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動転

  牙を剥き出して天をつんざく咆哮を轟かせるハム。その屈強な姿はこの街に建てられた聖霊仙人をたたえるハムの像とは比べものにならないほど大きく凶悪だった。なによりみなぎる力は聖霊仙人とは真逆の負の力で溢れており、ハムの心は仄暗ほのぐらい闇の中でかろうじて光を灯している状態だ。


  なぜハムがこんなことになったのか? ウラは魔女の封印が解ければハムの力は戻り、その力で妖魔を討つと言ってた。


  ウラは青ざめた表情で巨体を屹立きつりつさせたハムを見上げている。


  魔獣となったハムは一度辺りを見渡すと、俺の胴回りほどある太い腕を持ち上げた。


  「あぶねぇ!」


  ダイナーさんが飛び込みウラを抱え込むと、魔獣と化したハムの豪腕が彼の背中をぶっ叩き、二人まとめて打ち飛ばした。


  「こいつ!」


  ヘルトは槍を構える。


  「やめてー」


  ウラの叫びに動きを止めたヘルト。ハムの前に法術陣が現れると開かれたその口から吐き出された炎哮えんこうが、威力と範囲を拡張して吐き出された。


  「レップウジン・ショウ」


  その炎に巻かれる中で闘技を繰り出すヘルト。体の周囲に巻き上がる風が炎を上空へ吹き飛ばした。さらに槍を地面に突き刺して砂を巻き上げ、魔獣となったハムを包み込んで視界と行動を遮る。


  ハムの攻撃に周りにいた法術士団は何人も巻き込まれ、ヘルトも防ぎきれなかった炎によってその場に膝を付くのだが、すぐに立ち上がって叫んだ。


  「補給部隊は負傷者を連れて塔まで退避。残った戦力でこいつを倒す」


 ヘルトの指示を受けて一斉に部隊が動き出す。


  「おいヘルト、あれは聖霊仙人様だろ?」


  「そうだ、それを倒すって」


  暴れ出した魔獣の正体を知っているノーツさんとサウスさんはヘルトの指示に即時対応できない。


  「こうなってしまった以上あの魔獣は街の脅威には違いない。魔獣化、妖魔化した仲間を討ってきた僕たちだ、仙人様だからと言って見過ごすわけにはいかない」


  街の存亡を背負ったリーダーの割り切った考えに、ふたりは口ごもりつつも頷いた。


  「だれか、この人の治療を」


  ウラが小さな体でダイナーさんを背負って戻って来た。


  背中が大きく引き裂かれてしまっていて骨にも損傷があるだろう。その傷は急いで治療しないと命にかかわる重体だった。


  俺は意識を失っているアムを背負いながらウラとダイナーさん支え、いまだハムを囲っている竜巻から急ぎ離れる。


  ヘルトたちは退避している部隊から治療班を探すが、部隊は大わらわですぐに治療してもらえる状態ではない。


  そこに、ヘルトたちの呼び掛けを聞いてパシルがやってきた。


  「ダイナーさん!」


  彼を見たパシルはその怪我の酷さに息を飲んだ。


  「急いで水を、タルごとでいいです」


  一緒に居た仲間に指示を出してすぐにタルが運ばれ、パシルは傷口に水を掛けて洗い流し、すぐさま治療法術を施した。


  「ヒリリング・ライブタル・ケアリオーラ」


  「それは上級治療法術じゃないか」


  神官や治療専門の医者が使う高位治療法術で、自らの生命力を利用し再生と体力回復を同時におこなうことができる。


  「ですが、私では長くは続かないので、命の危機を脱するところまで回復できるかはわかりません。それに陰力の汚染もかなり大きくて」


  「俺も手伝う」


  決して治療法術が得意なわけではない。でも下級治療法術しか使えなくても出力と陰力汚染の消去ならそこそこ自信がある。


  「パシル、ラグナはダイナーさんを頼む。僕らは魔獣を討つ。行くぞー、魔女が動き出す前にあいつを倒すんだ!」


  ウラが施した法術陣は力を失いつつあるものの、いまだ魔女を鎖で縛り付けている。


  ヘルトの掛け声を受けて、残った戦力が魔獣となったハムを取り囲んだ。


  「頑張ってくださね」


  冷ややかな声でそういったのはビートレイだった。


  「貴様、逃げられると思うなよ」


  そのビートレイにドスの利いた声でノーツさんが詰め寄る。


  「逃げたりしませんよ、まだ私は見届けないといけないことが残っているので」


  「これ以上おまえの好きにはさせねぇ!」


 怒り任せにビートレイ打ち込んだ剣が甲高い音を上げて弾かれた。


  「おまえらっ」


  彼の前に立ちはだかた3人の闘士を見てノーツさんは驚いていた。


  「さっき話した私の他の仲間です」


  「アロス、ポルト、アラミン」


  この3人はこの街に来たときに林道でパシルと一緒に風のほこらに向かっていた人たちだ。


  「おまえらも魔女の使徒だったとはな」


  彼らのやりとりの経過を知らないパシルは戸惑いながらそれを見ている。


  「さっきも言いましたけど私たちは魔女の使徒ではありませんよ」


  「ならなんだっていうんだ! なんのためにこんなことを」


  「それは……、秘密です」


  面白がるように笑っている。


  「下がりなさい」


  ビートレイの指示に3人の闘士は彼の横まで下がった。


  「私たちは直接この街の者に何かをする気はありません。ですので、どうぞノーツさんも魔獣や魔女との闘いに参加してください」


  「そんなことが信じられるか」


  「ホントですってば、なにもこの街の人を皆殺しにすることが目的ってわけではないので、あなたたちがそれを阻止するために闘うことになんら問題はありません。むしろそうしてくれて結構です。強いて言うなら今の私の役割はその闘いを観察することですから」


