03-4
彼女を見送った後、夕貴は花冠を頭に乗せて立ち上がり、敷地の中を覗いて見た。
門柱から少し坂道が続き、その奥に庭のような空間が少しだけ見える。
だが、あのふたりは見えない。
――勝手に入るのも、確かに気が引けるなぁ。危険じゃないって言ってたから、入っても大丈夫なのかも知れないけど、無断で侵入するわけにはいかないもんね、やっぱり。
その時、小さな笑い声がクスクスと、複数、聞こえて来た。
夕貴の背筋が凍る。
――な、なに……? 誰か居るの?
声は、敷地の中から聞こえたわけではなかった。
夕貴は振り向き、周囲を見回す。
でも、誰も居ない。通り過ぎる人さえも居ない。
それでも今、どこからか聞こえている。声は途切れなかった。
――こっ声っ声だけ、ききき聞こえ……てるぅ。
耳鳴りか、幻聴なのか。
――まだ私、体調が……頭の体調が。
そう思った時、勇気の言葉が蘇って来た。
『本当だって証明するため、お前に少しだけ〈見せて〉やる』
――ちょっと待っ……ゆうちゃんがした事って、もしかしてコレ?
もしかして自分は今、勇気やクリストファーのように〈見える〉〈分かる〉ようになってしまっているのではないの、か?
――見ようと思えば、もしかして。
見える、のではないだろうか。これまで夕貴には〈見えなかったもの〉が。
そう思うと心臓が不快にドキドキして来た。
――どこ? どこに居るのよっ。
夕貴は周囲の景色を睨むようにして見つめた。
車一台が通れる程度の道幅があり、周囲は森林。山の中腹で、植物が茂っているだけの景色だ。
風が吹き、草や木の葉が揺れる。その影もシンクロし、同じように揺れている。
ざわざわ・ざわざわ。
――勇気の話じゃ幽霊とか妖怪って、景色の中にさりげなく〈居る〉から、見えている人でも見過ごしてしまうのがデフォなんだ、よね?
ならば今の自分も、そうなのではないだろうか。
木の葉の影に、幹の向こうに、チラホラと存在している〈ナニか〉が、こちらを見て笑っているのだろう。そんな気がする。
――う。やっぱり分かんないよぉ……。私、間違い探しとか苦手だしなぁ。
けれどまだ、小さな笑い声は聞こえているのだ。しかもすぐ傍から。
クスクス・クスクス、と。複数の声が、ざわめきのように。
――こっ怖い……なんか、怖いよ。ふたりとも、早く戻って来てえぇぇ!
両目をぎゅっと閉じ、うつむいていると。
「ユキちゃん!」とクリストファーの声が聞こえた。
やっと戻って来てくれたのだ! と思い顔を上げる。
坂の上からクリストファーが、駆け下りて来る姿が見えた。
夕貴の目の前まで来て、止まり。
「ユウくんが呼んでるよ」
彼が軽く微笑む。それはクリストファーの、いつもの表情と同じだった。
――え。結局私も中に入るんじゃん。ナニよゆうちゃんてば、もったいつけて!
クリストファーの後に続いて道を登り、外から見上げていた建物の、玄関横にある通用口から中へと入れられた。
中は思った以上に薄暗い。窓から見える空は少し曇り、光に力が無くなっていた。
――さっきまでは木漏れ日すらキラキラしてたのに。綺麗だったな、リーラ。
「ユキちゃん可愛いよ、そのフラワークラウン。似合ってる」
「えっ! ……あ、そうかな、ありがと。これ、もらったの」
「そっか。ちゃんと見えてるみたいだね、よかった」
「え?」
「ん?」
「おい、夕貴」
広い幅のある廊下の奥から、声の主が歩いて来る。
「あ、ゆうちゃんっ。結局私もここ……」
勇気はいつも真顔だが、今は真面目な表情をしている。
夕貴は一瞬、不安でドキッとした。
「これからクリスのばーちゃんに挨拶してもらう。俺はもう済ませた。案内する、こっちだ」
「え。病院だったんじゃ」
「……分かる、だろ」
勇気が言葉を濁す。
夕貴は反射的に「分かるわけないじゃん!」と反論しそうになったが。
先に息が、止まった。
病院に居るはずの人が、危篤の人が、離れた場所に居るわけがない。
それを勇気が「居る」と言っている。
と、言う事は。
夕貴はクリストファーの横顔を見た。
視線に気づいたのか、彼もこちらを見てニコリ、と微笑んだ。
薄暗い廊下で見る彼の顔は、とても青白い。
シーン、とした城の中を、自分達の気配だけが移動している。
――誰も居ないの? こんなに大きなお城なのに? やっぱり怖いよ。
「どこに行くの?」
「サンルームのあるリビングだよ。お祖母様が一番寛いでいたお部屋。昔は手入れしてくれる職人さんも居たから、そこから見えるハーブガーデンがとても綺麗で、お祖母様のお気に入りだったんだって」
「今は?」
クリストファーは首を横に降り「誰も居ない」と呟いた。
「もしかして、おひとりで暮らしていたの?」
こんな大きなお城に。
「いや、まさか。さすがに不便だからさ、もう何年も前から、お祖母様は町に部屋を持ち、そこで暮らしてたよ。ここは、財産の一部になるのかな」
――最後にここへ来たと言う事は、やはり思い入れのあるお城なのね。
代々受け継がれて来たと言うのだから、愛着はあって当然だ。
「心残りがあるんだと」
「え。どんな?」
「まだ聞いてない」
――もしかして幼い頃、宝物をどこかに隠したとか、そんなの? だったら可愛いなぁ。
それなら少女らしくて素敵な思い出ではないか。探せと言うなら、喜んで手伝うけれど。
――秘密のナニかだったら、手伝えないな。女の子には秘密がいっぱいあるもんね。人に見られたくないと言うと……。
黒歴史ノートが意識を過った。
――イヤっ! あれ、帰ったらすぐに処分する! ……あぁ、でもちょっと捨てがたいかも。いや、あんなの自分でさえ見たくないのに、残しておいたら大変な事になる! いやでもなー……。
心が激しく葛藤する。こんなに悩むのなら、処分してしまった方がいいのだと、自分でも分かっているのに。
あぁ、悩む。
「ねーねーユウくん、ユキちゃんが悶えてる。面白いよ?」
「放っといていい。どうせ大した悩みじゃないんだから」
――失礼だわ。でも言い返せないわ。口に出したらイジられるに決まってるもん!
夕貴は口の端がピクピクするのを感じながら、ふたりと同じ方向に向かって歩いた。




