秘密
今、俺たちの乗る馬車が国道を疾走している。見るからに高級な馬車は車輪にゴムが施され、その付け根には衝撃を吸収する機構が設置される特別仕様だ。馬車を引く馬も大きくてたくましい。
馬は御者の鞭を受けて全速力で走り、高速で曲がりながら目的地へ急ぐ。国が管理する道だけあってそれなりに整備されてはいるが、これほどのスピードで走っては横転しかねない勢いだ。その馬車の中でリナさんは横になっていた。
優秀な法術士であり、日頃の鍛錬も怠らないであろうリナさんだけど、闘士のような近接戦闘向けの鍛錬ではない。陰獣を相手にする聖闘女の力を受け止めて闘うのはとても無理だ。
アムサリアに憑依され、限界を超えて酷使された体は外傷こそないものの、過剰な力を発揮した筋肉と関節の炎症が激しい。心力も著しく疲弊している。ゆっくり休養を取るべきところだけど、ひとりベッドで寝て待つことはできないと手を離してくれなかったので、やむを得ず連れてくることになってしまった。
現在、俺たちはクレイバーさんを追って大聖法教会の大聖堂に向かっている。リナさんの話によれば、クレイバーさんはずっと大聖堂にある蒼天至光の研究をしていたというのだ。その内容はリナさんも詳しくは知らないらしい。
「この陰獣の出現は私の研究に因るものだ」
この言葉は、クレイバーさんが言っていたことだと、街で陰獣と闘っていた自警団員から聞いた。
言葉の意味を読み解けば『陰獣を生み出す研究をしていた』とも受け取れる。さらに深く考えればエイザーグを復活させようとしているとも……。そんな考えが頭に浮かんだ。嫌な予感がする。研究所で邪念獣と闘った昨夜から鋭くなった俺の感性がそう言っていた。
晴天だった青空はいつの間にかその姿を隠し、俺たちが目指す大聖法教会方面はゴロゴロと大気の精霊がざわめいている。まるでこれからの行く末を案じているようだ。そんな不安を抱えつつ、馬車に揺られていた。
俺たちがなんだかんだと話していた会話の切れ目で、リナさんはこんなことを言った。
「ねぇ、アムサリア」
「なんだ?」
「あなたが憑依したことで気になったことがあるの」
リナさんは真剣ながら少し心配げな顔でアムサリアに尋ねた。
「あなたは輝光法術が使えないって言ってたわね。あのときは霊体になったことによるものかなって思ったけど、輝光法術を操る聖霊仙人ハム=ボンレット=ヤーンがどこかの街の近くの森に住んでいるって言い伝えがあるわ」
博学のリナさんが言うにはハム=ボンレット=ヤーンは高位霊体の存在だったようだ。
「霊体でも心の在り方で発揮する力は違うらしいわ。アムサリアほどの人なら霊体だからと言って輝光法術が使えないってことはないと思ったの」
「それは……。わたしにもどうしてなのかわからないんだ」
あきらかに焦りの色がある返答だった。そんなアムサリアにさらに問いかける。
「研究所でラグナくんを助けたときに展開した防御障壁の法術は陰力によって発現したように感じたわ。確かに一部の闘士や法術士、真理を探究する賢者なら陰力を元にした法術を扱う人もいるけれど、輝力の極限と謳われた聖闘女が陰力を源にした法術を使うなんてちょっと考え難いでしょ」
俺を護った法術障壁が陰力を源にしたもの? よく覚えていないけどそう言われるとそんな気がしてきた。俺の横に立つアムサリアが今どんな顔をしているのか気になるが、怖くて見ることができない。
「あなたが私に憑依して力を使ったときに感じた押しつぶされるような苦しさは、たんに私の許容を超えた力ってだけじゃなくて、その心力の質が陰力だったからね」
こう言われて考えるとリナさんの疑問はもっともなことだ。
「あなたを責めているわけではないの。ただ、あなたが陰獣の目的やその行動原理を知っていたのもあって、この時代に目覚めたことと関係があるのかなって。陰獣の行動原理のことはおじさまでもそこまでは解明できていないことだったから」
「陰獣の行動原理って?」
「陰獣は基本的に目的の物事以外に被害を出さなかったらしいの。邪魔する者は排除するって感じだとおじさまは言っていた」
あの化け物は明確な目的があって生まれている?
