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闇の法衣

  魔女が支配する薄暗い空間に赤い帯をゆらめかせ、(むち)にも負けない速度で槍を数度突き入れると、ダボつく黒いローブがその数だけ波打つ。続けて振り下ろした槍の先端が魔女の左肩から斜めに斬り裂いた。


  直撃だった。だが血しぶきが上がるようなことはない。


  手応えがあるのかはヘルトにしかわからないがその攻撃が止むことはなく、魔女が作る侵入不可侵と思える破壊の領域に何度も飛び込んでいった。


  英雄ヘルトの善戦を離れた場所で見ている街の仲間のざわめきの声は、この攻勢に声援を送っているのかと思えたがどうやらそうじゃないらしい。


 ふたりの闘いに注意をしながら様子を伺うと何かパニクっているように見える。


 『妖魔が現れたのか?!』


  そういえば、あれほど湧いていた妖魔は魔女が現れてから1匹も湧いていない。この地に眠る邪念から妖魔を生み出すというのが魔女の能力のはずだ。


  そんな違和感を感じるさなか、ヘルトの掛け声でさらに強く赤く濃い光を纏った体が槍と一体化して魔女に突っ込んだ。


  「がっ」


  それを見ていた俺の視界の下方から突然眩い光が発した途端、胸に強烈な衝撃が走って後方に20メートルも吹き飛ばさていた。


  『なんだ?』


  いつ攻撃を受けたのかわからない。魔女はヘルトの猛攻で俺に攻撃をしたようには思えない。闘いに意識を向けていた死角を突かれて妖魔の攻撃を受けたのか?


  ざわめきの収まらない人波のそばまで飛ばされた俺にパシルが不安顔で走り寄ってくる。


  「ラグナさん大丈夫ですか?!」


  不意を突かれた一撃だったが鎧のおかげで大事には至ってない。


  「油断した。魔女に気を取られて妖魔の攻撃でも受けみたいだ。そっちも何かあったようだけど大丈夫か?」


  胸部に受けた衝撃によって呼吸を乱しながら俺は混乱めいた人たちに視線を移した。


  「それが、何人もの人が見えない何者かに襲われているんです」


  「妖魔なのか?」


  「わかりません、何かの武器で受けたような傷です」


  起き上がって倒れている人を見ると鋭い何かで突かれた跡や大きく斬り裂かれた傷を負っている。


  「まさか、ビートレイの言っていた潜入している奴の仲間の仕業か」


  少し離れた場所で立っている4人を睨むとビートレイは首を素早く横に振った。


  「ぐぁっ」


  またひとり見えない攻撃を受けて倒れた。


  「くそ、誰だ。どこに潜んでいる」


  ビートレイの裏切り、魔女の復活、仙人ハムの暴走に続いて、今度は見えない敵の出現。みんな不安を抱きながら辺りを警戒しているが、ひとり、またひとりと傷つき倒れていく。


  ふと目に入った俺のそばで治療を受けている人。懸命な治療を施してはいるが、この肩から斜めに斬り裂かれた傷はかなり深い……。


  「まさか……?!」


  突如頭に浮かんだ最悪の想像に俺は背筋を震わせ思わず声を漏らした。


  「パシル、お願いがある」


  「なんでしょうか?!」


  俺に肩を揺らされた彼女は目を大きく見開いた。


  「ヘルトが闘い始めてから腕のここに傷を負った人がいないか探してくれ」


  「はい?」


  「頼む、急ぎだ」


  言葉足らずだったとは思うがそう説明して俺はヘルトの闘う場に戻った。


  「誰か、腕を切られた人はいませんか?」


  パシルが探してくれている間に、俺は視線闘いに移し、そのことを確認するために感覚を研ぎ澄ませて観察した。そしてすぐに、最悪のその想像は確信に変わる。


  「ヘルトーーーー!」


  引きつる腹に力を込めて名を叫ぶ俺の声を聞きき、何かを察したのか後方に大きく距離を取った。体を包んでいた赤い発光は消えている。肩で息をする様子からも体を相当酷使しているとわかった。


