03-2
勇気に言われるまま。
クリストファーの隣に立ち、勇気の方を見る。
「あ。部屋の電気消しとこ。悪い夕貴、そこのスイッチ切ってくれる」
夕貴は「うん」と返事をし、出入り口傍のスイッチを切った。そして暗い中、クリストファーの隣に戻る。
窓から入る外灯の灯りだけが、部屋の中を映し出している。
真夜中の部屋に、雨の音が漂っていた。
「じゃあ始めるかー。完璧に導くから安心しろな。それより着地点だ、クリス」
「うん、大丈夫。把握してる」
彼の、祖母の元へとこれから導かれる。
――こう言うの、初めてだな……なんか、私だけ?
ふたり共、まるで経験があるみたいな会話をしていた。
――私はアトラクション気分なんだけど……ドキドキするな。
歩かない移動。
勇気の言う〈ズルい事〉……。
どう言う事なのだろうか。よく分からない。
でも、これから分かる。
彼らと一緒に行くのだ、自分は。
「じゃあ目を閉じろ。そしてイメージするんだ」
――イメージ、か……イメージね。よし来い。
「ここは宇宙空間。お前の目に映るのは無限の星々と、そこに立つ俺」
――え。ゆうちゃん? ま、いいか。
夕貴は言われるまま、星の中に立つ勇気を想像した。
「お前達から見て、俺の左横にはオブラートのような〈薄いもの〉が積み重なっている。それは無限で永遠の数だ。でもまぁ、そこまでイメージするのはメンドいから、俺の身長分くらいかな……オブラートが積み重なり、俺の左横に在ると思え」
――な、なにそれ……想像しろって言うなら、想像するけどさ。
「オブラートは直径五メートルくらいな。結構デカいんだよ」
――五メートルって車……横から見たセダンくらいかな。
「その束へ俺は右腕を伸ばし、どれでもいいから一枚だけ引っ張り出す。肘を曲げて引っ張る、ワンアクションな。全部は取り出さない。摩擦が無いからスルリと抜けるし、それは実はオブラートではないから、破れる事も無い。薄くてペラペラで、無数の中から俺が選んだ〈一枚〉だ」
――ふんふん、なるほど。で?
「で、俺はお前達の方に視線を向け、左手を差し出す。ふたりの方に」
――なるほど。こっちに。
「お前達は俺の左手を取るんだ。隣の奴の事は気にせず、遠慮もするな。〈俺〉と〈お前〉――二者間のアクションだから間違えるな」
――間違えるほどの難しさじゃないけど。でもクリスの事は気にしなくていいのね。
「ほら、おいで」
勇気の声で言われると嬉しい言葉に、胸がきゅんとなる。
彼の差し出す左腕を、夕貴は両腕で、抱きしめた。
――……あ。いつもの勇気の感触だ。
宇宙空間だろうが単なるイメージだろうが、それは変わらない。
本物の、勇気の感触。
指が知ってる、大好きな感触。
「このまま大人しくしておいで。降りるからな」
勇気の腕に抱かれると、彼はそのオブラートの中へ、上から飛び込んだ。
夕貴はまだ目を開けていないのに、それが理解出来た。
見えた、のだ。イメージの中で。
――そうかこれが〈イメージ〉なのね……。
「そろそろ目を開けていいよ。どうだ? イメージで見えていた景色の〈続き〉に、ちゃんと見えてるだろう?」
下から吹き上げるかのような空気抵抗の中、少しずつ目を開く。
夕貴は視線を、ゆっくりと動かした。
遥か下方に見えるのは森林に覆われた山肌と、穏やかな丘陵の山道と草原。
麓にはそれなりの集落と、山間に佇む西洋屋敷がポツリポツリ。
集落は〈村〉と言うほど、こじんまりとはしていない。
だが都会なわけではなく、地方都市、と言うほどでもなかった。
何だか不思議だ。こんなにも高い場所から、落ちながら、下界を見ているのに……怖くない。
夕貴は高い所がどちらかと言うと苦手だったが、それでも怖くはないのだ。
これまでの行動やシチュエーションが、現実離れしているからだろうか。
――向こうに見える町の建物、何千個くらいあるんだろう。クリスのお祖母さんって、やっぱり病院に居るのかな。
「あれ? おい、クリス」
夕貴はハッとし、クリストファーの方を見た。
彼も勇気の〈向こうの腕〉に抱かれ、下方を見ている。風で髪が舞い上がり、目も見づらそうに細めていた。
「い、いやだって僕、ちゃんと……あれ? おかしいな……ちゃんと〈お祖母様の元へ〉って意識向けてるのに」
「でもお前、このまま降りると山の中だぞ。もしかしてばーちゃん、自宅に居るのか?」
「えぇ? 姉からの電話じゃ、病院だって……あれっ?」
オロオロするクリストファーを、勇気がシラッとした視線で見ている。夕貴はよく分からないので、深く思う事はなかった。
眼下に広がる景色は確かに異国のもの。日本では見られない景色だ。
まず山の気配からして違う。植物の種類が違うのだ。
それに建築物も全体的に白く、南イタリアなどにありそうな感じだと思えた。
――穏やかな気候の海かぁ、綺麗なんだろうなぁ。だいぶ落ちたから、もう海、見えないなぁ。
「下に見えている古城……お祖母様の実家だ」
――古城って、お城っ? 何それ、嘘でしょ?
