05-3
夕貴は残された勇気の傍に近寄って、しゃがみ込んだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
クリストファーがあまり深刻そうにしていなかったので、心配はないのだろうけれど。
「ここは大丈夫な場所じゃない。クサいだろ、さっさと出るぞ」
勇気が夕貴の腕に捕まった。そして立ち上がる。
このような事はあまり無く、胸に不安が湧き上がる。
その視線を感じたのか、彼は「ここさえ離れれば平気だから」と言った。
「本当に?」
「ちょっとな……害のあるガスを吸ったみたいなものだから、ダメージがな」
「大変じゃんっ」
「いいから、出るぞ……クリスが居ればすぐ元に戻れる」
「そ、そうなんだ?」
勇気をフォローしながら部屋を出た。
そして、進むべき方向が分からない。
「そっちだ、そっち」
勇気に言われるまま、道を進んでゆく。
――勘と違うなぁ。
ここかな? と思ったところでは曲がらず、真っ直ぐかも? と思ったところで曲がるのだ。
「ったく、思った通りだな」
「何が」
「ダンジョン苦手だもんな、お前」
「大嫌いよ。RPGのルートに出現した時のイラだちったら」
「ゲームで言ったら、なかなかのピンチだな」
「え?」
「ヒーローが毒の沼にヤられてさ、ダメージ受けててさ、プレイヤーの苦手なダンジョンでさ。ここでモンスター出たらお前、パニックだな。ははっ」
「そんな事ないもん。ゆうちゃんは私が守るもん」
「空腹ゲージがゼロになる前に脱出出来るか?」
「だから、そう言うのやめてって」
口論をしながら歩き続ける。
こうやって軽口を叩けるのだから、確かに深刻なダメージではないのだろう。
夜の庭はブルーライトでも当てているかのような、不思議な色合いだった。
空に輝く星々と、周囲でざわめく豊かな葉の音。
軽く吹き抜けてゆく風と、そんな景色の中に佇む、半透明の美女・ケイト。
なんと綺麗な情景だろう。
周囲に淡い光が浮かんでいる。
クリスマスのネオンほど派手ではないけれど、華やかな光だ。
それらがあちらこちらでフワリフワリと漂っている。
あれは精霊だよ、とクリストファーが教えてくれた。
ケイトの前でビリーとリーラが、軽いキスを交わす。
リーラは夕方に会った時より、少しお姉さんの姿をしていた。
高校生ほどのビリーに似合いな、同じくらいのリーラ。
初めてプロボーズを受けたのが、あの幼い頃だったのだと言う。
彼女にとっては特別な、意味のある年齢だったのだ。
詳しく聞いていないが、ふたりには悲しい出来事があり、離れ離れになったらしい。
進む道が違えば、別れる事もある。
悲しい時を彼女は、大切な思い出を胸に抱いて過ごしていたのだろう。心を支え続けて来たのだと思う。
ただひたすら、ビリーの事を信じて。
――よかったね、リーラ。
彼らは今、こうやって再び巡り会い、手を取り合っている。
――死してなお求め合うなんて、素敵。
リーラは花冠を戴き、照れ臭そうに微笑んでいる。
なんと言う愛らしい仕草をする美少女なのだろう。
――あのお兄さんには、ホントもったいないなぁ。
いや。外見だけなら類を見ないほどの美男美女。他の相手は考えられないほどバランスが取れている。
だが夕貴は、ビリーがどうにも気に食わない。
リーラがもったいないとしか、思えなかった。
――でもまぁ、リーラが望むなら、きっと。
あんなに優しい美少女が死してなお求める男なのだから、夕貴からは見えない良い部分があるのだろう。
それは他人である自分に理解出来なくても、問題はない。
彼女が幸せであれば、それでいい。と、夕貴は思った。
結婚式のような儀式を、少し離れた場所に立ち、三人で眺める。
これを終えると、三人は逝ってしまうらしい。
「ユウくん、ビリーの身体は生きてるって言ったよね」と、声を潜めてクリストファーが言う。
「ああ。けどあれじゃあ、人の世界の境界線なんてとっくに超えてしまってるだろ。いくら人間の身体を持っていたとしても、それはそれで化け物だ。死霊と化け物、似合いだな」
どうしてこう、男子はもう少し綺麗な言葉を使ってくれないのだろうか。
――あんなに優しくて愛らしいリーラを死霊だなんて……天使でいいじゃん、天使で!
