奇跡
「わたしの願いを蒼天へと送り、新たな世界を作って願いが叶うなら、なぜ代償を払わなければならない」
至極当然な疑問だったが、その理由はすぐに明かされた。
「理由は簡単です。蒼天はあくまでその願いの世界を形作るだけ。概念的な表現ですが、その世界の扉を開けるには鍵が必要なのです」
鍵とはいったいなんなのだろうか? 横目でクレイバーさんを見たがそれはわからないようだった。
「鍵となるのは魂が放つ力。それが希望の光。本来ならその鍵によって扉を開くのですが、奇跡の大きさ、つまりは新たな世界の扉の大きさによって鍵の大きさも違います。扉に見合った鍵が作れなければ、とうぜん開くことはできません」
「代償を払うことでそれを補うというのだな」
「そのとおりです、鍵を作るのに足りないモノを任意で補うのも、このシステムのひとつです。代償を差し出すことによってその魂から放たれる力。その力でその者が望む世界の鍵を完成させ、扉は開かれます」
「その代償がわたしの半身というわけか」
アムの肩がわなないている。
「アムサリアが英雄になるための宿敵はグラチェが自ら望みました。しかし、それだけでは誕生した強大な魔獣の前に、か弱き巫女が散るのは火を見るより明らか。いかにグラチェの献身的なまでの心があっても、無尽蔵の邪念と陰力をその身に宿した魔獣の力は絶大です。宿敵に負けてしまっては真の英雄ではありません」
ここまでの話からその先を予想し、俺の血の気が引いた。
「アムサリアが死んでしまってはグラチェの願いも潰え、エイザーグの存在が消滅してしまいます。英雄になるというアムサリアの願いを叶えるために、絶対に負けてはならないのです。『負けない英雄』の世界の扉を開くための鍵を作るには、システムに蓄えられた希望の光だけでは足りませんでした。それだけの世界の扉を開く鍵を作る代償として、アムサリアの半身が必要であり、そなたはそれを差し出しました」
「それはっ!」
アムは一瞬悲痛な声を上げ、沈黙した。
「グラチェとひとつになった己自身で宿敵を演じ、その宿敵が英雄を支えることで、無敵の英雄が誕生したのです」
俺の予想は的中してしまった。それは本当の意味での偽りの英雄……。
自ら偽りの英雄だと悲しげに語っていたアムだが、それは教団が人々の支持を得るために聖闘女リプティの生まれ変わりだと仕立て上げられたことについてだ。たとえ偽物であっても、不安に駆られる民衆のためにエイザーグと闘っていたアムの心は本物だった。だから偽りの英雄だとわかっていても、アムの心はまだ救われていたはずだ。
そして、さっき俺が感じた違和感の正体とは、彼女の英雄願望は『英雄になる』ことではなく、『その行動の結果によって英雄と呼ばれる存在になる』ことだ。
蒼天至光が起こした奇跡は、アムの英雄的行動なくして彼女を英雄にした。そのうえ、人々のために命を懸けたアムの闘いが自作自演の物語だったのだから、彼女が受けた衝撃は計り知れないはずだ。
「ときおりエイザーグが手加減しているように思えたのは、そういうことだったのか」
アムは何か納得したように力を抜いた。
「そうでなければ、そなたは大聖堂に初めてエイザーグが現れたあの日に、千人の民衆と一緒に死んでいたことでしょう。そうならなかったのはエイザーグを作り上げた邪念を、母体のグラチェと共にそなたの半身が抑制していたからです。英雄となったアムサリアの命を護る。その目的は無意識下であったために覚えてはいないでしょう。ワタシ同様にアムサリアの半身はエイザーグに組み込まれた重要な部品のひとつだったのです」
「あの日、わたしが生き残ったのは偶然ですらないとはな。それすらもわたしが演出した物語だったというわけか」
教会の上空でいまだにくすぶっている雷雲も黙り込むほどに、天使シルンの語ることが信じられず、俺たちは言葉を失っていた。
