02-1
■02■
六年生の、秋の終わりの、肌寒い放課後。
一度は帰宅したものの、ひとりで部屋に居る事が妙に落ち着かなくて、夕貴は外に出た。
児童公園を一周し、川沿いを歩いて、一番近いショッピングモールへ辿り着く。
平日の夕方ではあったが人は多く、気が紛れそうに思えた。
幼児を連れた母親や、学校帰りらしい高校生のグループ、ゲームセンターの方に流れて行く中学生のふたり連れ……色々な人達が居る。
夕貴はドリンクを買い、フードコートの端に座った。
ため息を吐き、ボウッと過ごす。周囲のざわめきも、意識の中には入って来ない。
こう言う自分の状態を〈悩んでいる〉と言うのだろうか。
夕貴はその頃、四六時中勇気の事を考えていた。
その時も、自分や彼の立場や役回りなど、答えの出せない事をウジウジ考え込んでいたように思う。
フと気づくと、窓の外はもう真っ暗だった。慌てて壁面に視線を泳がせ、時計を探す。
時計の短針は、間も無く七を指そうとしていた。
「うわっ!」と慌てて立ち上がり、ドリンクの空容器をゴミ箱に投げ捨て、モールを飛び出す。
外は雨が降っていて、それが身体に降るととても冷たかった。
傘は持っていない。このまま、濡れて帰るしか無い。
――ビーズにしながら夜道は、危ないもんなぁ。あれ、結構集中力が要るし。
濡れなきゃいい、と言う問題でもない。とにかく今は、早く帰らなきゃ。
校区内のいつもの道だが、暗いとやはり心細い。
早く帰り着きたくて、必死で走っていると。
突然。
一台の車が、目の前に飛び出して来た。
息を吸い、驚きで足が止まる。
あの日以来、夕貴は事故が怖かった。
人の身体が〈生き物〉ではなく、ただの〈物体〉になってしまう自動車事故。
あれを目撃した時から、自分もああなるのかも知れないと、車に対するセンサーが他の事以上に、敏感に反応する。
夕貴の全身は、強張ってしまった。
「ごめんねぇ、驚かせてぇ~」
「あれぇ? もしかしてビックリして、動けなくなったの?」
「仕方ないなぁ~、可哀想だから送って行ってあげるよ。乗りな」
男の声が三人分、聞こえた。
夕貴は驚き過ぎて、彼らの言う事がよく分からない。
その間に車から男がふたり降りて来て、抱え上げられた。
状況が把握出来ず、声も出せない。
だが意識の奥が強く強く「逃げろ!」と叫ぶ。
自分の声だか、勇気の声だか、分からない。
動揺したまま、いつしか車内に連れ込まれていた。
後部座席に押し込まれ、男が左右に座った。逃げ場が無い。
酒臭ささが鼻につく。
夕貴は、そこで初めて小さく悲鳴をあげた。
だがそれも束の間。
頬へ押し当てられた刃物の感触に、恐怖心がそそり立つ。
「大きなドライビングコースに乗るまでは、悲鳴我慢してねぇ。その後は、まぁ、暴れてくれてもいいからさ」
突然のフラッシュが眩しくて、反射的に目を閉じる。
――今の……写真? 撮られたの?
「コラコラ、ダメでしょ。ほら、もっとちゃんと顔が見えるようにこっち向けって。あ、まーまー可愛いんだねぇ。ラッキぃ~」
あごの部分を掴まれ、無理矢理顔をそちらに向けられる。その力は強くて、痛かった。思いやりのカケラも感じられない。
「あ、その引きつった表情、リアルでいいねぇ~。もしかしなくても小学生かなぁ? 初めての子いたぶるの大好きなんだわ」
「きゃひひ、可哀想~」
何か、想像を絶する恐怖が自分を待ち受けているらしい。
恐ろしさで、呼吸が苦しくなってゆく。
さっきまでフードコートに居た自分が、なぜ今、こんな事になってしまっているのか。
全く分からない。
ただただ、恐ろしくて震える。
「あーっ、泣かせたぁ。ちょっとー、どうしてくれるんだよぉ……俺、ムダに気合い入っちゃうじゃん!」
「やっぱそうよな。本気でイヤがってくんねーとな。痴女ってナンだあれ、ただの変態じゃん。こっちが萎えるわぁ」
ぎゃははは! と下品な笑い声が、夕貴の心をザクザクと切り刻む。
――お母さん、助けて怖いよ! お母さんっ!
「さ、そろそろ服剥くか」
スカートの裾が持ち上げられたのを、反射的に押さえつける。
「ちょっと待て、録画の用意が……てか、俺のカバン取ってぇー」
右隣の男が言うと、運転している男が左腕を、誰も居ない助手席へと伸ばした。きっとそこにこいつらの荷物があって、カメラが入っているのだろう。
夕貴を撫で続ける左の男から、何度も身体を離そうとするのだが、逃げ場は無い。
「ついでに、ビニテ~」
「ダッシュボードの中だから、信号に引っかかるまでテープは待て」
「いいよぉ、ゆっくり脱がしてくからぁ」
脱がされて、何をされるのか。
こんな車の中で、こんな男達に。
その一部始終を撮影されて……。
絶望で、目の前がすうっと暗くなる。
――こんな事って、本当になるんだな。
肉眼で景色を捉えているのはさっきまでと同じなのに、本当に〈意識〉と言うのは〈暗く〉なるのだ。
――人の身体って、精神って、不思議……。
心の、どこか遠い部分が妙に冷静に、呟いた。