罪の残滓
「さぁふたりとも再会の挨拶はそのくらいでいいか? 奴さんがお待ちかねだぞ」
化け物はさらに禍々しさを増して強大になっている。しかし、無数の邪念が寄り集まっただけで統一性がない。そこが根本的にエイザーグとは違う。
「ブゥワァァァァァァ」
口らしき開口部から息を吸い込むと凄まじい陰力が圧縮されていく。あっと言う間もなく撃ちだされた光弾が炸裂すると思いきや、アムが剣を振り上げると、その方向に弾き飛ばしていた。
今の俺など蒸発してしまいそうな光弾をなんなく弾き飛ばしてしまったアムは、涼しい顔で笑って見せた。
跳躍ふたつで化け物に接近し、振り降ろされる触手を鮮やかにかわす。
「せいやー!」
裂帛の気勢で振るったリンカーが巨体を支える手足をいくつも斬り飛ばして、残された本体はバランスを崩し横転した。
その動きは速く、鋭く、力強く、すべてが俺の知るアムを超えている。
「いい切れ味だな」
「とうぜんだぜ。おれの力を使いこなせるのはアムだけで、アムの力を最大限発現できるのはおれだけだからな」
「だが、この程度ではダメなようだ」
アムの言葉のとおり、横転した化け物の体はうにょうにょと蠕動させて、さらに異形な姿に変わっていく。もう化け物という言葉さえ可愛く思えてしまうほどの姿だ。
「キョェェェェェ」
耳をつんざく奇声を上げて無数にうごめく触手がアムを襲う。だけど、彼女は降り注ぐ触手の雨を滑らかな足さばきですり抜け、次々に斬り落していき、異形の本体に十字に傷を刻み込んだ。
「ファイム・リニア・ストライク」
斬り裂いた中心部に突き付けたリンカーから波紋が広がり、体中から多数の破裂音と血しぶきが舞う。邪念の集合体は苦しみの絶叫を上げながらも、リンカーが突かれた場所を中心に巨大な赤い花を咲かせた。
リンカーを引き抜き跳び下がるアムに、高速回転して花びらをまき散らす。
「ファイム・メガロ・シルド」
前方にかざした手のひらに巨大な炎の盾が燃え盛り、次々に花びらを焼き落していく。
「はっ!」
発した気勢で打ち出された炎の盾は巨体に咲いた花にぶち当たり、残った花びらも焼き尽くされた。
エイザーグをも上回る化け物を蹂躙する黒き闘女の溢れる力は、強大であまりに異質だ。その猛攻を受けて沈黙しつつある異形な化け物に向けて、リンカーが高々と振り上げられた。
「蒼天至光から生まれた哀れな想念の化け物よ。すべてがひとつとなったわたしの法技で終わらせてやる」
振り上げられたリンカーに力が集まっていく。繰り出すのはアム独自の法技で、さきほどアムザーグが俺の体で使ったモノだ。しかし、構えられたアムから感じる圧力は俺が込めた渾身を大きく凌駕している。
その力に呼応するように、化け物も頭部らしき場所の開口部に力を集約させた。
化け物の力は荒れ狂う海のようで、アムの力は雄大な大地。互いの力は極大に達して爆発寸前だ。
「ラグナ、とくと見よ。これが真の……グラン・ファイス・ブレイバーだぁぁぁぁ!」
力強く踏み込まれた右足と連動して、しなやかでたくましい腕が振り降ろされる。闘気と心力の巨大な刃が、化け物が撃ち出した悪意の波動を飲み込みながら全身全霊の力で叩きつけられた。
常軌を逸した異形の化け物は、聞いた者の魂すらも一緒に連れて逝きそうな断末魔の叫びを響かせて、邪悪な想念ごと木っ端微塵に打ち砕かれて消し飛んだ。
しばし大聖堂に反響していた絶叫や炸裂音は減衰し、静寂があたりを包む。
「終わった……のか?」
「あぁ終わったぞ。二十数年前にわたしが犯した罪の残滓の後片付けがな」
ねっとりと纏わり付くような陰力と、押しつぶすような邪念の圧力は消えた。大聖堂は本来そうであったように蒼天至光が放つ仄かな輝力によって澄んだ空気に変っていく。
これが物語であれば大聖堂の天窓からは嵐の晴れた空の陽射しが射しこんでくるのだろうが、残念ながら上空にはまだ雷雲がくすぶっていた。