「この英雄の物語はそなたの願いをワタシが利用させてもらうために力添えをしました」
「利用だと?」
「願いとは、その者の想念。蒼天至光はワタシの意志に関係なく願いを取り込みます。ですが、それが問題なのです。願いは輝力を発する正念がほとんどですが、陰力を発する邪念もあります」
考えたこともなかったが、確かに人々の願いが幸せや喜びだけとは限らない。恨みや憎しみといった願いだってあるだろう。
「気願成就のために正念や輝力は消費されていきますが、邪念や陰力はそうはいきません。ときおり叶う負なる願い程度では、到底消費させることなどできないのです。ですが、蒼天至光は願うことで発せられる魂の力、希望の光を回収するために正念であろうと邪念であろうと関係なく取り込んでしまいます」
ここまでの話を聞いて全員がなにかを察した。そして、このあとに続くシルンの言葉でそれを理解する。
「この装置が長い年月をかけて取り込んだ邪念のおかげで、ワタシの意識は纏わりつく邪念と、それが吐き出す陰力の海の底に沈んで朦朧としていました。ワタシに届いたアムサリアの願いは、その邪念と陰力を消すのに打って付けだったのです」
「それがエイザーグ。それと、エイザーグが生み出す陰獣か」
この神具の中でほくそ笑むシルンが見えるようだ。
「そなたが願い、ワタシが助力することで作り上げられた素晴らしい世界は、そなたが費やした努力や持ち合わせていたカリスマ、闘いの資質、グラチェの献身的な心。さらに、アムサリアが自らの半身を差し出すことで完成したのです。恥じることも後悔することもありません」
「だが、そのためにいったいどれだけの人々が死んだと思っているんだ! それすらもわたしが代償を払ってまで望んだ世界だと言うのか!」
アムがそのやるせなさに体を震わせると、今まで静かに話を聞いていたリンカーがシルンに喰ってかかった。
(おい、シルン!)
その声はアムと俺にしか聞こえないはずなのだが、神具の力なのかクレイバーさんとリナさんにも聞こえているようだった。
(つまり何か? おれやラディアもおまえの願いを叶えるために、アムが代償を払ってまで生み出した小道具ってわけか)
今回ばかりはリンカーの言うことに否定的なつっこみはしない。ラディアであった俺も、シルンの意図によって無理やり生み出されたことが酷く悲しかった。
「いいえ、それは違います」
「え?」
「結果としてワタシの願いに貢献してもらいましたが、そなたたちはワタシの意図やアムサリアの英雄願望によって生み出されたわけではありません」
(じゃぁなんで生まれたって言うんだ)
天使シルンは少し間を置いてから言った。
「それこそ、人々の願いが蒼天に至ったのでしょう。確かに蒼天至光があってのことでしょうが、それはワタシがその願いを叶える選択をしたわけではありません。自分たちのためにアムサリアが命を懸けて闘う姿を見た民衆が、必死に祈り、望み、願ったのです。人々の願いがアムサリアの心を剣と鎧に伝え、それを母体としてあなたたちは生まれました。そこに払われた代償などない、本物の奇跡と言ってよいでしょう」
アムも俺もリナさんも、恐らくリンカーもその話を聞いて唖然としていたが、クレイバーさんだけは、くっくっくっと笑っていた。
「ラディアとリンカーはこの国の人々とアムのあいだに生まれた子どもということか」
アムの子ども? 俺にとっては笑い事ではない複雑な気分だ。だけど俺たちの出生が物語の演出ではなく、アムを助けるために起こった本物の奇跡だということを聞いて嬉しく思えた。
「ですが、予想外の事態が起こりました」
たくさんの人が不幸になったこの物語の一端を、不謹慎ながら嬉しく思ってしまった俺の意識を、天使シルンの言葉が引き戻した。





