『グラン』の法文
「うらぁぁぁぁぁ」
振り下ろされる拳撃や爪撃を体捌きでいなす。俊敏性はあるが機動力はそうでもないため、肉弾戦は不利でも中近距離戦闘ならやれないことはない。
ハムの天を貫くほどの雄叫びに合わせて大地の波動が俺の真下から吹き上げた。法術で言えば【ガイア・マグナー】だ。高圧・高熱の力を受けた俺はその荒ぶる波動の中から打突型の法技を使って飛び出した。
「ヘビー・プレッシャー」
鞘付きの剣でも法技の打突力は変わらない。突き出した剣はハムの前腕に当たりドンという衝撃音を発してハムを後退させる。
『ハムの放つ精霊術は鎧が打ち消してくれる。この優位性をいかさない手はないぜ』
遠間で振り上げた腕に纏われた渦巻く風を見て次の攻撃を察した俺は、素早く法技を錬成する。しかし、その振り下ろされた爪撃は俺ではなくウラに向かって撃ちだされた。
「メガロ・ザンバー」
こちらも飛ぶ斬撃でそれをギリギリ迎撃。危うく斬撃ごとウラに当たるところだった。
「もう一発!」
振りぬいた剣をもう一度横一線で振り、斬撃はハムに向かって飛んでいったが、何かが弾け飛ぶ波動と音が聞こえた。
『大地の護りを使っているのか。あんな強力な防御法術が法文なしで使えるってのはズルいよな』
自分の鎧を棚に上げてそんなことを思ったが、俺の鎧の護りは輝力あってのものだ。その輝力も何度か使った法術法技やウラの解呪の法術錬成のお補助、それに、さきほどハムから受けた乱撃に対する防御などでかなり消耗していた。
精霊を使役する聖霊仙人の力に限度があるのか知らないが、持久戦は戦況的にも体力的にもこちらが不利。ウラは後ろで身構え好機を伺っているが、俺は彼女が近寄るだけの隙を作ることができない。
護りに入らないハムはガンガン前に出て来て攻撃してくる。2メートル強の体から繰り出される連撃は短調であるようで的確だ。速く、重く、絶え間ない。以前アムが俺に憑依して闘った経験がなければ付け入る隙など感じ取れず、あっという間に制圧さえていたことだろう。
近づけば目まぐるしく繰り出される攻撃を受けてはかわし、打っては捌き、前後の動きで距離を調節しながらチラチラとウラを確認しつつ、アレを錬成する機会をうかがう。
剣を握ったまま防御する右腕ごと脇腹に強撃をもらい、一瞬呼吸を止められて側方に弾かれる。離れたところに反対の腕が横に払われると炎の壁が燃え上がった。
「ぁっつぅぅぅ」
たまらず数歩後ろに下がったところに炎の壁を飛び越えたハムが両腕を上げて降って来た。そのまま叩き付けてくる両腕をすんでのところで身を引いて跳び下がる。
土砂を巻き上げるほどの大振りの一撃をかわしたことで法術錬成の時間ができた。
大きな法術を錬成するのに5秒は時間が欲しかった。後ろに下がりつつ疲弊した心力から輝力を生み出し法力として増幅。この慣れない法術を素早く正確に錬成するのは難しい。
錬成に7割、ハムに3の割合で向けた意識の中で、地面を叩いたハムが両手を軸に体を前転させたのを感じたが、錬成直後の無防備な状態では動きは察知しても対応する余裕はない。そんな俺をハムの前転蹴りした両の足が顔と体を蹴り抜いた。
獣特有の強靭なバネから生まれた蹴りは強力で、その力を打ち消すために鎧が激しく光を散った。今の俺が打ち消せる力を超えているため意識が飛びそうな衝撃が俺の体の芯を揺らすが、苦労して錬成したこれを消さないことだけに意識を集中する。
後方に蹴り飛ばされる俺にその勢いのままに襲い来るハムは、空中で俺の体を左手で掴む。着地と同時にハンマーのようなその右腕で叩き潰すつもりなのだろう。その腕は氷塊を覆わせて文字通りハンマーとなった。
『掴んでくれるのは好都合だ』
今、俺が錬成した法術は離れた相手には飛ばせない。とりわけ難しい法術はなんとか組み上がっていた。あとは発現させるだけだったが、ハムに近付き密着する必要があったのだ。
「ヴォルド・ショック」
地面に叩きつけられながらも胸部に添えた手から法術を打ち込んだ。雷撃とまではいかない電撃の法術だが錬成が非常に難しい。
この法術の元になったのは小憎らしい奇跡の闘刃リンカーの特殊能力である【プラズハ・ルード】という電撃結界による拘束技なのだが、俺の法術は衝撃と一緒にわずかな電撃を流す程度の代物。拘束するなど無理なのだが、一瞬怯ませられればそれでいい。
瞬間的な硬直、思考の停止、防御の反応の遅延。なんでもいいのでそれらを起こしたかった。
すでに眼前に迫っていた氷塊は若干勢いをゆるめながらも俺を打ち潰し、残り少ない輝力によって奇跡の鎧が光を放つ。大地と氷塊に挟まれ逃げ場がないぶん打ち消しきれなかった力が再び体の芯を震わせた。
「うぎぃぃぃ」
光の中でその衝撃に抗う声が口から漏れると、その光に隠れて別の光が俺たちを包んだ。
「セイング・カーサルヴ・ピラー」
一瞬の隙をついて間合いに入ったウラが絶妙なタイミングで接近して解呪の法術を発現させたのだ。
地面に落ちた俺たちを囲う法術陣から光の柱が垂直に伸び上がる。発現前に陣から退避されてしまっては全てが水の泡になってしまっていたが、俺もろとも見事にハムを囲い込んだ。
膨大な陰力を魔女の呪いごとその身に取り込んでしまったハム。そのハムを助けるために使ったのは破呪ではなく解呪の法術だ。
解呪のリスクは同調によって術者も呪いの影響を受けかねないこと。ウラは呪いの浸食に抵抗しつつ、ハムにかかった呪いを解いている。
破呪はその輝力によって呪いを破壊するが、呪いを受けた当人をも傷つけるため、浸食が深いほど生存率は下がってしまう。ウラとふたりで錬成した上級解呪の法術は、魔獣化してしまったハムの呪いを解くことができるのか?
