04-5
「俺からあの子を奪ったよね……?」
弱々しい声に、勇気が振り向く。
床に座り込んでいた彼の身体が、微かに震えていた。
妙な吐息のリズムは、笑いが込み上げて来ているのだろう。無音の息が段々と大きくなってゆく。
「聞いたよ。隣国の大物政治家に、愛妾として差し出したんだって。相手の孫より若いあの子を愛人に差し出し、出世したんだってねぇ……だけど彼女はそいつの興味を独り占めしたからって、他の女に虐め殺されちゃったらしいなぁ。それ、どうやって責任取ってくれるの……」
――引き裂いたのって、エメット家の奴だったのかよ! 聞いてないし!
子供の頃の事だ。妹であるケイトが詳しい話を知らなかったとしても、仕方がない。
――ちょっと待て。俺はともかく、クリスはここに居たらヤバいんじゃ……。こいつをそそのかして連れて来たのは、俺だけどっ。
「あぁ、あいつによく似たニオイだ……似てる。とてもよく似ているな、きみ」
鼻をクンクン鳴らしながら、ビリーはクリストファーを見つめ笑った。
「もしかしてきみ、〈あいつ〉なの?」
ニヤけた笑みが、その口元に張り付いている。口角がキュッと持ち上がり、意地悪そうだ。
「こいつは違う。こいつもあの家では酷い扱いを受けて来た」
「でも関係者だよね」
「だがネグレクトを受けて来たんだ」
「じゃあ関係者どころか一族じゃないか。俺さ、許せないんだよ。そいつらの細胞の一欠片残らず、憎くてたまらない」
ひゅる……! と、ビリーの影が伸びる。キャンドルの揺れと同調し、室内は絵に閉じ込められた空間のように思えた。
『嫌いなんだよ、その臭いが遺伝子が!』
それは、影の方から聞こえた。
影が喋ったのである。
そして影はクリストファーの影に掴みかかった。
すると。
クリストファーの頬に傷が走り、鮮血が滴り落ちた。
勇気は地面に向かって水滴を、無数のダーツのように投げた。
夕貴が空間に漂う水分をドロップとして利用出来るように、勇気も凶器として利用出来る。
影全体に、二千滴ほどの雫を刺し込んだ。少々のエネルギーでは身動き出来ないだろう。
「その影から角度を取って離れろ!」
クリストファーに指示を出すと、彼はすぐに理解したらしく、そこから飛び退いた。
「何て事してくれるんだよ、放せよ!」
「そうはいくか」
ビリーはやはり、身動きが取れない様子。
勇気にとってはどうと言う意味の無い対処だったが、思った以上に効果的だったようだ。ラッキー。
『くそぉお前ら……いつもいつもいつもいつも、いつも!』
影がもがく。身体も同調した。
悔しげに歪んだ表情の、冷たい感情に満ち満ちた視線がこちらに向けられる。
それから数秒後、不意に彼はニヤリと笑った。
「へぇ? きみは面白そうな〈記憶〉を持っているんだな」
彼の呟きが何を指しているのか、一瞬理解出来なかった。
だが勇気は、自身の内部に――頭の天辺から喉を通り、身体のど真ん中を冷気が通り抜けて行ったのを感じたのだ。
――しまっ……! 今、あいつに……っ。
サーチされた。自分の〈中〉を。
「クラスメートを傷つけ、担任を傷つけ、他人も傷つけ……母親にも悪意を向けたんだぁ? 悪い事しちゃイケナイんだよ、知らないの? でないと、自分に返って来るから。ほら、そんな風に」
これまで勇気が傷つけてきた相手が、背後に姿を現した。
もちろん彼らは、実体ではない。
勇気のせいでケガをし、痛みや怒りを反射的に感じた〈瞬間の彼ら〉である。
それが勇気の記憶だか意識のどこかに〈残っていた〉
よく似たエネルギーにを持つ彼に、引きずり出されたのだろう。
数にして、五十人以上は居るだろうか。
子供が多いとは言え、これだけ居ると始末するにしても手間がかかる。
「くっそ、チラチラ動き回りやがって!」
思い切り腕を振り回し、豪雨のように水滴を飛ばす。
水滴はそれぞれ、彼らを貫いた。だが。
確かにダメージは与えられるが、実体を持つ相手ほどには傷付いてくれない。
逆に、彼らの体を通り抜けた水滴が床や壁に突き刺さると、そちらの方へ大きなダメージを与えてしまう。
床に壁にたくさんの亀裂が走り、一部が崩れた。
剥がれた壁の素材が、パラパラと床へ落下してゆく。
――不味い。大量に打ち込むと、ここ崩れる。それにあいつらに打ち込んでも、効果が薄い。
これまで実体を持たない相手を攻撃した事はなかった。そんな必要、なかったから。
「僕に任せて、ユウくん!」
振り向き彼を見ると、その腕と指先が優雅に動き、何かを描いた。
構えた掌から、眩しい光が出現する。
彼の手からほとばしる、なんて優しく綺麗な光。
彼の性質そのままの、悪意を浄化しようとする輝きであった。
〈悪意〉が光に照らされると、それだけで苦しむ。
人間の肉体で例えるなら、強烈な紫外線から食らうダメージのようなものだろう。
表面どころか最奧にまで届き、内部から燃やされる苦痛。
あれは、悪意の部分だけを燃やし尽くそうとする光だ。
だがここへ現れた〈あいつら〉は、悪意しか持ってはいないのだから。
――あ……母さ……ん。
彼女でさえ。
自分達の母親でさえ、ケガをした瞬間は怒ったりムカついたりしただろう。
あそこでクリストファーの光に焼かれているのも、その時の母親だ。
ただの人間の女だ。雨の中で訳もわからず痛い思いをすれば、嫌な気持ちにならないわけがない。
燃やされているのは、嫌な気持ち。そのもの。
それが浄化なのだと勇気は思う。
〈化け物を退治する事〉とは、根本が違った。
――夕貴を連れて来なくて、本当によかった。
本来なら見なくて済むが、今の夕貴は見えるのだから。
母親がここで、クリストファーの光に燃やされるヴィジョンなど、見せてはいけない。
他のクラスメートや、他人だってそうだ。
普通の女の子に見せるべき光景ではない。
それに彼女は「自分が誰かを恨んだから。憎んだから。勇気が攻撃した」とまた、自分を責めるに決まってる。
自分の感情が引き金となった、犠牲者。そう思い込む。
違うのに。
勇気が好きで攻撃して来ただけなのに。
面白かったし、遊びだった。それはこの後も、変えるつもりはない。
それと同じ罪悪感を、クリストファーのバージョンでまで抱え込む必要はない。
元々、夕貴には必要のない罪の意識なのだから。
「きみ達はふたり共、嫌な奴だな」
ビリーが苦笑いを浮かべ、呟く。
「まぁ俺ら、別にヒーローでも正義の味方でもないし」
「だよねー」
「でもきっと、弱点が無いわけじゃあ、ないよな?」
それが誘導である事に気付くのが一瞬、遅れた。
「ははっ」とビリーが、楽しそうに笑う。
「見えたよ! そっかぁ、共通の弱点だったんだぁ」
不味い、と勇気が思った時、クリストファーはまだ「えっ?」と言う表情を浮かべていた。
「ユキちゃん? って誰かな。誰でもいいか!」
勇気は再び自分の〈中〉を、冷たいモノが吹き抜けて行くのを感じた。
「ほらほら、あったよ、居たよ……大切なユキちゃんにまつわる、凶悪な存在が。解放しちゃっていい? いいよね……だってきみ達、嫌な奴だから!」