破壊魔獣エイザーグを上回る邪念の化け物が誕生したと思ったが、その陰力をも上回る暗黒力を操る闘女によって完全に消滅した。その闘女はゆっくりと振り返り、瓦礫や土砂を踏み越えて俺に向かって歩いてくる。
さきほどと変わらずその身の内には強大な陰力が秘められ、常識的に考えればエイザーグやあの化け物を超える国の脅威と言えるだろう。
倒れる俺の前に立ち止まった彼女は、リンカーを地面に突き立てた。
「ア……」
声をかけようとしたけれど、化け物を屠った力とあの頃とは違う気配に戸惑い声が出ない。照度が低くアムの表情が読み取れないことが、より濃い不安を抱かせる。
彼女は俺の腹に乗っている大きな瓦礫を押しのけて手を差し伸べた。
一瞬の逡巡を経て、恐る恐る差しだした俺の手を彼女はがっちりと握る。その手から伝わる感覚と薄暗い視界の中で微笑する顔を見て、俺は懐かしさに身を震わせた。
「ただいま……」
俺の体を引き起こしながら言った、この何げないひと言が、今まで無意識に塞き止めていた感情の壁を崩壊させた。
起こされた勢いのままにアムに寄りかかると、その両手で彼女を強く抱きしめた。
「おか……えり」
俺があのとき強く願ったのは、この抱きしめる腕と寄り添う人の体だ。ひとりで立ってさえいられないくたくたの体で、目一杯腕に力をこめる。あの頃はなかった涙も嗚咽と共にボロボロと流れた。
いつから生まれた感情か覚えてはいない。アムを護る使命を持って誕生し、意思を経て意志となった。
時が経つにつれ、護ることしかできないやるせなさを感じるようになった。無茶な闘いに挑むアムを護り切れないかもしれないと思うようになり、存在意義に疑問を覚えた。
最後の闘いで自分の前から消え去りそうなアムに代わって闘えない自分を責めた。同時にアムの横に並び立って闘える人間になりたいと、心のどこかで憧れていた思いが溢れ出し強く願ったのだ。
どれくらいこうしていただろう。崩壊して流れ出た感情の波がそこそこ納まったのを見計らって、アムは少し体を離して言った。
「この世界に蘇りすべての記憶が戻って、わたしやエイザーグの謎は解けたが、まだひとつやらなければならないことがある」
俺は涙を拭って聞き返した。
「なんだよ、やらなければならないことって?」
「まぁ待て。それよりリナとクレイバーだ」
「あっ」
ふたりも俺と同様に至近距離で咆哮を受けていた。法術障壁を発現したのが見えたけど、あの威力を完全に防ぎきれるとは思えない。焦って倒れかけた俺の手を、アムは引っ張り上げて肩に回し、彼女は指をさした。
「ふたりは大丈夫だ」
その先に意識を集中させると、かすかに輝力を発する場所を捉えた。
「グラチェも大丈夫なようだな」
エイザーグもどきを倒したグラチェもゆっくりとこちらに歩いてきているのを確認し、アムに肩を借りたままふたりの場所に向かう。そこには瓦礫の下の空洞で法術障壁を張り、リナさんを抱えるクレイバーさんがいた。
リナさんは腕の中で眠るように穏やかな顔をしている。反対にクレイバーさんは痛みに顔を歪めながら、瓦礫の崩壊を防いでいた。
「さすがはクレイバー。ラグナと違って瓦礫に埋もれてみっともなくひっくり返ってはいなかったな。無事で何よりだ」
アムがそう声をかけると、
「誰が無事だって?」
「リナとあなたの威厳がだよ」
と、またしてもこんなやり取りがなされた。
瓦礫を除去してふたりを助け出すと、さしものクレイバーさんも息を大きく吐いて腰を下ろした。
「すまないが、わたしはもう治療法術を使えないんだ」
アムは力の源が陰力に変化し、生命活動を活性化させる輝光法術が使えなくなったのだ。
「大丈夫だ、止血さえすれば問題ない。それに治療助力の法具がある」
ひと通りの応急処置を終えた頃にリナさんは目を覚ました。アムの存在に驚いてはいたが、おじさんと俺の言葉を聞いて詳しい理由は聞かずとも、取りあえず状況を飲み込んだ。
「では、蒼天至光へ」
俺たちはアムの言葉に従って蒼天至光へと向かった。