「リーラはね、夕方、具合の悪い私を助けてくれたのよっ」
夕貴は勇気に小声で抗議をする。
「だから?」
「死霊だなんて言うの止めてよ」
「なら何だよ」
だがしかし。ここで「天使」と言うのはさすがに恥ずかしかった。
「女の子でいいじゃん、女の子で。身体を失ってもずうって彼の事が好きで、現世に留まり続けたのよ? 恋する女の子以外のナニモノでもないでしょ」
「あー、はいはい」
「僕はユキちゃんの言ってる事、分かるよ。健気だよね」
「そうそう、それそれ!」
面倒臭そうな表情を浮かべ、勇気は視線を反らした。
「さぁ、ふたりの事はこれで済んだわ。最後に、クリストファー」
呼ばれ、三人はケイトの元へと移動する。
「ここはわたしの手元に最後まで残った財産よ。ここ以外はもう全て、他の者達に相続させたけれど……クリストファー」
「はい?」
「ここを、あなたに譲るわ」
「……えっ? いやお祖母様、僕は別に、何も」
「もう遺言書は弁護士に渡してあるの。あなたが来てくれて偶然だったけれど、兄の事もこうやって片付いたし」
「いやあの」
「ここは誰も欲しがらなかったから、あなたが受け取ってちょうだい。北側はちょっと陰気な土地でしょ。確かに色々、小さな事は昔からあったのよ」
「ええ、まぁそれなりに〈居ます〉よね」
「あなたなら、どうにか出来るわよね。どうすればいいと思う?」
「そう……ですね。地下と水回りをリフォームして、建物全体をクリーニングし、裏の土地を整地すればかなり浄化されるとは思います……けど」
「なら、そのようにしてちょうだい。あなたのお城よ。あなたが城主」
クリストファーは顔を引きつらせ、硬直してしまった。
「愛する人を連れ、いつか戻っていらっしゃい。あなたはここの主になるの。わたしがあなたに残してあげられる、最後の、最大の財産よ」
クリストファーはまた涙を零した。
頬を染め、表情を崩し、その場にしゃがみ込む。
いつもなら大声で泣くのに、今彼は、声を押し殺していた。
苦しそうな呼吸と嗚咽が、静かな庭に漂う。
どれほどの時間、そんなクリストファーを見守っていただろうか。
ビリーが彼の前に立ち、言った。
「きみ、ケイトの孫……少しだけ世話になった」
数秒後。クリストファーは驚いたように少し目を見開き、顔を上げる。
「一族には色々な人間が居るんだね。俺やきみ、他の親族――気に入らない奴も多いだろう。けどきみは、俺みたいにならなくて済むんだね……友達に感謝しなきゃ」
「あんたのクチから感謝とか、キッショい」
「ちょ、ゆうちゃん!」
「でもまぁクリスの涙を止め、一族と認めてくれたのは感謝する」
「きみに感謝される謂れはない」
「いや、あるね。こいつは俺のダチだから」
ビリーは苦笑いを浮かべ、ケイトに「そろそろ行こう」と言った。
その言葉にビクリとするクリストファー。
ケイトは最後にクリストファーの髪を優しく撫で「幸せに」と言った。
気配を消した三人を見送った後も、クリストファーはしばらくその場で泣き続けた。
綺麗な庭に虫の音が漂う。
歯を食いしばり、拳を握りしめ、嵐のような感情に、声も出さず向き合うクリストファー。
彼は真正面から真摯に、祖母の死を悼んだのだ。
その姿は見ているだけで、彼の感情を察するだけで、夕貴の胸が熱くなる。
思わずもらい泣きすると言うものだ。
夕貴は勇気の袖を握りしめ「ゆうちゃんは、逝かないで」と呟いた。
「バカ、逝くのは同時だろ。お前、俺を何だと思ってんの?」
「私の分身」
「そ。正解。お前が死ぬと、俺も死ぬ。一秒の狂いも無く、完全に同時に、だ」
「うん……」
勇気に抱きつき、夕貴は泣いた。
「ったく……俺、一生お前らふたりの面倒見る事になるのかな?」
「まんざらでもない、って思ってるでしょ」
「さぁ? どうだろうな?」
「もぉ」
勇気を抱く腕に思い切り力を込める。すると彼は少し意地悪そうな声で笑い、優しく背中を撫でてくれるのだ。
そして数分後――クリストファーの携帯に訃報が届く。