城と言えば要塞だ。戦争の時に活躍する建物。
下に見える建物は、とても大きくて古そうな、でも単なる西洋建築物だった。
広い敷地の中に建っているのだが、その敷地に大砲が設置されているわけでもなく、砦が築かれているわけでもない。
と言う事は、もうひとつの方の〈城〉――貴族の屋敷と言う事か。
夕貴は千葉にある、ノイシュヴァンシュタイン城がモデルのお城を思い出していた。
テーマパークのお城は〈大きく見えるように〉設計されているらしいのだが、それでも大きいものは大きい。
下に見える屋敷が、あの質量に負けているとは思えなかった。
けれど周囲との比較で考えると、自分の脳が正確な大きさを導けているとも思えない。
正直、よく分からないけれどとりあえず大きい。と言うのが一番正しい感想かも知れない。
――そう言えば。
夕貴は、クリストファーが日本で暮らしている部屋の事を思い出す。
――確か分譲マンションって言ってたな。以前、お兄さんとかお姉さんが留学した時に使っていた部屋だって。
セキュリティのシッカリした、かなりの高級マンションだ。
庶民の感覚で言わせてもらうと、中学生がひとりで使っていい部屋ではない。メインダイニング以外にもベッドルームが六つくらいあるようだったし、家具や調度品も立派な物しかなかった。
――あそこ、何千万円?
マンションの相場価格など、よく知らない。だが八桁の数字がチラリチラリと脳裏を横切る。
――億、って事は無い……よねぇ。いくら何でも。ははっ。
だが、これで分かった。
クリストファーは、単に〈いいとこの子〉ではないらしい。
〈いいとこ〉具合が、自分の想像を超えていたのだ。
――と言う事だよ、ね。
そう言う環境の中。
実の家族から冷遇されるのって、どんな気分なんだろう。と夕貴は想像しそうになったのだが、慌てて止めた。
クリストファーに申し訳ないような気が、して。
「あそこに照準合わせてたのか、お前」
「そんなわけないよ、だってお祖母様の居る所じゃないと会えないじゃないか。会うため来たのに」
「けどお前……まぁいいけど、あそこに降りたら町までの移動は、結構かかりそうだぞ。徒歩しか無いだろ」
「それは……そうかも、だけど……なんでこうなったんだろう」
「なんでってそれは、クリスがドンクサいから」
クリストファーの、息を飲む音が聞こえた。
「ゆ、ゆうちゃん」
「うっあのえっと……ゴメン、クリス」
「いいんだ、あはは……っ」
そう言っている間にも高度はどんどん下がり、数秒後。
山の中腹に降り立った。
さくり、と草を踏む感触がある。
――あ。靴ちゃんと履いてた。
地上から見るそこは、やはり〈屋敷〉なんてサイズではなかった。
――うちの学校の本館と新館と体育館とクラブハウス合わせた……くらい、か?
やはり海外の土地や建物は、ダイナミックだ。日本の建築物とは比べものにならない。
日本ではあらゆる機能が技術により、とてもコンパクトにまとめ上げられている。
普段意識した事はないが、機械や車がそうなのだから、建物もそうなのだろう。
それに、この城が造られた時代と夕貴が生きてる現代日本では、色々なものが違い過ぎる。
何もかも、簡単に比べていいものではない。だが。
――日本で見かける高級マンションなんて、まるでオモチャだな。でもこのお城、ちょっと雰囲気が怖い。あまりにも大きいから、威圧感あるのかな。
外壁には陽射しが降り注ぎ、決して暗くはない。だがいくつも見える窓の奥は暗く、バルコニーも古色に見える。今にも落下しそうだ。
「おー。古いなー、すげぇ」
「うん。何代住んでたのかはよく知らないんだけど、とにかく古いみたい」
「父方の方が身分高そうな話だったけど」
「身分て言うか……う~ん。父の実家はもっと開けた、港町の郊外にあってね。ここより政治も文化も経済も盛んな所なんだ。この土地を、祖父が治めるためここへ来たって聞いた。当時は情報も隔離された本当の田舎町で、ここを〈使える土地〉にするため、だとか何とか聞いたような気がする」
「で、ばーちゃんと出会ったのか」
「だろうね。外から突然やって来て、強引に町を改革し、お金は回るようになったらしいけど。当時はうちの、地元での評判はよくなかったみたい。でも詳しい事は知らないんだ。家族の誰も教えてくれないし、他人も僕には言わないしね」
――家族だけじゃなく他人も、クリスにはよそよそしかったのか。それじゃ本当に寂しいよね……。
日本でクラスメートに甘えまくるわけである。
「お前、じーちゃん好き?」
その問いにクリストファーは数秒、考えてから答えた。
