01-2
そして視界に飛び込んで来たのは、ページの端に小さく描かれた……。
――うっ! 落書き……ッ!
猫に見えなくもない妙な生き物や、当時の愚痴らしき事、因数分解などが所々、書かれている。
――餃子焼いたら焦げた、歌のテストやだ、前髪切りすぎ失敗・死ぬ……て、うわぁ、うわぁぁ……そりゃそうだよね。他人に見せる事が前提のノートじゃないんだもん!
呼吸困難に陥りそうだ。
ビクビクしながらページをめくってゆく。
もう、メインのデザインなど視界に入って来なくなっていた。
ノートが半分くらいまで来た時だ。
これまでのデザインを利用しようとでも思ったのか、妙な設定集のページがあった。
――……っ?
全身にゾクリとした冷たいものが走る。
ドレスを着ているらしい三人の女の子の、ヘタクソなイラストが書いてあったのだ。
それぞれの横に、名前らしきカタカナと、年齢らしき数字。そして何か、文字がビッシリ。
――こっこれは、もしかしてっ!
全身に鳥肌が立つ。なんと言う不快感だろうか。
ダメだ。これ以上、踏み込んではいけない。そのページは飛ばせ、と本能がガンガン警告して来る。
――吐きそう! 見なかった事にしよう……。
「ユキちゃん、どうしたの? 後ろ姿が震えてるよ?」
その声にビクッとして、振り返る。
「あ、あの……何でもない、の。ちょっと待ってて。該当ページ探してるから」
心も声も引きつってしまう。
「か、顔色悪いよ! 大丈夫っ?」
「おい、あまり食いついてやるな。あいつ、自分の黒歴史ノートって自覚なかったんだから」
「えっ! ……そんな事を言われたら、そっちの方が気になっちゃうよ」
こちらを見つめ、口を尖らせるクリストファー。
「だっダメっ! 部屋から追い出すよッ?」
「あ、そんな……大人しくしてるよぉ。僕、覗いたりしな~い」
――ホントかよ……もし覗いたら本気でグーパン制裁するから! 記憶飛ぶまで!
彼を殴っている自分が容易に想像出来た。きっと自分の拳も、とても痛いだろう。殴りたくて殴るわけではないのだから。
――だからクリス。こっち見ないで。ゆうちゃんの傍で大人しくしてて!
心の中の自分が、低い声でそう呟いた。
「そうだ。僕の方だってユキちゃんに見てもらおうと思って、持ってきた物があるんだぁ~。先にユウくん、見る?」
「お、見る」
背後でふたりの気配が仲良く、大人しくなった。
ホッと息を吐き、ページをめくる。
――今のうちだ。で、どのページだっけぇ?
目障りなものを無視するのは、結構な精神力と集中力が必要だった。
なかなかに苦しい作業だ。
油断すると、恥ずかしい感情に溺れそうになる。苦行だ。
「お、ブッサイクな赤ん坊だな」
「ひ、ひどいよユウくんッ」
「え、じゃあコレお前か。ぶはっ」
「見て欲しいのは、そっちじゃなくてこっち!」
「あー、なるほど。さっき言ってたヤツな」
「うん、そう。ユウくんもそう思うでしょ? 似てるよね? てか同じだよね」
「けどこのサイズじゃよく見えんなぁ。あいつの絵だって、上手くはないしさー」
「だから、お祖母様に見てもらうんだもん。それにね、もし違うなら、僕のアンテナも反応しなかったと思
うんだぁ。だってそうでしょ?」
「知るか。でもお前のカンがそう告げるのなら、そうなんじゃね? だってお前、俺の正体一発で見抜いたじゃん」
「そうなんだよねー。そうなんだけどねー。やっぱ自分に関わる事となると、エゴも騒ぐしー」
「見る目も曇るってか」
「うん、それそれ」
――ぺらぺらとよく喋るなぁ……あ、あった。よかった、あった! ここ、落書きしてないっ! 裏のページは……大丈夫! うぅ、なんてラッキーなのぉ。
ラッキーと言うより、このページだけは、このデザインだけは、当時の自分にとって特別だったのだろうと思う。一番執着していたデザインだと記憶しているし。
それに比べ前後のページには、似ても似つかない担任の似顔絵が描いてある。出っ歯が強調されており「お前はハゲろ!」と呪っていた。これを描いた当時、きっとイヤな事があったのだろう。
――そりゃあの担任の事は嫌いだったけどさ……こんな風に描いてちゃダメだな。思い出したくなかったのに、思い出しちゃったよ。描いてなければ思い出す事もなかったのにぃ。あぁもうイヤだぁ、疲れたぁ~!