  「ラグナ大丈夫だった? 何か攻撃を受けたようだったけど」


  「あぁ強烈なヘルトの攻撃を受けたよ」


  「なんだって?」


  「魔女への攻撃は俺や周りにいる人たちに跳ね返っている」


  彼の視線はすぐに仲間たちの方へ向き、傷つき倒れる人をその目に収めた。


  「それじゃあいつを攻撃できないじゃなか」


  悪化した状況にヘルトが奥歯を噛みしめると、そこにパシルが走り寄ってきた。


  「ラグナさん、確認しましたが腕に傷を付けられた人はいませんでした」


  「パシル、みんなは大丈夫か?」


  自分の攻撃で傷ついた人を心配して彼女に詰め寄る彼にパシルは小さな声で返した。


  「20人以上の人が何者かの攻撃を受けて、そのうち4人が命を落としました」


  「そんな!」


  パシルの返答を聞いてヘルトの覇気が小さくなる。


  「切り替えよう、どうしようもなかったんだ」


  「でもどうして僕の攻撃がみんなに」


  「それはたぶん」


  ラグナは自分が考えた可能性を話した。


  「さっき飛ばした黒い(つぶて)のせいだって?」


  「たぶんだけど。それを受けた者に呪いが付与されたんじゃないかな。俺も受けたんだ。そしてヘルトの突きがここに……」


  俺はまだ圧迫感のある胸を撫でた。


  「だったら、その呪いがある限り僕たちから手は出せないじゃないか」


  ヒラヒラと舞いながら俺たちの苦悩を見て魔女は笑っている。


  「大丈夫、呪いによって攻撃を移すのは呪力で作られたあの黒い法衣だ。最初に不意を突いて俺が付けた腕への傷は誰にも移されていなかった」


  「魔女への攻撃が我々に移されていたのですね、それで腕に傷を受けた者がいないか調べろと」


  まったく光を反射させないような漆黒の法衣。まるで底なしの穴だ。


  これがひとりの妖精の念がもたらしたモノだと思うと聖霊になりそこねた魔女の力は末恐ろしい。もしかしたら、ヘルトにノラの話をすれば、優しい彼は同情してしまうかもしれない。そうなれば魔女に勝利する術を失ってしまう。


  「俺があの闇を祓ってやる」


  そう言葉に発して魔女を倒すという確固たる意志を示さなければ、俺も心が揺らいでしまいかねない。


  ウラがくれた妖精の秘薬のおかげなのか、かなりの力が回復している気がする。例えそれが勘違いだとしても今はそれに乗っかりたい。


  「さっきの赤く光る強化術をもう一度やれる? 祓うにあたりあの(むち)をどうにかして欲しいんだ。あれを(さば)きながら法術を使うのはちょっとね」


  「モード・ファイガルだね。もう2回使ってるからどのくらいの時間かによるけど、使えて1回か2回だな。あの攻撃に対処するには使うしかないのだけどさ」


  ヘルトは槍を横にして構えた。


  「その法術を発現させる距離は?」


  「5メートル程度の距離に近付いて魔女の真下に陣を描く。その場に3秒留めて欲しい」


  「なかなか厳しい注文だな」


  「術の発現後にも力を流すには近距離である必要があるんだ」


  「了解した。行くよ、モード・ファイガル」


  槍に紋様が浮かんでヘルトの体が赤く淡い光に包まれる。


  「パシルはみんなの治療を頼む。この闘いが終わったらいっぱい謝るから」


  「でしたら絶対に無事に戻ってきてください」


  その願いに笑顔で応えたヘルトは、踊るように鞭を操る魔女に再び向かって行く。俺はその背に俺は追従した。


  「おおおぉぉぉぉぉ」


  魔女の鞭にも劣らない槍の大旋風が音速に達するむちの先端にも負けずに跳ね返す。


  ときおりそれをすり抜けて飛んでくる強鞭(きょうべん)の1撃を弾きながら、俺はヘルトが作る槍の結界に身を潜めて付いて行く。


  俺の中では高めた法力によって魔女の法衣の呪力を祓う法術を錬成していた。


  あと2メートル、距離が近づくにつれヘルトの被弾も増えていくが、槍の結界の勢いは衰えない。


  左の肩当が吹き飛び脇腹の血しぶきが俺の顔を打った。


  超人的な機動力を生かした闘いをすれば、こんな傷を受けずに済んだであろう。


  「大丈夫か?」


  「みんなの痛みに比べればなんてことない!」


  気勢に合わせて詰め寄り一方のむちを槍に絡ませ、肩に直撃したもう一方の鞭が背中で弾け、その衝撃で防具を叩き割った。


  しかし、ヘルトはうなり声を漏らしながらもそのむちをがっしりと掴んで自分に引き寄せる。


  「頼む」


  苦痛に歪む顔と声の叫びを受けて、俺は左手をかざした。


  魔女とヘルトの足元に法術陣が描かれて流れ込んだ輝力によって輝きを増す。


  魔女を拘束するために倒れそうになりながらも必死で鞭を掴む彼に冷たい笑みを送る魔女。


  3秒という短くも長い発現時間を経て法術の光が立ち上りヘルトを包んだときには、魔女は陣の外に立ち退いていた。


  「そんな」


  袖から延びる漆黒の凶鞭は切り離され、俺の作った法術陣の光の中で消えていく。

  『してやったり』と言いたげな笑みをこぼす魔女を見ている俺の表情が、魔女にはどう見えていただろう。


  「セイング・プリズン・ブレイカース」


  後方に退く魔女の上方に描かれた法術陣から発せられる光。その光に囚われた魔女は、常に崩さなかった薄ら笑いを消す。『解呪』と違い力任せの『破呪』の法術ならば俺にもどうにかなる。


  光の中では黒い霧が立ち込め消失し、魔女を包んでいた法衣は闇に続く穴のような黒から紫へと変わっていった。


  「るぅらぁぁぁぁ」


  反響したような声は苦しみか苛立ちか。まんまと俺の戦略に引っかかった狂気の魔女は、弱まる陣の光から出ようとその境界に両手を叩き付ける。


  「悪いが俺たちのターンはまだ終わってない」


  その声が聞こえたかどうかわからない。


  魔女の顔が引きつったように見えたのは、奴が退いたひとつ目の法術陣の中で、ヘルトが腰を落とし槍を引き絞っているのを見たからかだろうか。


  「ありがとうラグナ」


  最初に描いた陣は魔女の法衣を剥ぎ取る陣ではなくヘルトの傷を癒す回復の陣だ。


  「エイショウイッセン」


  静かにささやかれた闘技の名。体を包む赤い光が烈火のごとく燃え上がり、炎を纏った光弾と化したヘルトが砲塔から発射されるように撃ちだされた。

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