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■05■
「にいさ……ん」
ケイトの言葉に夕貴は「えっ!」と声を漏らした。
扉のすぐ傍に立っていた男の子が、不審そうな表情でケイトを見つめている。
――もしかしてこれがお兄さん、なの? ……いやまさかね~。
どう見ても、自分達くらいの――いや、もう少しだけ上だろうか。
――てか、なんだか臭いな……生臭い。地下だから仕方ないのかな。あれっ? ちょっと気分悪いんだけど。
胸の中と言うか、腹の中と言うか、呼吸器周辺と言うか、そこら辺がムカムカするように感じられた。
――地下だから風通しが悪くて、空気がこもっちゃってるのかなぁ。カビとか微生物だとか、イヤだぁ~。
「兄さん!」
突然そう叫んだケイトは泣きながら、彼の身体を抱きしめた。
「えっ、なに……えっ?」
と声を漏らし困惑してるが、彼は抵抗しない。
しばらく戸惑いの表情で呆然としていたが、やがて。
「……ケイト?」
間違える事なく、彼は彼女の名前を呼んだ。
「嘘だろお前っ…………老けたな」
久しぶりに再会した妹に放った言葉が、それである。
――無神経~っ!
あまり人のお兄さんをとやかく言いたくはないが、女性に対してそれはどうなのだ。
「何年会っていないと思ってるの? わたしだって変化するわよ!」
ケイトは笑ってそう言った。端から見ていると、祖母と孫である。
――こんな事って、あるのぉ?
夕貴はてっきり、痩せ細ったヨボヨボの引き篭もり老人が出て来ると思っていたのに。
と、その時。
左腕が、強い力で引っ張られた。
ハッとして見ると、クリストファーが真顔で夕貴の腕を引いていたのだ。
「どうしたの? 一瞬、ゆうちゃんかと思っ……」
言い終わる前に夕貴は、クリストファーに強く抱きしめられていた。
彼の身体が、震えている。
「黙って。何も言わないで。何も言っちゃダメだよ、お願いだから」
意味が分からない。声を出してはいけない、と言う事だろうか。
それくらいならまぁいいけど、と思い、夕貴は小さくコクン、と頷いた。
「おい」と小さな声に呼ばれ、クリストファーから顔を離す。
見ると床に、勇気が座り込んでいた。少し苦しそうな表情を浮かべて。
思わず走り寄ろうと動いた時、再びクリストファーに抱き止められた。
「そっちはダメだよ、危ない」
――でも、ゆうちゃんが!
「彼は大丈夫、僕が助ける。だから動かないで、お願いだよぉ」
このままクリストファーに抱かれていろ、と言うのだろうか。
戸惑って勇気の顔を見る。彼は黙って頷いた。
「ケイト、離して。俺、そろそろ行くんだ」
「どちらへ? あなたの仇はもう、この世には居なくてよ。だってあの頃でさえあの人達は、もう随分とお年を召していたでしょう。忘れたの?」
ビリーの腕からストン、と力が抜けたのが、見えた。
そして数秒後、彼はぽつりと呟く。
「なら、皆殺しだな」と。
クリストファーの身体がピクン、と反応した。
「役人も政治家も親族も、皆殺しだ。それだけの事をあいつらは俺達にしてくれた。どうせ今だって他人を踏みつけにしてゲームを楽しんでいるんだろう?」
「兄さ……」
「ケイト。きみが変わったように、俺も変わったよ。彼女が死んだと噂に聞いた瞬間から俺の時はこうやって止まり、復讐だけを考え続けた。どうせ正攻法じゃ、相手に傷のひとつも付けられはしない。ならばどうすればいいのか、闇の中で考えるしかなかった。そして、自分の中に育てるしかなかったんだ……闇を」
――闇……。
「だからケイト。皆殺しだから、ケイト……きみも俺は……俺、は……」
「兄さん、それは叶わないわよ。だってわたしはもう、逝くのだもの」
ケイトは兄の身体を少しだけ離し、微笑んだ。
「あなたの手に掛かれなくて、ごめんなさい。でもあなたは、わたしひとりじゃ満足出来ないでしょうから、殺され損になるところだったわね」
ふふっ、とケイトが笑う。
「お前、死んだのか?」
「さぁ? もうそろそろだとは思うのだけど。身体から離れて数時間経つから、詳しくは分からないわね」
「……そうか」
「八つ当たりさえ受けてあげられなくて、ごめんなさい」
「あぁ、いや……うん」
「それでわたしね、兄さんをこのまま残して逝くのは心配なの」
「いや、そのまま忘れてくれた方が」
「そう言うわけにはいかないわ。こんな気持ちを持っているのは、わたしひとりじゃないのよ?」
「なんだ? 母親か? 勘弁してくれ、今更親の心配なんか知りたくもな……」
夕貴の方を見て、ケイトが手招きをする。
クリストファーは身体を離してくれず、それを見たケイトは少し困ったように笑った。
「そこからでもいいわ、兄に見せてあげて欲しいの」
「あ、はい」
夕貴はリーラに貰った花冠を、ビリーの方に向けて見せる。
「ほら兄さん。あのティアラ、見覚えがあるでしょう?」
「ティア……ラ?」
「あの宝石の色と配置、覚えていないの? あのデザインがどこの家系に受け継がれて来たのか、忘れてしまったの?」
それはさっき、夕貴があの写真を見ながらドロップを埋め込んだ花冠であった。
「あのフラワークラウンも、覚えていないの? 本当に? あれは、あなたが彼女に教えてあげたのだとわたしは記憶しているけれど?」
「フラワークラウン……?」
「もう、男の人ってこれだからイヤよ。女の子の気持ちなんて、分かろうともしてくれない。あのね、女の子の胸にはいつだって、ロマンスを待ちわびる心があるの。なのに兄さんあなたは、復讐復讐って」
「では、あれは」
「彼女がリーラから贈られた物よ。それにアッカー家のティアラのデザインをあしらってもらったの……彼女にね」
「あの子は?」
「〈ユキちゃん〉よ」
クリストファーの身体が再びビクリ、と動く。
――え、なに……?
「ユキちゃん……その子が」
「ええ、そうよ」
強く抱きしめられていたのに、さらに力が込められる。
気遣われているのが分かるのに、それでも痛いほど締め付けて来る。
これは、男子の力だ。
クリストファーなんて、クリストファーなんて――優しくて臆病で可愛くて可憐で泣き虫で、いつもふわふわしてるのに。
なのに身体は男の子なのだ。夕貴より背が高くて、腕や足も長くて、骨格もシッカリしている。
夕貴は彼の腕の中で少し抵抗してみるのだが、力は緩まなかった。