「分からない。でも日本に行けたのはお祖父様のおかげだから、それは感謝してる。あの人が日本人を好きだと言うのも、勉強して来いと言うのも納得出来た。だからお祖父様の評判は悪いけど、もしかして悪い人じゃないんじゃないかな、って最近思い始めてる。それも全部、日本で巡り合ったみんなのおかげなんだけどね」
「そうか。そんな風に複数の視点が持てるようになったのは、よかったな」
「そうだね」
「助かったろ」
「うん。苦しさが少しは減った、かな」
「よかったな」
「ん……ありがと、ユウくん」
「いや、俺別に何もしてないし」
「でもそうやって僕の気持ちを認めてもらえるのって、嬉しいんだよ。だから、ありがとう。ヘンじゃないでしょ?」
「そうだなー。まぁな」
ふたりの仲が良くて、夕貴もほのぼのと嬉しくなった。
今のクリストファーに対して勇気が、イヤな言葉を投げつけるような男ではない事が、とても嬉しい。
誇りに思える。
「じゃそろそろ行くか。てかここ、時差何時間だ? 今ってサマータイムだろ」
「大雑把にマイナス七から八時間くらい、かな。もうちょっとあるかも」と小首を傾げ、クリストファーは呟いた。
夕貴がベッドの中でスマホ見た時が深夜零時過ぎくらいだったから、ここももう夕方と言う事か。
そう言えば太陽の位置も、角度があるかも知れない。光の色も少しは赤みを帯びているような気がする。
「早く病院に行かなきゃ」と夕貴は慌てた。
――って言うか、ここから走って面会時間に間に合うの? この国の病院でも、面会時間とか決まってるのかな。
その時、勇気が不意に背後を振り返った。
そして何かをジッ、と見つめている。
夕貴はドキンとして「なに?」と呟く。
「何かに呼び止められた。やっぱり〈ここ〉でいいみたいだな」
背筋がぞわん、と震える。
「そっか。ならよかった」とクリストファーも微笑み、呟く。
「本当にそんなもの、なんだね」
「そりゃそーよ」
「ドンくさいって言ったの、ユウくんなのに」
「悪かった。ごめんなさい」
「気持ち悪い……」
「はぁ? 素直に謝ってるのに、そんな事言う?」
「いやあの、本音ダダ漏れでごめんなさい」
「腹立つわー、お前」
――うるさいなぁ、もぉ。
「で。どうするのよこれから」
勇気は「ん~」と数秒、考え込み。
「ちょっと敷地に入らせて貰いたいんだけど、いいか?」
「いいけど、何かあるの?」
「いや、入ってみなきゃ分からん。だから行く。夕貴は待機、クリスは俺と来い」
「え、ひとりでぇ~? クリス連れて行っちゃうのぉ?」
「不法侵入とかしたくねーもん」
それは本音だろうか。いつもの勇気なら気にしないような気がするけれど。
――ううん。ゆうちゃんが気にすると言う事は、気にする理由があるんだ。私をここに残して行く、と言う事にも、理由が。
夕貴には何の能力も無い。ただのお荷物だ。分かっている。
それをわざわざ連れて来てくれたのに、残して行くなんて。
もしかして〈中〉は、危険、なのではないか?
「あ、あのゆうちゃ……」
――ちょっと怖くなってきちゃった。
「心配するな、すぐ戻って来るから」
――で、でも。
軽く動揺していると、勇気が近寄って来てくれて。
抱きしめてくれた。
「本当だって証明するため、お前に少しだけ〈見せて〉やる」
「えっ?」
「目を閉じろ」
言われるまま、抱かれたまま。
夕貴は目を閉じた。
額の部分が突然、強烈に熱くなってゆく。
「あ、あのゆうちゃん……頭の中がもわもわして、気持ち悪くなって来たんだけ、ど」
「もう少しだ、それくらい我慢しろ」
「だけど……クラクラするよ」
「俺達をムダに心配するよりマシだろ」
それは、そうなのだけれど。
「心配するな、と言ってもムダだと判断したから、コレしてるんだからな。他所の土地で、お前のフォローまでしてられない」
「う、ごめんなさい。我慢します」
何分くらい経過しただろう。三分だろうか、五分だろうか。
自分では分からないほどの間、我慢させられ、やっと解放された。
勇気に腕を引っ張られ、近くの木陰に座らされる。
――うぅ~っ。デコが気持ち悪い! デコが気持ち悪い! デコが気持ち悪い! デコが気持ち悪いぃ!
夕貴は両膝を抱え、俯いて目を閉じた。
「じゃ、しばらく休んどけ。俺ら行って来るからな」
「ユキちゃん、あの、すぐに戻って来るからね。ひとりにしちゃうけど、ごめんね」
夕貴はふたりに手だけを振り返した。
もう、気を使うどころではない。
強烈な乗り物酔いになってしまったような、最悪なコンディションである。
――ゆうちゃんの、ばか。