「さっき私たちが闘った陰獣は博物館を狙っているとアムサリアは言ったわ。私が「なんで?」って何気なく疑問を口にしたら、『博物館や研究所、もしくはそれに関係する者に対して強い悪意を持つ者の願いを受けて、あの魔獣は陰獣と化したんだ』って答えた」
リナさんの言葉にアムサリアが反応したのがわかった。
「そんなにハッキリとした解答ができたのはなぜなの?」
しばしの沈黙後アムサリアは口を開いた。
「わたしはそんなことは知らなかった。ただ、研究所でラグナがラディアに触れたときから、少しずついろいろなことが頭に浮かんでき始めたんだ」
彼女の言葉は何かを否定する感情が込められているように思えたが、それがなんなのかまではわからない。
この場の空気が重くなっていく。高位の霊体はその感情により周辺へ様々な影響を及ぼすという。アムサリアはあきらかに動揺しているが、このことがそんなに重大なことなのだろうか? それを察してかリナさんはアムサリアに優しく言った。
「ラグナくんの前に現れて、彼を護り、陰獣とも闘ったんだもの。あなたのことを悪く思っているわけじゃないのよ。それはわかって。だから知っていること、思い出したことがあるなら教えて欲しいの」
二十年前の英雄ではあるが、十九歳の少女であるアムサリアに、二十二歳のリナさんは穏やかに語りかけた。
「……何者かの強い悪意を受けた母体はその者の思いに共感を持ったり同じ波長を持っていることで陰獣と化す」
アムサリアは少し間を置くと、力のない声ではあったがゆっくりと話はじめた。
「リナが闘った陰獣の場合は破壊衝動という波長が合ったことで陰獣となり、その者の願いを叶えるための行動を取っていたのだろう。特定の人や物が襲われるのはその個人や物に対しての恨みだ。おそらくは博物館か研究所か、またはクレイバーに対しての」
「それって誰かの恨みを陰獣が晴らしてくれているってことじゃないか!」
俺もリナさんも驚きが隠せない。陰獣とは何者かの恨みを晴らす代行者だというのだ。
「それじゃ研究所に現れた邪念獣は? 母体となる獣ではなく、なんで奇跡の鎧に向かって集まろうとしていたのかしら?」
「なぜ奇跡の鎧に集まろうとしたのか……それは、わたしにもわからない……」
俺はあのときの恐怖を思い出してぶるっと身震いした。
「私が知る限りでは研究所にそんな強い悪意を持った人がいたなんて思えないわ」
「確かにあの場に強い悪意を持った者はいなかったのだろう。だが、それは関係ない。陰獣が恨みを晴らす代行者というなら、エイザーグはその恨みを発する無数の邪念の集合体。だからその分離体の邪念獣も代行者ではなく恨みを持つ本人だ。だから晴らすべきひとつの目的のために行動をするのではなく、邪悪な念の赴くままに破壊や殺戮をおこなう」
再びぶるっと身が震えた。
「いったいエイザーグってなんだっていうの……」
まさに究極の疑問だ。惨劇の時代に生きたすべての人が知りたいことだろう。
神聖なる大聖法教会の大聖堂に突如として現れ、奇跡の力を信じて祈りを捧げていた千人を超える人々を惨殺し、数年に渡ってこの国に恐怖を与え続けた破壊魔獣。その正体などわかるはずもない。
そう思った俺の考えを打ち砕く言葉が、リナさんが小さく自問した言葉に対する回答として、アムサリアの口から語られた。
「エイザーグは……人々が幸せを願い、穢れを祓うために訪れる大聖堂に祀られた、蒼天至光が生み出した存在なんだ」





