05-2
「痛いよ、クリス」
思わず声が出た。
「ごめん、だけど……離せないよ」
クリストファーは、夕貴が喋った事を咎めなかった。
なら、このまま普通に話してもいいのだろうか?
「どうしてそんなに震えてるの」
だがその問いに、クリストファーは答えてくれない。
「クリス?」
「夕貴、後で話す。今は従ってもらいたいんだ。ダメか?」
「ゆうちゃんがそう言うなら、そうするけど」
でも本当に痛いのだが。
仕方ない、しばらくは我慢しよう。
「ねぇ兄さん。わたし達が何年、あなたを呼び続けたと思ってるの? こんな年齢になってしまうまでずっと、ずうっとよ?」
上の部屋で、ケイトは言った。
兄はずうっと苦しんで、もういい加減解放されるべきなのだと。
彼は自分の闇に潜り込み、他人を呪い続けていたらしい。
そのための力や方法を探っていたのだろうか。
ケイトが大人になり、人生を終わらせてしまうほどの長い時を――ビリーはひとり、闇の中で。
少し胸が、痛む。
「なぁ、ユキちゃん?」
ビリーがこっちを見て、名前を呼んだ。
「は、はい?」
クリストファーの腕が、身体に食い込んでしまいそうなほど、締め付けてくる。
「きみがもし大切な人を失ったら、どうする?」
――ゆうちゃんを失ったら?
「他人の悪意によって引き裂かれたら、さ」
そんな絶望的な、恐ろしい事。想像したくもない。
だけど、もしそうなってしまったら?
夕貴は一度、呼吸を整えてから答えた。
「私は、探します。泣いても転んでも笑われても、お腹が空いても怒られても、誰に邪魔をされても、どこまでも探しに行きます。もし復讐を考えるとしたら、その後かな。でも……」
勇気を取り戻した自分に復讐なんて、必要だろうか。
彼が傍に居てくれるだけでその有り難みを、魂の隅々まで味わう事になると思う。
そうなったらもう、復讐なんてしている暇は無くなるだろう。
幸せを噛みしめる時を過ごす方が、忙しいはず。今の、何気ない毎日みたいに。
たぶん必死に、貪るように。
失った時の分を埋めるかのように。
きっと自分は、そっちに夢中になるような気がする。
――いや、そりゃ余裕があれば復讐も考えるだろうけどさぁ。
大切な人を奪われた代償を求める権利はあると思う。喪失の原因を作った奴に、恨みだって憎しみだって抱くだろうし。
復讐を否定はしないが、優先順位が違う。
――まぁ失いっぱなしで、探してる途中なら、心の中に闇はガンガン育つと思うけど。
でも、探す。優先すべきは、そっち。
「ふぅん、そうか。じゃあきみ達も、そうなのか?」
ビリーは、勇気とクリストファーへ視線を流した。
「さぁな。その時になってみないと分からないな」
「ぼっ僕は、僕は……僕も探すよ、ユキちゃんやユウくんと一緒に! あぁ、でもヤだっ。消えてしまわないで、ユキちゃんっ!」
「ちょ……泣いてるの? クリスぅ……ほんと、どうしちゃったのよ」
わんわん泣き続けるクリストファーに抱かれたまま、その背中をゆっくりと撫でる。
「でもいいよ。泣いてるクリスの事も見ていてあげる。私は、ずうっと」
「ほ……ほんと?」
「うん」
クリストファーは世界中で、ただひとり。夕貴と勇気の事を知り、肯定してくれている大切な人。
掛け替えのない、大切な人。
「よかったわね、クリストファー。あなたにはそんなにも大切なお友達が、出来たのねぇ」
「はい。お祖母様……っ。僕は、誰かを大切に思う事が出来て、幸せです。こんなにも」
夕貴から顔を離し、クリストファーは祖母の顔を見つめた。
「日本で出会った全ての事が、過ごした時間の全てが、宝物です」
年齢の分からない美しい女性が、品よく微笑む。
「日本へ行く事が出来て、本当によかったこと」
「……お祖母様ってあの子、まさかケイトの孫なのか」
「ええ、そうよ。可愛いでしょ。クリストファーって言うの。わたしの娘が産んだのよ」
ビリーは一瞬、口から息を吹き出し……こちらに背中を向けた。その身体が小刻みに震えている。
――もしかして笑ってるの? 感じ悪いんだけど。
フと見ると、クリストファーと勇気が微妙な表情を浮かべていた。笑われてムカついているとか、そんな雰囲気ではない。
――なんなの。
「そうだわ、兄さん。わたし、誘いに来たの」
まだ小さく震えながら「え?」と返すビリー。
「夜の庭を散歩しましょうよ。今夜は月も無く、星がとても美しいわよ」
「また妖精が見えるとか言うんじゃないだろうな」
「あら、見えてもいいじゃない。本当は兄さん、見えなくて悔しかったのでしょう? 少しは見えるようになりました?」
「ゴーストだのフェアリーだのに喜んで、きみは変わらないね。幾つなんだい?」
「年齢を聞くの? 女はね、ハートの年齢が全てなのよ」
ビリーは面倒臭そうな表情を浮かべ、ため息を吐いた。
――今のはお兄さんが悪い。てか、ずうっと悪い。女性の地雷踏みっぱなしじゃん。
デリカシーが無さ過ぎではないだろうか。
――花冠だって頑張ってドロップ付けたのに、あんまり興味持って貰えないしさ。
少しだけでも喜んでもらえるかと思ってたのに。本当にガッカリ。
「ね、クリス。こっち向いて」
「えっ?」と涙目でこちらを向いたクリストファーの頭に、花冠を乗せる。
「可愛いよ、とってもよく似合う」
「はぁ? でもこれ……」
「クリスはお祖母さんに似て、美人よね。それ、もらっちゃえば?」
「なんて事を言うんだよ、ダメだよユキちゃんっ」
「どうして」
「どうしてって、ビリーの事はともかく、恋人の気持ちが可哀想だよ」
――そう言えば、そっか?
「あのさ、ユキちゃん」とクリストファーが耳に近づいて来た。
「もしかしてビリーの事、嫌いなの?」
「だってあの人、なんだかムカつくじゃん。親戚のクリスには悪いけどさ!」
小声で返すと、クリストファーは苦笑いを浮かべた。
「とにかく行くわよ、兄さんっ。クリストファー、フラワークラウン持っていらっしゃい」
「あ、はいっ」
ビリーは孫のように腕を引かれ、ケイトと行ってしまった。
少ししてまた「クリストファー」と呼ばれ、彼も夕貴を解放して足早に行ってしまう。