  そう言って両手を広げ四人は数歩後ろに下がった。


  「ノーツさん、ここは大丈夫ですからヘルトのところに行ってください」


  「ちっ、わかった。ダイナーさんの治療をよろしく頼む」


  彼はビートレイを憎々しく睨みつつヘルトを追って闘いの場に向かった。そして、この街の創造主であり人々の救世主であった聖霊仙人と、その仙人を敬う街の人々の闘いが始まってしまった。


  「おい、ウラ」


  その闘いを呆然と立ち尽くして見ているウラに声を掛けるがウラは気が付かない。


  「なぁウラ、ウラってば」


  ようやく俺の声が耳に届き、ウラは悲し気な表情で俺を見た。


  「すみません、私も手伝います」


  ウラは乱れた心によりフラフラしながらも治療に加わった。


  「なぁ、この状況を打破する策はないのか?」


  ウラの表情を見ればそんな打開策があるとは到底思えない。


  「ありません。魔女を倒すために使ったあの力ならハムにゃんを救えたかもしれませんが、それも全て使い切ってしまいました」


  俺たちは横たわるアムを見る。


  最大戦力のアムは倒れ、魔女は復活し、聖霊仙人まで魔獣化してしまった今、俺たちの打つ手はもうないのだろうか。このまま力尽きるまで抗って終わるしかないのだろうか。


  「なぜアムサリアさんは魔女を庇ったのでしょうか?」


  「わからない」


  アムはイーステンドのために命を投げうってまで闘った聖闘女だ。街の人の脅威になるような行動を取るはずはない。


  「考えられるのは魔女を倒してしまうと別の脅威や、より大きな脅威が起こりうるってことなのかもしれない」


  そう語ってウラの方を見ると、背後に恐ろしい気配が現れた。


  ウラの肩越しにこの状況をあざ笑う顔が暗闇からこちらの様子を覗き込んでいて、その目を見た途端に俺の体は石のように動かなくなってしまった。


  「うぐぅ」


  全力で体に力をこめるがまったく動かない。それもそのはず、俺の体は本当に石に成り初めていた。

  『これは魔女の呪いかっ』


  隣でダイナーさんを治療するパシルは気が付いていない。あの視線が石化を起こしてるのかはわからないが、このままではここにいるみんなもやられるかもしれない。


  「ラグナさん!」


  ウラが俺の石化に気が付いた。


  石化は止まることなく広がっていくが、俺に大きな焦りや動揺はなかった。体の内から光が溢れ石化した体を包んでいく。


  「あああぁぁぁぁぁぁ」


  強烈な輝力の光は石化の呪いを打ち破ってウラの背後の影をも消し去った。

  「大丈夫でしたか?」


  「あれくらいの呪いはなんてことないさ。この鎧が現れてくれればだけどな」


  この危機を受けてようやく鎧が発現した。


  「ラグナさん、今の光は」


  眩しさから目を背けていたパシルが俺を見てはっとなる。突然鎧が俺を包んでいたら驚くのも無理はない。そしてもうひとつ。


  「陰力の汚染が消えました!」


  鎧の余剰光によるものだろうか。ダイナーさんの治療の妨げになっていた陰力の汚染が浄化されてたい。


  「これならなんとかなるかもしれません」


  パシルは自分の力量に見合わない上級治療法術を必死で発現させている。俺も再び治療に力を注ぐと目に見えて傷の治りが早くなっていた。


  「もしかして」


  俺は両手をかざすパシルの手を取った。


  「そのまま続けて」


  驚きながらも彼女は俺に従い治療を続ける。


  「傷がっ」


  大量の流血は止まり、時間が掛かる骨の再生が成されていく。明らかに治療法術が強化されていることがわかる。


  「ラグナさん、あなたにこんな力が」


  「俺も初めて知ったよ。この鎧のおかげなんだろうけど」


  鎧の力というより俺の本来持っていた力なのだろう。


  輝力の増幅は奇跡の鎧の特徴のひとつで、他にも輝力の貯蔵、法術錬成の補助、そして、あらゆる攻撃を減衰・無効化するのが奇跡の鎧たる所以だ。


  アムを護り、アムの力を補助・強化する能力がこんな形でも発現するとは幸いだった。同じようにパシルの法術を高めたことでダイナーさんを助けることができそうだ。


  「そうか!」


  このことで良案が閃いた。


  「ウラ、なんとかなるかもしれないぞ!」


  ハムの魔獣化という不測の事態によって魔女の接近にも気が付かないほど平静を失っているウラが首を傾ける。


  ダイナーさんの治療は大きな外傷はあるが重体から重症というところまでは回復した。


  「パシル、あとは頼めるか?」


  「はい、ここまでくれば通常治療法術でも時間をかければ……」


  かなり心力を消耗しているようだがこちらも時間が惜しい。俺は立ち上がりウラの肩を掴んで揺らす。


  「おいウラ、俺の話を聞け。一緒にハムを助けるんだ」

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