追想
それから三日が過ぎた。
突然、俺の寝室に現れたこの女性はアムサリア。二十年ほど前にこの国を恐怖に突き落とした破壊魔獣エイザーグを討ち倒した奇跡の英雄だ。その聖闘女の霊体らしいのだが、なぜか俺にしか見えず、感じず、声も聞こえない。
そして昨日、近隣の町まで繰り出して町一番の法術士に視てもらった結果は、「あなたの妄想では?」と、またしても妄想という言葉を賜って終わった。その他あらゆる手を尽くしたが、どうやっても俺以外に認識することはできずお手上げ状態。
「あんたはいつまでここにいるんだろうな。なんの未練で化けて出たのか知らないけど、こんな真っ昼間に平然としている幽霊って普通じゃないと思うぜ」
俺は大樹の木陰に茂った芝生に寝転がりながら言った。
「ラグナ、こうしてキミと会ってもう三日だ。そろそろあんたじゃなくて名前で呼んでくれても良いのではないか?」
確かにこの呼び方にも違和感を感じるようになっていた。でも、名前で呼ぶタイミングを逸してしまい今にいたっている。
「クルーシルク様って呼べばいいのかい?」
苦笑いしながらそんなふうにトボケてみた。
「それは堅苦しいな。年齢もさほど変わらないんだ。アムサリアと呼べばいいさ」
「あんたはいったい何歳なんだ?」
幽霊に年齢を問う俺って……
「わたしは十九歳だ」
(これがこの国に命を捧げて闘った少女の命数か……)
「わたしの歳がどうしたというんだ?」
「いや、特に意味はないけど。俺と同じ歳なんだな。俺は先月十九になったんだ」
過去のつらく悲しい記憶を呼び起こすのも悪いので、俺はそんなふうに返した。
「そうか。なら、わたしのほうが少しお姉さんだな。わたしはそう遠くない日に二十歳を迎えるはずだった」
寝転がっている俺を見下ろしつつ言った言葉に、ささやかな空気の変化が感じられた。
「あと二年したら俺の方が年上のお兄さんだな」
その変化に抗うべく、ひと言返す。
「人生経験という意味ではわたしも一緒に歳月が経っていくわけだから、その差はかわらないのじゃないか?」
死んでいるのに人生経験? 己の立場を保持する強固な盾を展開させたつもりらしい。
「エイザーグとの闘いから二十年。つまり、もうすぐ四十歳ってことじゃないの?」
盾を貫く渾身の槍!
「そ、そのあいだわたしは存在していなかったのだから、二十年はノーカウントだ」
たぶん俺の勝利だ。
という低レベルなお互いのポジションを奪い合うやりとりをする聖闘女は普通の少女と言った感じだが、両親の戦友を名前で呼び捨てるのはどうなのか。
正直アムサリアなんて物語の登場人物という認識が強い。こんな形で目の前に現れたとはいえ、どういった距離感で接すればいいのか良くわからないのが実情だ。
「あのときのようにアムと呼んでくれてもかまわないぞ」
恐らく負けた仕返しだろう。俺をからかうようにそう言って笑う。これが奇跡の英雄だなんてやはり信じられない。
「わかったよ。なんと言っても国を救ってくれた英雄だし、半年ほどお姉さんだしな。敬意を込めてアムサリアと呼ばせてもらうよ。いつまでの付き合いになるのかわからないけど、よろしくなアムサリア」
「こちらこそよろしく頼む。戦友の息子ラグナ」
お互い微妙に皮肉を込めた挨拶を改めて交わした。
「ともかく現状を打破するためにはどうすればいいか一緒に考えようぜ。普通の法術士の力ではどうにもならないとなると、俺が今思いつくことと言ったら……」
「そのことだがな、ひとつ思い当たることがある」
俺の言葉にアムサリアが被せてきた。
「わたしの未練に関係するかわからないが大切なことを思い出したんだ」
「何を思い出したって?」
体を起こして興味津々に彼女を見た。
「わたしには共に闘った相棒がいたんだ。二年余りのあいだずっとわたしを護ってくれた奇跡の鎧だ。名前はラディアという」
少し悲しげな目で大切な相棒のことを語った。
「エイザーグとの闘いのあとに彼がどうなったのか、わたしには知る由もない。やはりあの闘いで消えてしまったのか、それとも今もどこかに残っているのか」
聖闘女の物語にも奇跡の鎧は登場している。国民から聖闘女に贈られた鎧がアムサリアが危機におちいったとき、神が鎧に聖なる力を与えたと。
その鎧の力によってアムサリアは命を救われ、戦況を覆して民を護った。そして、最後にはエイザーグを討ち取ったと伝えられている。
「ラディア……か」
「知っているのか?!」
俺のつぶやきに反応して彼女は大きく目を見開き詰め寄った。