俺は氷塊を押し付けられたまま身動きができないがハムも動きを止めている。
「だめです」
ウラがそう言葉を漏らすとハムもゆっくりと動き出した。
「もう一歩力が足りません」
解呪をしつつ己が輝力を振り絞るウラにも浸食と思われる陰りが見える。
本来ならウラの手を握ったまま術を行使するつもりだったのだが、ハムの攻撃に対応しながらは困難だった。
動きの止まった今ならチャンスだが、残った輝力を放ったとしても疲弊しきった心力と鎧に残った一握り程度の輝力で、どれだけの助力となるだろう。
「あ、ああ」
苦しみからこぼれたウラの声に限界が近いことを悟った俺の頭にある記憶がよみがえる。
※※※
「【グラン】の法文を完成させたのはラディアだぞ。おまえたちに出会う前から精霊に頼らない自分の力だけの法技を作り出そうと試行錯誤した結果、【グラン】【ファイス】【ブレイバー】の3つの法文を組み上げた」
イーステンドからの旅の途中で闘いに関する指導を受けた際にアムが言った言葉だ。
「力の極限拡張の【グラン】、わたしの中の闘志や心力を直接破壊力に変える【ファイス】、その力をさらに高圧の刃と化して斬撃力に大発現させる【ブレイバー】。組み上げた自分で言うのもなんだが、あの超ド級高等法文のひとつを高速錬成させられるのはキミだけだ。今のわたしでもそうはいかない。奇跡の鎧ラディアだからこその完成した法技だよ」
『おれがいなきゃ敵をぶった切れないんだぜ』
俺を褒めるアムに対して嫉妬のこもったアピールをするリンカー。
「もちろん【ブレイバー】の法文を高速錬成した上で、最終的に発現させることができるのはリンカーだからな。頼りにしてるよ」
『わかっていればいいんだぜ。アムの力を受け止められるのおれだけだからな』
ラディアだった記憶はあるのだが、奇跡の鎧の当たり前の能力の使い方はよく覚えていない。あの頃は無かった手足を自由に動かすことができる半面、奇跡の鎧としての感覚を失ってしまったのだ。
「大丈夫、またすぐに操れるようになるさ。そうすればラディアはわたしを超える法術法技を操る闘士になれる」
***
『そうだ、あの法文が使えれば』
アムが超ド級高等法文と言うだけあって、これより難しい法文を俺は知らない。アムに憑依されて使ったときはアムが組み上げるそれを追いかけて錬成したが、いざ自分で組み上げてみるとそれに要する時間はなんと40秒。これ以上短い時間でやろうとすると必ず失敗した。
ウラはそんなに長い時間持ちこたえられそうにない。時間は掛けられないが一か八かではなく必然でなければならい。
きっと必要なのは鎧との同調。俺はこの鎧を着ているんじゃなく俺そのものなんだ。自分の中に潜るように意識が絞られていくこの感覚は、アムの夢だと思っていたあのときのように、ラディアの記憶が主観的に感じる状態だ。もっとだ、もっと深く……
「限界です」
ウラが膝をついて崩れそうになったそのとき、何かを掴んだように繋がった。
「ウラ、俺の手を握れ!」
倒れたまま左手を伸ばし、その手をウラが掴んだ。
「グラン・ハーツ・シンク」
俺の中に残った輝力を極限に拡張してウラに流し込む。
「ウラー!」
名前を呼ばれ一喝されたウラは心力を振り絞り再度法術に力を注いだ。かざした両腕の呪いの浸食は消え、解呪の法術の光が強まった。
ゴリゴリと氷塊を押し付けていたハムは高純度、高圧力の輝力を受けると再び動きを止めた。
「掴みました」
高らかに叫んで握った腕を引き寄せると、ハムの中からウネウネと多数の触手を生やしたドス黒い霧の塊が分離し、ウラはそれを後ろに倒れながら放り投げた。
「やりました。でも、もう動けません」
ハムが覆いかぶさるように倒れてしまったために俺も動けない。
呪いは地面に落ちることなく空中で止まると気味悪くうごめいていたが、ゆくりと動き出しこちらに迫って来た。
「また取り付くつもりか?!」
あれだけの輝力を受けて解呪されたにもかかわらず、まだ力を残しているのだから、解呪が成功したことは僥倖とさえ思えてしまう。
全精力を使ってようやく引き剥がしたモノが、再びハムに取り付くようなことがあれば、もう解呪する力などない。
「ちくしょう……」
「ハムにゃーん」