どちらにしろ、他のページは見られたくない。
夕貴はそのページに定規を当て、カッターで軽く、ゆっくり切り取って。
「クリス、はい」と渡した。
彼は紙に視線を落とし、淡く頬を染める。まるで安心したように微笑むのだ。
そして優しげに、息を吐く。
「ありがとう、ユキちゃん。じゃあ、はい。これ、僕のお祖母様なんだけど」
「え?」
携帯用のミニアルバムを手渡される。
めくると見知らぬ外国の、見知らぬ家族の写真だった。
どれも落ち着いていて品がある。
緑がいっぱいの庭で遊ぶ可愛らしい子供達と、見守る大人達。かしこまった記念写真もあった。
「あの、これがどうかしたの?」
「一番最初の写真、見てくれるかな」
言われるままページを戻し、視線を移す。
セピア色で焼かれた、美しい女性の写真であった。
品のあるドレスを着て髪を結い上げた婦人の、バストアップの構図。
――ミュシャの描く女性みたいだ。なんて綺麗な人。
成人女性に見えるけど、外国人は少し年上に見えると言うし。ハイティーンくらいかも知れない。
「そこに写ってるの、母方の祖母なんだ。この夏で七十四歳になるんだよ」
「へぇ~、そうなんだぁ」
「ユキちゃんも知ってるように僕は、実家ではオマケみたいな扱いで、存在自体も薄くて小さい。でも祖母は、そんな僕の事を可愛がってくれてね。とても大切な家族なんだ」
以前、夕貴が勇気との関係で悩みヘコんでいた時、慰めるように話してくれた事がある。
彼のご両親は元々、彼を作るつもりはなかったらしい。
兄姉達が高校や大学の、進学卒業等で忙しい頃。
突然、母親が自分を身籠ってしまったのだ。
出来てしまったから産んでくれたらしいのだが、その頃の両親は幼い子の育児に対して興味を失っていた。
もうすでに三人も子供を大きくしていて、長男に家を継がせる手筈で多忙だった。
父親の家系は代々の名士で、田舎町では結構な権力持つ。親族には政治家が何人も居るらしい。
そんなエメット家を継ぐのは優秀な長兄と決まっていた。
そこへ赤ん坊が産まれたからと言って、今さら情熱や愛情を注いで大切に育て上げる必要はない。
食わせて学校へ行かせておけば、まぁ、育つだろう。
それなりに使える、それなりの人材になってくれればいい。
兄や家族の足を引っ張る事は絶対に許されないが、期待もされてはいなかった。
それが、実家でのクリストファーらしいのだ。
『家族の誰もがそのように考え、僕にそう接していたんだ』と、当時十三歳のクリストファーは言った。
『僕はあの人達にとって、心を癒すペットほどの存在にもなれなかったみたい』
『それも仕方ない事だよね。僕は場違いなタイミングで産まれてしまった――元々不要な子なんだもん』
『だからね、僕はクラスのみんなからの挨拶が嬉しいし、かけてくれる言葉が嬉しい』
『〈ダッセ〉って言われても、〈弱ッ〉て笑われても、それでも僕は嬉しかった』
『そして何より、ユウくんといつも一緒のユキちゃんが、誰よりもうらやましくて……』
『ユキちゃんはいいよね。例え世界中が敵になったとしても、ユウくんだけはユキちゃんの味方なんだもん』
底知れぬほどの寂しさを、夕貴は味わった事がない。
『覚えておいて。彼は……絶対的な味方なんだよ、きみの』
そう言って笑ったクリストファーの声はいつもより少し低く、乾いていたような気がする。




