍛えられているという訳でもなく、どちらかというと痩せ気味の部類に入る。
身長が180前後あるので、余計に細い印象を持たれる感じだ。
そして大切なことは、父はケモミミではない。
そう、この世界には普通に「人間」もいるのである。
つまり、私は人間とケモミミのハーフということになる。
こちらの世界では、「人間」のことを「ヒューマ」と呼び、「ケモミミ」のことを「ラーガ」と呼ぶ。
なので私は「セミヒューマ」、もしくは「セミラーガ」ということになるのだが、その基準は、どれだけ身体的な特徴がどちらかに寄っているかということによる。
結論から言うと、私は「セミヒューマ」であった。
母がラーガであることが判明したあの日の翌日、私は思い出したかのように自分がどうなのかという不安と期待が入り混じった衝動に駆られて自分の耳の位置を確認し、それが前世と変わらぬ顔の側面についているのを知った。
母としては、人種的に私が父の方に似ていることが嬉しいらしく、それが普段の私に対する猫可愛がり(本人はイヌ系のラーガだが)に拍車を掛けているようだ。
因みに私の顔に関しては母似で、髪も同じ黒髪。
元が日本人の私としては、黒髪に安心感を感じるものの、少しぐらい父の茶髪を取り入れるなどの変化があってもいいではないかと思うところもあるが、しかし母にとっては顔が自分に似ているので私に対する猫可愛がりに更な(以下略)。
とりあえず、前世と同じく男性に生まれた私としては、身長は小柄な母ではなく父に似て欲しいと願うばかりである。
そんなこんなで前世とほとんど変わらぬメニューの朝食を食べ終え、父が仕事へ向かう前に母の額にキスをして母が顔を赤く染めるいつもイチャラブ光景を見届けると、私の一日が本格的にスタートする。
「さて、ライちゃんは今日はどうするの?」
父が見えなくなるまで玄関から見送った母は、テーブルの上を片付け、洗い物を流し台へ運びながら、私に尋ねる。
せめてもと自分の分のお皿を運ぶ私の姿に萌えたのか、ニコニコの度合いが強くなってくるのを感じ取れる程度には母ポレットの感情読み取りには慣れた。
私は少し母との距離を空けつつ返答した。
距離に比例して母の口角が下がる。
「今日はじぃちゃんのとこに行くつもり」
「そっか!じぃじも喜ぶねー!」
普通は5歳児に一日の予定を決めさせるようなことは少ないと思うが、私が四年前のあの日から大人びた(赤ん坊としては不自然な)行動を取り続けてしまったからか、この両親はかなりの裁量権を私に委ねるようになった。
私としては有り難いことだが、たまに大丈夫かと不安になることもある。
鼻歌を唄いながら上機嫌で皿洗いをする母の「気をつけてねー!」を背に受けつつ、私は「行ってきます」と声だけかけて玄関へと向かった。
……不意に前世に一人残してしまった母親の姿が脳裏を過ぎり、私の足を止めされる。
振り返ると、何がそんなに楽しいのか、身体を揺らしながら洗い物を続ける今世の母の姿がある。
……何が起こるか分からない世の中だから、と言い訳でもしておこう。
私はスタスタと足早に母の元へ戻ると、気付いた母が振り返るより先に母の腰元に抱きついた。
「えっ!?ライちゃん!?どどど、どうしたのっ!?!?」
普段あまり甘えることのない静かな息子の突然のデレに狼狽えたのか、母の動きが不自然に固まる。
……パリンと何かが割れる音がしたが、この際は無視だ。
「ううん、なんでもない。行ってきます」
「い?い、行ってらっしゃい?」
母の温かい体温を感じ、胸の奥に温かい何が広がるのを感じつつ、母の腰に回していた腕を離す。
「あぅ」とよく分からない声を出す母を無視し、事後処理が面倒にならない内に玄関から外へ飛び出した。
「早く帰ってきてねーーーーっ!!」
朝の街中に響き渡る母の声に羞恥心を感じながら、今日の最初の目的地へ向かうのだった。