「あ、いや、アムサリアが現れたときに夢で見たんだ。奇跡の鎧に名前があるなんてこの国の大半の人は知らないと思う。俺は父さんたちから聞いたことがあったからなんとなく知ってるけど、絵本や教科書なんかにはラディアなんて名前は出てこないから。俺も忘れていたけど夢の中でエイザーグと闘っているあんたがあの鎧のことをラディアって呼んでいたのを思いだしたんだ」
「そうか……」
今日の天気のように晴れやかな彼女の顔が一気に曇った。
二十年もの年月を越えて再会した友人と語らうこともできず、ともに闘った相棒との再会も閉ざされたと思ったアムサリア。その落胆した顔を見るのはさすがにつらく、俺はあわてて言葉を付け足した。
「そんなにがっかりしないでくれ。俺の言い回しが悪かったな。安心してくれ、あんたと一緒に闘った相棒は今もある場所にちゃんと保管されているから」
「それは本当か?!」
分厚い雲が一瞬で吹き飛び、太陽の如き強い日差しが俺に向かって降りそそいだ。その喜びの笑顔がなんともまぶしい。
「いったいどこなんだ?!」
「それはっ……」
「えーと、場所は王都の少し南西にあるシグヤの街。破壊魔獣エイザーグが倒されて平和になったことを記念して、ある人が個人的に建てた場所なんだ。エイザーグのことやそれにかかわる事件とその解説、色々な品が展示されてる。まぁなんと言うか……個人の趣味が大きく反映されているこの国の平和の象徴となる博物館だな」
思ったとおりアムサリアは驚いた様子だった。
「平和の象徴か。少々大げさだな。わたしは自分ができることをやったに過ぎないよ」
彼女は照れくさそうに小声でつぶやいた。
アムサリアの言うとおり闘える者ができることをすると言うのは当たり前のことなのかもしれない。しかし、彼女は初代聖闘女リプティの生まれ変わりで、その力を覚醒させたことで破壊魔獣エイザーグと闘うことは運命だった。つまり、アムサリアはできることをやったのではなく、闘わざるを得ない立場だったのだ。いったいどんな気持ちで恐ろしい魔獣に立ち向かったのだろう。
「ラグナ、場所がわかっているなら話は早い。早速そこに行こう」
アムサリアは嬉しそうに笑いながら催促する。
「はやる気持ちはわかるけどあわてるなって。そこはエイザーグを含め、魔獣などについての研究をしている施設でもあるんだ。エイザーグの誕生やその破壊衝動についてもいろいろ調べているところだよ」
「研究している施設?」
「そうだ、さらにその研究所で作られた退魔の法具は魔獣に対して強い力を発揮するんだぜ。今は王都騎士団の一部の上級騎士に配備されていて、法術の強化や戦闘中の治療補助で戦力の増強と生存率の上昇に貢献している。そういったことの関係で館長がいないことが多いんだ。だからそのあたりも調べないとな」
「館長がいないとラディアに会えないのか?」
不満そうな顔で聞き返してきた。
「いや、そうじゃないんだけど、そこの館長は国一番の法術士なんだよ。さっき俺が言いかけた話はそのことで、そこの館長にアムサリアのことを相談しようと思ってね」
「昨日行った町の一流の法術士よりも凄いのか?」
「あぁ、比べものにならない。博物館の館長は父さんと母さんの友人で旧知の仲だから、たまに遊びに来たり行ったりね」
はっとするアムサリア。
「旧知の仲? もしかしてわたしも知っている人物だったりするのか?」
「知っている……だろうな、お互いに」
俺は一瞬言葉を溜めてから続けた。
「その人は父さんたち以上に有名人で奇抜な創作法術を操る十大勇闘士のひとりだ。名前はクレイバー=ドルス」
彼女は驚いた様子で食いついてきた。
「クレイバーだって?! 彼はわたしの法具を作ってくれた人で、ラディアと一緒に闘うようになってすぐに知り合ったんだ。ラディアたちに強い興味を持っていて、エイザーグとの闘いだけでなく、教団が受けた近隣の狂暴化した魔獣討伐や王都からの魔獣討伐の協力依頼なんかにも積極的に参加して助けてくれていたぞ」
「それはきっと……」とういう言葉を俺は口に出さず、その思考も強引に止めた。
ラディアに会えるとわかった彼女の笑顔は再び今日の天気と同じように清々しいものに戻っていた。今はそれで良しとしよう。
「もしかしたらクレイバーおじさんならアムサリアを認識することができるかもしれないと思ってさ。法術も含めていろいろと研究しているし、何よりアムサリアのことなら快く協力してくれることは間違いないよ」
「そうか、そうだな。クレイバーは頼れる男だからな」
と彼女は力強くうなずいた。
「よし、このことを父さんたちに話しに行こうか」
俺は立ち上がると丘の上にある家にアムサリアと一緒に歩きだした。